9
翌日。朝日が昇るのと同時に目を覚ましたアイリは、すぐに身支度を調えた。出発する準備を終えてから、ヒナの体を揺する。ヒナは眠そうにしながらも、起き上がってベッドから出てきた。
昨日村で買ってきたパンをヒナとグレイに渡し、アイリもそれを食べる。手早く食べ終えて、ヒナへと言った。
「時間ももったいないし、行くわよ」
「もう少しゆっくりしていきませんか?」
「却下。早くしなさい」
アイリが急かすと、ヒナは渋々と言った様子だったが立ち上がった。グレイはすでに部屋の外だ。アイリが部屋を出ると、ヒナも慌てたように追ってきた。
「世話になったわね」
一階に下りて村長へと言う。村長はわずかに目を瞠り、すぐに優しく微笑んだ。
「ずいぶんとお早いですな。もう出られるのですか?」
「ええ」
「もし北へと向かうのでしたら、迂回をお勧め致します」
村長の言葉に、アイリは眉をひそめた。目的地へは真っ直ぐ北が一番近い。わざわざ迂回をする必要はないと思うのだが。アイリの表情からその考えを察したのか、村長は困ったような笑顔を浮かべた。
「最近、魔獣の群れが住み着いたのですよ。ただ、今のところ被害は出ていませんから、下手に刺激するよりも迂回した方が良いと思います」
「なるほどね……。ありがとう、そうするわ」
アイリがそう言うと、村長は安堵したように頷いた。その表情に、わずかながら落胆の色があるのは気のせいではないだろう。アイリは踵を返すと、宿屋を後にした。
村を出たアイリは、迷うことなく北へと歩き始めた。ヒナが目を丸くしつつも追ってくる。アイリの行動を予想していたのだろう、グレイは嘆息しただけだった。
「アイリさん、北は危険なんですよね?」
ヒナが聞いて、アイリは頷いた。
「そうね」
「迂回しないんですか?」
「しないわよ。あの村の最寄りの街は北の街なの。通れなかったら不便でしょう。心配しなくても、ヒナはグレイと一緒に離れておけばいいから」
群れの規模は分からないが、かといって放置もできない。今のところ被害は出ていないと言っていたが、それも時間の問題だろう。
「あの……。危険、なんですよね?」
「心配しなくても、貴方はグレイが守ってくれるわ」
何をそんなに怯えているのか。少しだけ呆れたように言うと、ヒナが頬を膨らませた。
「私はアイリさんを心配しているんです!」
アイリは思わず足を止め、振り返った。まじまじとヒナの顔を見つめてしまう。ヒナも怒ったような表情のまま、アイリを睨み付けた。
「心配? どうして?」
「どうしてって……。友達なんですから心配ぐらいします!」
ヒナの叫び声に、アイリは唖然としつつもやがて力無く微笑んだ。とても悲しげな笑顔に、ヒナは言葉に詰まった。
「心配しなくても大丈夫よ。心配する必要もないから。まあ、見ていなさい」
そう言いながら歩き始める。ヒナは首を傾げながらも、その後を追った。
夜に野宿をして、朝早くからアイリたちは再び歩き始める。しばらくすると再び森に入ったので視界は悪い。ヒナはグレイの背に乗りながら、周囲を不安そうに見渡していた。魔獣の群れがよほど怖いらしい。
「アイリさんでないといけないんですか? 他の人と協力したりとか……」
ヒナのそんな問いに、アイリは肩をすくめて答えた。
「被害が出ていたら国の騎士団とかが動くかもしれないけれど、被害が出ていない間は動かないわよ」
「被害が出てからって……。それじゃあ、遅いじゃないですか!」
「そうね。でも、そういうものなのよ」
アイリが話した内容にヒナが憤ったことに、アイリは少しだけ嬉しくなった。かつてはアイリも、同じ理由で怒っていたものだ。だからこそ、アイリはすぐに北の大陸には向かわずに、こうして南の大陸を回っているわけだが。
故にアイリは迂回をするという選択肢は取らない。聞いてしまった以上は、片付けていく。それが自分の道だ。
もっとも、自分一人では手に余るということにも気づいている。魔族との戦争が終わり、魔獣の方へと人を回せるようになれば解決するだろう。だから、旅はヒナを送ればもう終わりだ。魔王を倒し、戦争を終わらせる。それが今のアイリの目的になっている。
「近いぞ」
グレイの声に、アイリは足を止めた。
「どっち?」
「このまま真っ直ぐで問題ない。おそらくは俺と同じ魔狼族だな。勘の良いやつなら俺たちに気づいているだろう」
なるほど、とアイリは頷き、ヒナは心配そうにグレイを見下ろした。それに気づいたグレイが、どうした、と声をかける。ヒナは少し迷いつつも、言った。
「その……。同じ魔狼族なんですよね……。説得とかは、いいんですか?」
「必要ないな。魔獣は獣と大して変わらない。話し合いができるような相手ではない。俺が、良くも悪くも特殊なだけだ」
アイリが悲しげに目を伏せ、グレイは小さくため息をつく。優しすぎる、と思いもするが、それがヒナの性格なのだろう。ヒナ自身が戦うなら問題あるが、守られるだけの今なら気にする必要はない。
「奇襲を狙う必要はないわね。さっさと終わらせてくるわ」
アイリは剣を抜き、駆け出す。
「ヒナ。見たいか? 決して気持ちの良いものではないが」
「はい。見ます」
後ろからそんな会話が聞こえてきて、グレイも駆け出したのが分かった。
周囲を警戒しながらも、アイリは走り続ける。しばらく走り続け、アイリは持っていた剣を右側へと振った。肉を斬る、独特な感触。そのまま振り抜き、襲いかかってきた狼を真っ二つにした。血が噴き出し体を汚すが、一切気にせずにさらに真後ろへと剣を振る。また、血が噴き出す。
その後も、途切れることなく狼が襲ってくる。アイリは一瞬だけ眉尻を下げ、そして次の瞬間には獰猛に笑った。