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ヒナが楽しそうにはしゃぎ、部屋を走り始める。隅の方に行っては、すごい、明るいと叫んでいた。楽しそうで何よりだ。
「ヒナ。人を呼ぶから、本棚の影に隠れていろ」
「はーい」
ヒナの返事に、ゼストは満足そうに頷いた。目を閉じ、自分の側近へと思念を送る。言葉やイメージを送る魔法だ。使える者なら一キロ先まで思念を送ることができる。戦場で使えればかなり有利になるのだが、習得の難易度は魔法の中でもずば抜けて高いため、使える者はごくわずかだ。
ゼストが思念を送ると、すぐに扉がノックされ、開かれた。入ってきたのは黒いコウモリのような翼に歪な角を生やした魔族で、ゼストよりも年上だ。名はアドラ、ゼストの側近であり、右腕だ。
アドラはゼストへと恭しく一礼した。
「ゼスト様、ご夕食は二人分ご用意致しました」
ゼストの頬が引きつった。ヒナのことは、まだ誰にも言っていないはずなのだが。
「理由を聞いても?」
ゼストが問うと、アドラはちらりと本棚へと視線を投げる。だがすぐにゼストへと視線を戻した。
「必要かと思いまして。心配なさらずとも、もう一人分は少なめにしております」
「そ、そうか……。うん。ご苦労だった」
アドラはテーブルに夕食を並べ終えると、もう一度一礼して部屋を出て行こうとする。ゼストはアドラを呼び止めると、
「何も聞かないのか?」
「さて。何のことでしょうか」
アドラはそれ以上何も言わず、静かに退室していった。
アドラはゼストが誰かをこの部屋に匿っていることに気づいているのだろう。それも、人間を匿っていることを。それを知りつつも全てをゼストに任せてくれている。できた側近だと思う。
「ヒナ。いいぞ」
ゼストが呼ぶと、ヒナが本棚から顔を出した。こちらへと歩いてきて、テーブルに並べられた二人分の食事に目を丸くした。
「どうやらアドラはお前にことに勘づいたようだ。妙な誤解をされる前に、近いうちにお前のことを話しておこう」
そこまで言って、ゼストは小さくため息をついた。
「友人を作る魔方陣を使った、などと話すのは、少し、いやかなり恥ずかしいけどな……」
「あ、あはは……」
ヒナはどう反応していいのか分からないのだろう、引きつった笑顔になっていた。
「ゼストさん、このお肉って何のお肉ですか?」
「心配せずとも人ではない」
「いや別にそんな心配なんてしていませんほんとです!」
「説得力がないな」
そんな雑談を交わしながら夕食を食べ進める。肉厚のステーキに白米、それにスープというメニューだ。白米はゼストがどうしても食べたいがために、魔王権限で作られ始めた。長い期間が必要だったが、ゼストの遠い記憶にあるものと近い味になったと思う。いつ食べたのか、それすら覚えていない記憶だが。
向かい側では、人族の社会ではあまり見られないだろう白米を、何の躊躇もなく食べていた。もしかすると、ヒナの世界では珍しいものではないのかもしれない。
「うまいか?」
白米を食べているヒナに聞いてみると、ヒナは笑顔で頷いた。
「はい。こっちでご飯を食べられるとは思いませんでした。私が食べているご飯に近い味で、びっくりです」
それを聞いたゼストは表情を取り繕いながらも、内心では本当に驚いていた。ヒナは自分の世界の米と似た味だという。もしかすると、自分はこの人間の世界に行ったことがあるのだろうか。
そこまで考えて、しかしゼストはあり得ないと首を振った。ゼストはこの世に生を受けてからずっとこの世界にいたはずだ。南側の大陸に潜入したことはあっても、異世界に行ったことなどない。ヒナの話を聞くまでは、異世界の存在など知らなかったほどだ。
だが、それを考えればゼストが米の味を知っていたことも謎だ。古い記憶を探ってみるが、やはり食べた覚えなどない。ゼストはしばらく考えていたが、やがて諦めて首を振った。
「ところでヒナ、俺は何をすればいい?」
「え? 何をって?」
「友達とは、何をするものなんだ?」
ヒナの動きが固まった。視線を彷徨わせ、短く唸り、そして何か思いついたのか、手を叩いた。笑顔でゼストへと言った。
「あの魔方陣を使ってくれたのはゼストさんですから! 何かしてほしいことはありますか?」
「分からん。お前こそ友達の一人ぐらいいただろう? 何をするものだ?」
う、とヒナが言葉に詰まり、そっと目を逸らした。まさか、と思いながらも聞いてみる。
「いなかった、のか?」
「えっとですね……。その、ですね……」
「そうか。皆まで言うな。辛かったな」
自分は力を示しておけば、対等な立場の者ができなくとも部下はできる。一人にはならないと言えるだろう。だがこの少女は、人間だ。力を示しておけば人がついてくる、といった単純な社会ではない。人族の社会は遠目から見ているだけでもかなり面倒くさいと知っている。
その社会の中で、友達がいない。思わず同情してしまっていると、ヒナが頬を膨らませた。
「なんですかその、かわいそうなものを見る目は! 私だって友達ぐらいいましたよ!」
「ふむ? 幻覚か? 友達らしいことなどしていないのなら、違うだろう」
「何ですか幻覚って! 友達です! 私にとっては友達なんです! 怒りますよ!」
どうやら本当に気に障ったらしく、ゼストを睨み付けてくる。その視線がとても新鮮だった。こういった視線を向けられた時は、殺し合いになる時も多い。自分を倒して魔王となるために。
だがこの少女は、自分の不満をはっきりと言うためにゼストを睨む。それがゼストにはあり得ないことであり、少し嬉しくなることでもあった。
「悪かった、言い過ぎたよ」
両手を上げてそう言うと、ヒナはすぐに機嫌をなおして、ならいいです、と笑顔になった。
「まあ、あれだな。お互いに友達がいなかった者同士、仲良くしよう」
ゼストがそう言うと、ヒナは頷いた。
「それで、本当にお前は何も思い浮かばないのか? 何なら、お前がやりたいことを手伝ってもいいぞ」
改めて、話題を戻す。結局何をするのか決まっていない。ヒナは少し考えて、口を開いた。
「私は、最近できたお友達には町の色々な所を案内してもらいました」
「なんだ、ちゃんと友達がいるんじゃないか」
他人事ながら、少しだけ安心してしまう。だがヒナは、眉尻を下げて苦笑を浮かべた。
「私は友達だと思っていますけど、あちらはどうでしょう……。思ってくれていると、いいんですけど」
「分からないのなら、思っておけばいいだろう。避けるよりはいいと思うぞ」
ヒナがわずかに目を見開く。その表情にゼストが驚いていると、ヒナは嬉しそうに頷いた。少しでも自分の言葉で何か思ってくれているのならいいのだが。
「だがいいことを聞いたな。明日はこの都市を案内してやろう。お前の知らないものも多いはずだしな」