14
街の中央は今までの建物とは違い、大きな建物があった。三階建ての建物で、しかし人の出入りはあまりない。
「あれが図書館ですか?」
「そうみたいね。ヒナは宿に行っていなさい。一緒に来ても暇なだけ……」
「行きます」
アイリの言葉を遮ってヒナが言う。気づけばヒナは、アイリの手を強く握っていた。
「どうしたの?」
「いえ、その……。一人になるのが不安で……」
この街は治安は良さそうなので大丈夫のはずだが。そう思ったところで、そういった意味ではないと気が付いた。ヒナは、縋るようにアイリの手を握っている。ただ単純に、一人になるのが怖いだけなのだろう。見知らぬ世界にたった一人。心細いはずだ。
アイリはヒナの頭を撫でる。ヒナは驚いたようにアイリを見た。
「一緒に行きましょうか」
「はい!」
ヒナは嬉しそうに笑って頷いた。
「つまりはやはり俺一人だけが留守番か。いや、いいんだがな。うん。いいんだ」
グレイのそんな呟きが聞こえたが、きっと気のせいだろう。
誇り高い魔狼族がそんなことを言うはずがない。きっと。
夜。図書館の側にある宿にアイリたちは宿泊していた。他と同じ石造りの宿で、部屋もあまり広くはない。だが柔らかなベッドや絨毯など、家具には金がかけられていた。その分値段も高かったのだが、アイリは金には困っていないので問題はない。
「結局何も分からなかったわね……」
ベッドに横になっているアイリが小さく呟く。日が落ちるまでずっと調べていたのだが、結局手がかりはなかった。いや、正確に言えば、興味深い記述はあった。友人を見つけるための魔方陣は複数あり、そのいくつかは北の大陸にあると。しかしそれは言い伝えの記述であり、確実なものではないようだ。
北の大陸は魔族が支配する大陸だ。当然ながら、そんな場所へとヒナを連れて行けるわけがない。さすがにアイリといえども、戦えない者を守り続けられるとは思えない。
アイリは体を起こすと、もう片方のベッドへと視線を向ける。そこではヒナが難しい表情で小さな紙を睨み付けていた。その隣ではグレイが時折口を開いている。あの紙に記載されているのは文字の羅列だ。ヒナがこの世界の文字を覚えたいと言ってきたので、何の意味のない文字を書き連ねておいた。グレイに教わりながら、ヒナは真面目に取り組んでいる。
おそらくヒナは、最悪の可能性も考慮しているのだろう。即ち、二度と元の世界には戻れないかもしれない、と。故にこの世界について学ぼうとしているのかもしれない。そう思うと、何もできていない自分がひどく情けなくなる。せめて、送り返すだけでもできればいいのだが。
明日、もう少し図書館で調べてみよう。そう決めながら、アイリは目を閉じた。
翌日も図書館で一日を過ごす。食事の時間はヒナと共に近場の食堂に行った。提供される食事にヒナは瞳を輝かせ、嬉しそうに食べていた。それほど自分の料理はまずかったのか。
「今更だな」
「うるさい」
肉と野菜を炒めて味付けしたものと、いくつかのパンだ。決して豪華な食事というわけではなかったが、まあ確かに、アイリの作るものと比べると少しはましだろう。
「むしろ雲泥の差だな。無論お前が泥だ」
「黙れ」
食事の時以外はずっと図書館だ。ひたすらに、それらしい書物を読んでは棚に戻す。ただそれだけの作業。手がかりは、ない。
結局その日も結果を残すことはできず、宿に戻ってきた。
「どこかの国の首都に行くべきではないか?」
今日もヒナはベッドの上で文字の勉強をしている。その隣で教師役を務めるグレイがアイリへと言った。アイリは少し考えて、頷いて言う。
「そうね。そうした方がいいかもしれないわね。一応、イフリの首都が近いけれど……」
そこまで言って、しかしアイリは首を振った。イフリという国は、戦場が目と鼻の先にある。もしもの時は最も危険な国だとも言える。別の国に向かった方がいいだろう。
「行き先は任せる。俺は人間の国に詳しくはないからな」
グレイの言葉に、アイリは了承の意味で頷いておく。早速、アイリは目を閉じて計画を練り始めた。
いつも前触れがあるとは限らない。魔獣は魔族と違い、計画性がないことも多い。だから。
「失礼します! 勇者様はいらっしゃいますか!」
こうしたことも、頻繁にではないが、あることだ。
アイリはテーブルに置いた例の魔方陣に魔力を流しているところだった。部屋の扉を叩き開けた者にアイリは冷たい眼差しを向ける。扉を開けた者、若い兵士はその眼光だけで怯えたように体を震わせ、一歩後じさった。
「女の子が泊まる部屋をノックもなしに開けるなんて、いい度胸ね?」
「女の子……?」
グレイが怪訝そうに眉をひそめる。アイリはどういう意味だとグレイを睨み付けながら、
「ヒナのことよ」
「ああ、納得した」
殴りたい。いや、斬りたい。そんな衝動に襲われながらも、アイリは深呼吸して兵士へともう一度視線を向ける。兵士は顔を青ざめさせながらも、しっかりと頭を下げた。
「申し訳ございません」
「ああ、もう。いいわよ。用件は?」
アイリが手を振ると、兵士はほっと安堵の吐息を漏らす。そこまで怖いものだろうか。
「魔獣の群れが近づいております。あまりに大群なため、我々では対処しきれず……。勇者様にご協力いただければと」
情けない、というのがアイリの本音だ。冒険者どもは何をやっているのだろうか。
「数は?」
「千は下らないかと」
その数字に、アイリは一瞬口を半開きにして呆けてしまった。だがすぐに表情を引き締める。本来なら、あまりない数だ。普通はそこまで大きくなる前に誰かが見つけ、潰してしまうものなのだが。
だが決してあり得ないというわけではない。時折、魔獣の大量発生で滅ぶ村や町はあると聞く。本当に、十年に一度あるかないかのことだが。
「さすがに多いわね……」
アイリがそんな言葉を小さく漏らすと、不意に視線を感じた。隣を見れば、ヒナは不安そうな目でアイリを見つめていた。
「あの、アイリさん。大丈夫ですか?」
心配そうな声で問うてくるヒナ。心配させてしまったことに自己嫌悪しつつ、アイリはヒナの頭に手を置いた。
「大丈夫よ。護衛にグレイは置いていくから、ちゃんと守ってもらいなさい」
グレイがいれば、もしものことがあっても逃げ切れるはずだ。そう思って言ったのだが、
「違います!」
ヒナが、叫んだ。
「私は! アイリさんの心配をしてるんです! ちゃんと、戻ってきますよね?」
アイリは思わず目を見開いた。こうして心配してくれる人間などもういないと思っていた。ヒナも、少し前の魔狼狩りの時にアイリの力は知っているはずだ。それでもまだ、アイリを心配してくれるらしい。まじまじとヒナを見つめると、ヒナは首を傾げた。
「あの、アイリさん……?」
呼ばれ、我に返る。笑いそうになるのを堪えながら、ヒナの手を握った。
「大丈夫よ。私はちゃんと戻ってくるから。だから……」
そこで、アイリは言葉を止めた。意図的にではない。純粋に驚きからだ。それはグレイも同じようで、絶句してある一点を見つめていた。テーブルの上、転移の魔方陣を。
魔方陣は仄かに光り、そしていつもとは違う魔力の流れをしていた。周囲の魔力を取り込み、どこかへと消してしまう不思議な流れ。
待ちに待った瞬間だ。だが、何故今だ。内心で悪態をつきながら、アイリは扉へと振り返った。
「すぐに行くから出て行きなさい!」
アイリの怒声のような叫び声を受けて、兵士が慌てて飛び出していく。それを見送ってから、アイリはヒナの手を強く握って立ち上がらせた。
「あ、あの、アイリさん?」
アイリの突然の行動。不思議に思っていることだろう。もしかすると恐怖を覚えているかもしれない。だが今は説明している時間が惜しい。
アイリは黒い穴から布製の大きな袋を取り出すと、ヒナへと買い与えた服を放り込む。あとはもしものために、金になりそうな宝石などもいくつか入れておいた。それをヒナへと押しつけるように渡すと、ヒナは怯えたような目でアイリを見つめてきた。
「これ、どういうことですか……。アイリさん?」
アイリは何も答えない。焦っているためだが、ヒナには分かるはずもないので怯えが強くなっていく。グレイすらも何も言わないのだから当然だろう。グレイは魔方陣と部屋の周囲に意識を集中させていた。
「アイリ。急げ。流れが弱くなりつつある」
アイリはすぐにヒナの手を引く。魔方陣の前に立つと、その上に手をかざした。そこまできて、ようやくヒナも事態を察したらしい。だがその表情は、喜びと悲しみが入り交じった複雑なものになっていた。
「あの、アイリさん……」
魔方陣へと魔力を流す。いつもよりも強い光を放ち始める。やはり、向こう側で本が開かれているらしい。
送るなら、今しかない。
「ヒナ。突然だけど、お別れよ」
アイリがそう言うと、ヒナが顔を歪めた。今にも泣きそうなその表情に、アイリは思わず苦笑を漏らした。
「なんて顔をしているのよ。ようやく帰れるのよ? 喜びなさい」
「だって……。だって、せっかく友達になれたのに……。それに、アイリさんはこれから……」
「何を心配しているのやら。私を誰だと思っているのよ。勇者よ? 魔獣の千や一万、問題にもならないわ」
無論、さすがにその数を無傷で倒せるはずもない。だがそんなことは口にできるはずもなく、しかしヒナは察してしまっているようでついには涙を流し始めた。アイリは狼狽えつつも、ハンカチを取り出すとヒナの顔を拭ってやる。
「せっかくかわいいのに台無しよ? ほら、このハンカチも持って行っていいから。私のお気に入りだけど、あげるわ」
「え? でも、そんな……」
「どうせ二枚あるし」
ヒナは一瞬言葉に詰まり、泣き笑いのような表情を作った。
「アイリさん……。それは言わない方が良かったですよ?」
「あら。そう? まあ気にしなくていいわ」
アイリは笑いながら、ヒナの背を押した。
「さあ、帰りなさい。お父さんとお母さんが待っているでしょう?」
アイリが囁くように言う。ヒナは頷き、泣きながらも笑顔で言った。
「ありがとうございました、アイリさん。さようなら……」
ヒナが魔方陣に手を触れる。光がヒナを包み込む。ヒナの姿が見えなくなっていく。
「ええ、こちらこそありがとう、ヒナ。またね」
ヒナが驚きに目を瞠ったのが分かった。すぐにヒナの言葉が届く。
「はい……! また……」
最後にまだ何かを言っていたようだったが、結局それは届くこともなく、ヒナの姿は光と共に消えていた。
しばらくの間、光を失った魔方陣を見つめ続ける。そこにヒナがいるかのように。短い付き合いだったが、いつの間にかヒナのことを大事に思うようになっていた。
「アイリ……」
グレイの声。どこか悲しみの色を帯びたその声に、アイリは小さく笑って振り返った。
「行きましょうか。さっさと片付けましょう」
「そうだな……。行くとしよう」
鎧を身につけ剣を持つ。そしてアイリはグレイと共に部屋を後にした。
・・・・・
誰もいなくなった部屋。役目を終えた魔方陣は静かに残され、そして。
安堵するかのように微かに魔力を漏らし、そしてまた、少しずつ周囲の魔力を吸い始めた。
『一人目 勇者アイリ』終了
ちょっと唐突な終わり方かもしれませんが、これでいいのです。
次回は『幕間 陽奈 一度目の帰還』です。
・・・・・
『一人目 勇者アイリ』登場人物まとめ簡易版
・陽奈 主人公らしき人、病弱?
・アイリ 勇者、敵には容赦しない怖い人
・グレイ 魔狼、暴走しがちなアイリのストッパー役