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白い光が少しずつ消えていく。ゆっくりと周囲の景色を確認できるようになっていく。やがて光が完全に消えて、陽奈は改めて自分のいる場所を確認した。
狭い部屋だった。ベッドと机、本棚のある部屋なのだが、それぞれの家具には何も入っていない。黒い本だけが机の上に無造作に置かれていた。本は開かれており、陽奈がアイリの元へ行く時に見ていた魔方陣が目に入った。
試しに魔方陣に触れてみる。反応はない。残念そうにため息をつきつつ、陽奈はそっと本を閉じた。
陽奈はこのような部屋に覚えはない。もっとも、陽奈の記憶にある部屋はテレビなどの画面越しに見るものか病室だけなので、覚えがなくて当たり前だとも言える。
――これって不法侵入、だよね。
少しだけ緊張しつつ、静かに窓へと向かう。外を見てみると、やはり見知らぬ街並みが広がっていた。陽奈の世界で間違いはないようだが、それならこの部屋はどこなのか。
ともかく、まずはここを出なければならない。それから病院を探せばいいだろう。そう思っていたのだが、廊下から誰かが走ってくる音に陽奈は顔を青ざめさせた。どこかに隠れなければ、とも思うが、隠れられる場所はない。
やがて扉が開かれて、眩しい光が暗い部屋に差し込んだ。
「……っ!」
手で影を作りながら、誰が入ってきたのかを確認する。そこにいたのは、
「陽奈……?」
母だった。
「お母さん……?」
陽奈が呆然としたような声でつぶやくと、母が大きく目を見開いた。ふらふらとこちらへと歩いてきて、陽奈の前で膝をつく。その両手で陽奈の頬に触れた。
「ああ……」
母が声を漏らす。涙が流れ始める。そして次の瞬間、陽奈は母に抱きしめられていた。
「ああ、陽奈、陽奈……! 生きているのね、幻じゃないわね……!?」
「お、お母さん、いたい、いたいよ……!」
あまりに強く抱きしめられているために陽奈が小さく悲鳴を上げる。それを聞いた母は、慌てたように陽奈を解放してくれた。
「奈央、何があった?」
開いているドアの向こうからさらに人が入ってくる。父と姉だった。二人とも、陽奈を見て大きく目を見開いている。
「陽奈、なのか……?」
父の問いに陽奈が笑顔を見せると、父は目を閉じて涙を流す。その隣の姉はしばらく呆然としていたが、やがて母と同じように陽奈へと抱きついてきた。
「陽奈! 陽奈! わあああ!」
「お、おねえちゃん、くるし……!」
感極まって泣きじゃくる姉と、それにつられたのかまた泣き始める母。父は優しく微笑みそれを見守っている。陽奈が思うことはただ一つ。
――た、たすけて……!
少しは手加減してほしい。そう思う陽奈の顔色はどんどんと悪くなっていった。
その後は本当に大騒ぎだった。両親はひっきりなしに電話をかけている。姉曰く、陽奈の失踪は大きな騒ぎになっているらしい。陽奈が入院していた部屋は、周囲を隔離されつつもそれ故にしっかりと管理がされているはずだった部屋だ。そこから人一人が忽然と姿を消し、さらにはその後の消息もつかめない。テレビのニュースにも取り上げられたらしい。
警察や病院の関係者もずっと捜索に協力してくれていたようで、両親はそちらへも電話をしていた。おそらくすぐに誰かが訪ねてくるだろうとのことだ。
姉はずっと陽奈の手を握っている。またいなくなることを警戒しているかのように。心配しなくてももう消えたりはしない、と言いたいところだったが、前回も突然転移してしまったので説得力はない。自分でそれに思い当たり、されるがままになっていた。
やがて両親の電話が終わり、陽奈は家のリビングへと案内された。柔らかなソファとテーブル、それに絨毯が敷かれた部屋だ。アイリにここが自宅だと言えばとても羨ましがられるかもしれない。
陽奈は二人がけのソファに座らされ、陽奈の隣には母が座る。対面も二人がけのソファで、こちらには父と姉が座った。
「さて、今更だが……。俺たちの娘の陽奈で間違いないな?」
父の問いに陽奈が頷く。父は無言で頷きを返した。その頬はわずかに持ち上がっている。陽奈が帰ってきたことを喜んでくれているようだが、この後の会話のためにどうにか威厳を保とうとしているかのようだ。
「体は何とも無いのか?」
その問いに対しても大丈夫だと頷くと、疑わしげに目を細めた。母と姉も心配そうに陽奈を見つめてくる。心配をしてくれる、その事実だけで陽奈は嬉しくなった。ただ家族全員が心配しているこの場でそれを言おうとはさすがに思わないが。
「治してもらったんだよ」
安心させるための言葉だったのだが、むしろ三人そろって疑惑が深くなったようだ。今までどのような医者も治せなかった病気を治してもらったと言っても、そう簡単に信じることはできないだろう。確かにこれは、陽奈の言葉が足りなかった。
ちゃんと説明しよう、と思うが、全て話して信じてもらえるだろうか。異世界に行って、勇者様と会って、勇者様に治してもらいました。自分なら間違いなく正気を疑う自信がある。
そう考えると、本当に自分は異世界へと行ったのか。アイリと名乗る勇者と会ったのはただの夢か妄想なのではないか。そう思いそうになるが、しかしこうして『外』にいても問題ないこと、そして今着ている服が、陽奈が異世界にいたことを示してくれている。手には、アイリからもらったハンカチもある。間違いなく、自分は異世界にいた。
ハンカチを握りしめて、気持ちを落ち着かせる。信じてもらえるかは分からないが、隠すこともできないことだ。
「陽奈。次の質問をいいか?」
父の声に、陽奈は俯いていた顔を上げて頷いた。
「その服はどうした? この辺りでは見かけない服だが……。コスプレ、というやつか?」
恐らく父は、場を少しでも和ませようとしたのかもしれない。陽奈の表情が強張っていることを察して、少しでもそれをほぐそうとしてくれたのかもしれない。だが陽奈は、それに内心でお礼を言いながらも、しっかりと父の目を見据えた。
自分の娘からそんな目で見られるとは思っていなかったのか、父がわずかに狼狽える。その父へと、母と姉へと、陽奈は口を開いた。
「ちゃんと話すね。私がどこにいて、何をしてきたのかを」




