シナリオ違い
「たとえば、こんな婚約破棄」の番外編。
陽菜目線です。ちょっと変な内容です。
「何だかおかしいわね」
美樹原陽菜は、想定外の事件に首をかしげた。
慎重に情報を集めたはずだった。そしてその中でいくつかの可能性を吟味し、最も良い選択肢を選んだはずだった。
なのに、何かが違う気がする。
「何を間違えたのかしら?」
確かに間違えているはずだ。
でないと江崎浩司が跡継ぎから降ろされるわけがない。そんな事があるわけがない。
何が計算と違った?
「……あ、そうか」
ポンと陽菜は手を叩いた。
「恭子だわ。あの子がいないのがここまで響いてるんだ」
そりゃそうよねと陽菜は眉をしかめた。
あの時。
あんな場所で婚約破棄なんて、まるでゲームか物語の世界みたいだった。すごいものを目の当たりにしている事でつい有頂天になってしまった。調子に乗って、あのちんちくりん娘を邪魔だとさえ思ってしまった。
そして気がついたら、恭子は消えていた。
ハッとした陽菜は浩司には適当な言い訳をし、あとを追った。恭子は運動も得意ではないし、陽菜は陸上選手には負けるといっても足自体は速い。走れば捕まえるのは簡単なはずだった。
だが、去っていく恭子には近づけなかった。
よくわからない黒服が何人もやってきて行く手を遮られ、あなたを近づけるわけにはいかないと冷たい目と鉄壁のガードで遮られた。
そして、こちらに気づく事もなく恭子は行ってしまったのだ。
あれは痛恨のミスだった。
冷静に考えれば、絶対にとるべきでない流れだった。
当初の予定では、浩司に潰された恭子をやさしくフォローするはずだった。
恭子は花嫁修業に全力を投入していて、プライベートの友達がほとんどいないのがわかっている。石上の家族には確かに可愛がられているが、それは末っ子だからだろう。基本的に彼女は凡人であり、ぼっちであり、友達もほとんどいない寂しい娘なのだ。
だが、陽菜は恭子の能力を軽く見てはいなかった。
年単位で江崎の嫁たるべく勉強してきたのが、浩司が言うような家庭内の事だけであるわけがない。おそらくは浩司を補佐するに足る経営学の知識であり、家として懇意にすべきお得意様などの情報であるはずだった。
だから、ここは恭子を手懐けるのが正解のはずだった。
婚約者を奪う事になった非礼を詫び、手なづけて「友達」になってあげる。
自分のような女が友達関係では間違いなく格下の地味子に膝を折ってやるのもどうかと思うが、あれも一応はお嬢なのだ。きちんと例を尽くして詫びれば諸手を上げて喜び、最終的にはいい手駒になってくれるだろう。
そして浩司と結婚し、奥様になるまで自分の補佐の仕事をさせ、そして彼女の知識を自分も学ぶ。
もちろん、学び終わればもう用はない。
さすがにいきなり放り出すのは外聞が悪いから、取り巻きの一人にでも下げ渡してやればいいのではないか?
恭子のような地味子では所詮セレブの奥様なんぞ似合うわけもない。取り巻きの奥さんあたりが分相応というものだろう。そして自分は華やかな世界に。
(そうね、浩司との子のおもりもさせようかしら。メイド似合いそうだし、あの地味顔も、ベビーシッターだったら向いてるんじゃないかしら?)
そんな素敵な未来図のために、頑張ってきたのに。
なのに。どうしてこうなった?
そもそも、ありえない事態の急変は婚約破棄の翌日に起きた。
何とかチャンスを狙って恭子を捕まえようとしていた陽菜は、想像もしなかった情報にフリーズしたのだ。
「いきなりドイツ行きって……そんなの聞いてない」
ハノーバーの黒幕の直接呼び出し?恭子が?
あのちんちくりんの地味子が、世界的セレブの家に孫娘のように愛されている?実際に養女にされかけた事もある?
そんなバカなと思った。
ハノーバーとつきあいのあるのは江崎グループであって、石上は関係ないはずだった。
まさか、ハノーバー家自体とつきあいが深いのは江崎でなく石上だなんて。
「公開情報にそんな事書いてないもんね……まいったわ。ただの小動物かと思ったら、とんだ肉食獣じゃないの」
あんなガキみたいな顔で、遠い異国の名家を陥落してるなんて只者じゃない。
もしかしたら自分の方が逆に、江崎を切り捨てるために使われたのかもしれない。
してやられた。
美樹原陽菜、はじめての大きな挫折だった。
◆ ◆ ◆ ◆
世に天才というものがあるとするならば、まさに美樹原陽菜はその典型例だったろう。
ただし陽菜の場合は、かなり風変わりな天才だった。なぜなら幼少時、自分の頭のよさに湧いている周囲を見て、それは違うと思ったのだから。
『あたまがよくても、なんでもできても、だからって「しあわせ」になれるわけじゃないわ』
そう。
陽菜が天才であったのは、多少すぐれていた記憶力や洞察力ではない。それらを単に自分のリソースやツールにすぎないと認識し、本気で考えている事だった。
たとえ世界一の足を持っていたからって競技で世界一になれるとは限らない。そして世界一になったとしても、それで幸せになれるとは限らない。
トップランナーになったがゆえに全ての幸せを奪われ、自殺したランナーだっているのだ。
「しょうらいのゆめ?およめさん!」
「あら、そうなの?」
「陽菜は控えめだなぁ。天才でもやっぱり女の子なんだなぁ」
「すごいおよめさんになって、すごいだんなさまと、すごいかていをきずくの!」
「だ、だれだ、うちの陽菜にへんな事吹き込んだのは!」
「パパ、パパ、どうどう」
彼女の最大の不幸は、そのあまりにも早熟すぎる思考そのものだろう。
情緒よりも先にフル回転をはじめた頭脳は、自分の家が決して裕福ではない事を知っていた。両親の笑顔の裏には苦労がある事も知っていて、それを解決する方法はないかとも考えていた。
わかりすぎるがゆえに、陽菜は理解できなかった。
この世にある幸せのほとんどは、笑顔の裏で支えあっているもの。掴みとり、全力で守り続けるもの。
そして、生み出し支える苦労を知るからこそ、得られた幸せを心から味わえるということ。
つまり。
かわいい娘を囲んで笑っている彼女の両親は、不幸ではないのだ。いかに苦労していても。
しかし。
そうした情緒面をきちんと理解しないうちに、陽菜は結論を出してしまっていた。
わたしはやる。
わたしのすべてをかけて、さいこうのオトコをつかまえる。
そして、すごくしあわせになるの。
それはもはや、間違っても3つの女の子の思考ではなかった。
トップを独走するほどの学力。幅広い友人関係。
そんな中で観察力を磨き、年月をかけて対話能力も鍛え上げた。
口の悪い者にはチートと揶揄されるほどの存在になり。
頑張り続けて幾星霜。
そして彼女は、江崎浩司に出会った。
当時の彼女は、何人かの男友達を持っていた。
天才プレイヤーは単にスランプなだけで、じっくりと話を聞いてあげていると自力で浮上した。だんだんと孤独になっていたのがストレスを倍増させていたらしい。
音楽家は陽菜にインスパイアされ、新しい曲を生み出した。
皆、それぞれに魅力的だったのだが、何か足りないと思っていた。
そしてその意味が、浩司に出会って判明したのだった。
(ああ、このひと。原石なんだ)
磨かれていない才能。伸びしろのあるもの。
家も魅力的だったが、これから伸びるという存在にも大きく惹かれた。
(この人と一緒に上にいけたら、どんなに素晴らしいだろう?)
陽菜は、最終的なターゲットを浩司に決定した。
もちろん二股などは論外。
だがここで問題があった。男友達だ。
もともと陽菜を嫌う、特に女達にはビッチと揶揄されていた。そして友達の中にも「もしかしてこいつ彼氏気分なのでは」と疑ってしまう者が少し混じっていたのも事実だ。
これはまずい。
遅まきではあったが、きちんとひとりひとり精算していった。
「もしかしたら私の思い上がりかもだけど……わたしはあなたの彼女さんではないの。もしそう思ってたなら、本当にごめんなさい」
ほとんどの者は納得してくれた。
だが逆に激昂してしまい、手がつけられなくなった者もひとりいた。
(なんで?)
それは困ったが、だからといってズルズルと引きずるわけにもいかない。
そうしているうちに本格的に浩司とつきあうようになり、そのまま忘れていってしまって。
そしてあの日。
婚約破棄事件となったのだった。
失敗してしまった。そう気づいていた。
江崎には陽菜の居場所はなかった。浩司の嫁候補という名目で強引に入る事は不可能ではなかったが、どこぞの安っぽい乙女ゲーのヒロインじゃあるまいし、家を味方に付けられなかった時点でゲームセットだろうとも考えていた。
さて、これからどうしようか?
セレブになるというのは一番わかりやすい幸せのカタチだったが、それだけが人生でない事も今の陽菜は知っている。女としてのグレードは多少下がってしまうだろうけど、なに、ロイヤルだけが人生でもないだろう。
それよりも気になる事。
石上家とハノーバー家。
自分のたくらみを、それと知る事すらなくぶっ壊してくれた両家の秘密。
(知ったってどうなるってわけでもないけど……興味はあるわね)
自分を倒した者たちの謎を知りたい。
そう思った。
浩司からの連絡が途切れがちになったその日、陽菜は郷土資料館に足を運んだ。
ネットでわかる範囲の石上やハノーバーの情報は多くない。だけど、それでもいくつかの事がわかった。
石上は、古くは「いそのかみ」といい、古代神道の家系。そして石上神宮は伊勢神宮とならび、日本書紀に登場するほどの日本最古の神宮である事。十種の神宝のような日本神話の根幹に位置するような器物を用い、神事を行ってきた古き一族。
もっとも恭子たちの石上家は分家らしく、今は神社もなく神事も行っていないとの事だが。
ふと、恭子の巫女姿を想像する。
(似合ってるかも)
凹凸が少ない幼児体型も、小さな身体も。想像上で巫女服をまとわせてみると、異常に似合ってしまうような気がした。
少なくとも陽菜では全く無理。
その気持ちが、陽菜の足を資料館に向けさせたのだ。
資料館は閑古鳥が鳴いていた。
所属は地元自治体となっているようだが、どうも地元マネーの臭いがしないと陽菜は思った。もしかしたら石上グループのどこかが作り、中身ごと地元に寄贈したのかもしれないとも思った。
なんというか、手堅く作られている感がしたのだ。ハッタリや無駄が全くない。まるで市民図書館だった。
ただ、さすがに中をゼロから探す気はせず、検索できないかと職員にたずねてみた。
「ああ、これ使えますよ。有志でまとめたものなんですが」
「ありがとうございます」
旧式のノートパソコンを貸し出された。職員の私物らしい。
立ち上げてあるソフトを動かし、石上とハノーバーの名でそれぞれ検索してみた。
(へぇ……やっぱり旧家ね)
資料はすぐに出てきた。
どうやら石上家は、この地域にきた当初は神社をしていたらしい。だがご神木に定めていた木が戦乱で神社ごと焼失した事がきっかけになり、本家に詫びをいれて廃業したのだという。
ただし、昔は何代かにひとりの割合で女の子が本家にもらわれていき、神職になっていったらしい。
まぁわからないでもない。結局、千年の血は水よりも濃いという事だろう。
そうした、昔の巫女の絵姿をしていた陽菜だったが、
「もしかして、恭子はこの『巫女』タイプの子?」
確かに恭子はちんちくりんだが、巫女姿で神事を行うとなると話は違ってしまう。逆にとんでもなく似合うだろう。
資料を追いかけていると、明治時代に本家にいったという少女の写真があった。
「……やっぱり」
その白黒写真に写っているのは、恭子に似た感じの小柄な女の子だった。
しかし、それでも疑問が残る。
少なくとも恭子にそういう、神事の話がきたというのは浩司を含め、陽菜のアンテナには全くひっかからなかった。どうしてなのだろう?
しかし。
「……」
彼女のご先祖様だろう、巫女となった少女の写真に目がいく。
合理的に考えれば、家が同じだから容姿が似ているだけだろう。
しかし、陽菜という人間をずっと支えてきた生来のカンがいうのだ。これには意味があると。
でも、どこから調べる?
「……ハノーバーは?」
いくら石上と昔から仲がいいといっても、ハノーバー家はドイツの家だ。こんな資料館にデータがあるとは思えない。
しかし気がつくと、彼女はハノーバー家のデータを検索していて。
そして。
「……これは」
ちょっと驚くべき情報に、目が丸くなった。
『石上家とハノーバー家について』
両家のつきあいは明治三十四年まで遡る。
最初のきっかけはハノーバーの若きアルベルト。先代の総帥であるが当時はまだ青年で、彼は日本の土着信仰に関心をもち、日本にやってきた。当時この地域には宿泊施設がなかったので、石上家で彼を泊め、そして交流が始まったという。
当時のアルベルトの非公式な会話で、真偽不明だがこのような言葉が残されているらしい。
『イシガミは神職の家系ですか。なんという偶然でしょう。実はわがハノーバーの祖先には、ケルトのドルイドの血が入っているのです』
この発言が事実であったかはわからない。
だが彼がきっかけになり、石上とハノーバーの交流は始まったのはまぎれもない事実だ。
「ドルイドって……ああやっぱり」
手元のタブレットで検索をかけて納得した。
「やっぱり、古代ケルトの司祭じゃないの。あれ、でもハノーバーってドイツ貴族つまりゲルマンよね?どうして?」
陽菜の疑問はもっともだが、これは正しくあり、そして同時に間違いでもある。
ドイツ民族は確かにゲルマンなのだが、そもそもゲルマンという純血な単一民族はない。いくつかの民族がその基板にはあるが厳密なところは不明だし、これがゲルマンだ!という完璧な差異も実はない。そして、どこぞの総統閣下がそうであったように、むしろゲルマン民族という言い方はその時代の支配者が、国をまとめあげるために好んで用いてきた表現にすぎない部分がある。
ぶっちゃけた話、千年単位の昔にケルトの血が混じっていたとしても、それ自体は驚くこともない。貴族としての格に影響するかもしれないが、今もう十八世紀あたりとは違う。どうにでもなる。
どちらの家も、元神職。
今は廃業しているとはいえ、やはりそこは引き合うものがあるのかもしれない。
あれこれ資料を見ていて、面白いものを見つけた。
「あ、これ……」
近年のもので、現ハノーバー総帥もしっかり写っている。近年も続く石上とハノーバーの交流を示す写真と解説があり、今も石上がこの地方では名家とされているのがよくわかる。
だが、陽菜の目を惹いたのはそれではない。
「なにこれ?仮装パーティー?」
日本の光景には見えない。たぶんハロウィンか何かだろうか?
そこにはハノーバー家の面々にまじり、まだ小学生くらいの女の子……おそらくは恭子の写っているものが数枚あるのだが。
「……」
言葉がない。
そこに写っているのは、ファンタジー映画に出てきそうなケルトの司祭姿をした恭子なのだが。
「……反則でしょうこれ」
似合ってる、なんて生易しいものではなかった。
その隣にいる、日本の神主さん姿のハノーバー総帥も確かに似合っていたが、恭子のそれは似合いすぎだった。あまりにも自然過ぎて、そこだけが仮装パーティーに見えていない。
おそらく撮影者も同じ意見だったのだろう。イベント風景の写真のはずなのに、恭子の写真がやたらと多い。
そしてその全てに、にこにこ笑顔のハノーバー総帥が写っている。
「……ふう」
しばらくそれを凝視したあと、陽菜は身体を起こした。椅子にもたれて、背もたれがギシッと小さな音をたてた。
「……まいった」
自分の額に手をやり、ためいきをついた。
「こんなの勝てるわけないでしょ……もう」
脇役を体よく利用して成り上がるつもりが、逆だった。
相手は歴史とファンタジーものの主人公でチートもち、しかもこっちはただの一般人。
いったい、どうしろと。
こんなもの、そもそも勝てるわけがない。
なんという無様な見込み違いだろうか?
「……帰ろ」
資料をきちんと片付け、パソコンを返却した。
世話になった職員に挨拶をする際、ふと思って陽菜は「また来ます」と言った。不思議な事だが、この地味なはずの資料館の雰囲気が妙に気に入ってしまったのだ。
せっせと資料をまとめ続けるような地味な仕事は、以前は興味がなかったのだが。
思えば、こういう仕事は派手さこそないけど、確実に成果を積み上げられる仕事ではないだろうか?少なくとも、男と男の間で相手の顔を伺い、綱渡りするよりも健康的で良いかもしれない。
(まぁ、そのうた飽きるかもだけど)
またこよう。
そう思いつつ、陽菜は資料館を後にした。
しかし彼女は最後にもうひとつ、身から出たサビを忘れていた。
そう。
ちゃんと精算しきれなかった男のひとりが待ち構えていて、彼女は拉致されてしまったのだった。
「……もうやだ。地味でもいい、堅実な未来ぷりーず」
男のご機嫌伺いなんてもうこりごり。
彼女はそれを声に出さず、がっくりとうなだれたのだった。
(おわり)