ヴァルレイ王国と4つの街
俺がようやく泣き終わるとグレイアは俺をゆっくりと離してから親指で頬をまだ少し伝っていた涙を拭ってくれた。
「私のことを本当のお姉ちゃんと思ってくれていいのよ?」
「え……本当にいいの?」
俺は元の世界で一人っ子だった。『お姉ちゃん』という存在を些か憧れていた時期もあり、胸が高鳴った。
「もちろん! 私はワルゾン家の一人娘でね、吸血鬼はなかなか子供が産まれないから珍しいことじゃないんだけど。昔から弟がずっと欲しかったの。それに今、王族はあなたしかいないの……だから」
「うん! ありがとう。グレイアねーちゃん! それとできれば名前で呼んでほしいなぁ、なんて」
「ええそうね、ジン」
「うん!」
俺のことを少し同情もしているのだろう。おそらく俺はこの王城に住めるとしても、家族がいない生活は孤独だろうと。でも俺は『お姉ちゃん』と思ってくれていいと言われて素直に嬉しかった。
グレイアねーちゃんの表情は慈愛に満ちて、瞳は真剣で真っ直ぐ俺を見つめてくる。この人なら信用出来そうだ。俺はもう21歳になるが、姿が5歳程になってからは急に精神年齢も下がって来たような気がする。
「お話は聞かせて頂きました」
「ぅわっ!」
突然何者かが俺達の横に風の音と共に現れ、びっくりしてグレイアねーちゃんにまた抱き着いてしまった……おっぱいが凄いやわら、じゃなくて、いろんな人に見られてちょっと恥ずかしくなったので離れよう。
グレイアねーちゃんの後ろを覗けば、犬耳兵士達がいつの間にか立ってこちらを見ていた。彼らが動き出さないということは身内なのだろう。俺とグレイアねーちゃんも立ち上がって現れた彼女の方を向いた。
片膝になって現れたのはくノ一風の黒い恰好をした肩に掛かるほどの黒髪の少女だった。彼女はどこからともなく本当にいきなり現れた。
ん?見たことあるぞ……確か最初に起きた時に俺の目の前にいたあの超絶美少女だ。彼女は一体どこから……それに体には何か黒い靄のような物が纏わり、漂っている。黒い靄は霧散していくようだ。グレイアねーちゃんの紅い髪もなかなかだと思っていたけど、この黒い靄を纏うのもファンタジーな感じがするなぁ、かっこいい。
「私は八咫烏の“グロワール”、八咫烏統括将アカリ・ミチシルベと申します。ジン様のお側役として、これからよろしくお願い致します」
「うん、こちらこそよろしくね。ミチシルベさ……アカリはそのぉ珍しい名前だね。どこか遠くから来たの?」
俺は敬称を付けなくてもいいというグレイアねーちゃんからの忠告を思い出して言い直した。
また出てきた“グロワール”。八咫烏かぁ。
たしか三本足の烏の妖怪だったと思うけど、人の姿してるもんなぁ。
それに吸血鬼の国に八咫烏がいるなんて何か理由がありそうだ。異世界まで来て日本人っぽい名前を聞くとは思わなかったし。そもそも日本あるのか異世界。
あ、俺と同じような異世界からの転生者もいないとは限らないんだよな。
「私の出身はここヴァルレイ王国ですが、先祖はここから遠く海を渡った極東の地から移り住んだと聞いております。……何かお気に召されぬことが御座いましたか?」
「いや!そういう訳じゃないんだ。極東の地かぁ、いつか行ってみたいな。それとそんなに丁寧じゃなくても俺は怒らないよ?」
はぁーなるほど、ちょっとわかってきたぞ。ここは地球で言うところの妖怪とかがいっぱい住む世界で、彼らは人のように生活しているんだ。理由はわからないけど。
「……そうですね、私もご先祖様がどういう所で産まれ育ったのか、見てみたいです。申し訳ありません……こういう喋り方しか出来ないので」
「そ、そっか!無理強いはしないから安心して」
アカリは終始無表情だったけど、今は少し落ち込んでいるみたいだ。きっととても礼儀正し過ぎる娘なんだな。俺も女の子を困らせるなんて経験があまりなくて動揺する。そもそも女の子と喋った記憶すら危ういんですがね。
「アカリはこういう子なのよ。いい? ジン、臣下と分け隔てなくするのはいいけど、礼節は王様の威厳を保つために必要なの。だからせめて敬語を解かせるのは私やアカリと同じ、種族統括将までに留めておきなさい。あ、他の人と仲良くするな、って言ってるわけじゃないのよ?」
「うん、大丈夫わかってるよ。ありがとうグレイアねーちゃん」
グレイアねーちゃんにこうやって教えて貰うのもなんだか嬉しい。他にも種族統括将って言う人がいるんだなぁ。んー、グレイアねーちゃんは特別なんだろうけど、きっとみんな“グロワール”とかいう力を持っている人達なんだろうな。で、俺もそれを持ってるらしいけど実感が全然湧かないわけだ。“グロワール”って何なんだろう。
「いいえ、どういたしまして。それとアカリのような八咫烏達はね、護衛、斥候、諜報、暗殺のスペシャリストなのよ。きっとさっきもどこかに隠れて出るタイミングを計っていたに違いないわ」
グレイアねーちゃんは少し笑みを浮かべながら探りの目をアカリに向けると、ギクッとアカリは体を震わせ目を背けた。
「じ、実はずっとあの玉座の後ろに隠れていました。陛下を狙う影あらばその影を断ち切ろうと思いまして。しかし、陛下やグレイア様がお話になられ始め、気付けば私はどのタイミングで出て行けば良いかと……」
これには俺も、遠くで聞いている犬耳兵士達も驚きを隠せない。アカリは恥ずかしいのか頬がちょっと赤い。あ、うん、グレイアねーちゃんの大きい胸の中でかなりの時間俺泣いてたしね、わかるよ。
『ずっと』って昨日の夜からかな、この娘本当に本物だ。
ここでグレイアは色々と準備があると言って王の間を後にし、ならばとアカリが今日はこの王城を案内してくれると言うので俺は彼女に付いていくことにした。
王の間を出てアカリはわかりやすくこの王城の構造を少しずつ教えてくれた。王の間を出て真っ直ぐ延びる横にも広い廊下の両側には、応接間や客室が並んでいた。
紅いカーペットと黒い石壁、等間隔に釣り下がる蝋燭のランプが目に留まる。時々、使用人と擦れ違うと立ち止まってお辞儀をされた。
なんか、ごめんなさい大した人間じゃないんですよ、俺。そんな恭しくしないでも……と言いたくなる。
俺達が今いるこの建物の2階から10階にはグレイアねーちゃんが働いているという魔道具の研究所があるようだ。
この『吸血鬼の城』は基本的に吸血鬼ばかりいる建物らしい。
中には混血の人もいるようだが、姿や能力は親のどちらか片方になるのが一般的なようだ。
ちなみに俺の住む場所は王の間の玉座の横にある扉を通って、奥まで進み塔の最上階まで行くとあるらしい。そこはあとで案内してくれるようだ。
「この王城は種族毎に別れた構造をしています。この国の種族は主に吸血鬼、八咫烏、雪人、フェニックス、ファフニール、アルミラージ、バハムート、マンティコア、フェンリルで構成されています」
うぉおお!! 錚々(そうそう)たるメンバーだ。濃い、濃すぎるぞ異世界。
「なんかすごいね。種族ごとに城が別れてるっていうことは……全部で9棟の城があるってこと?」
「はい。全てこの敷地内にあります。お互いの城の距離は歩いて1分もかかりません。とても近いですよ、地下では繋がっていますしね」
「へぇー! 面白いね!」
「この城を下から支えるのは元々そこにあった超高硬度の鉱石の塊です。魔道具を使い、少しずつ削って通路や緊急非難用のシェルターなどを作ったんです。ここは吸血鬼の王城1つを中心にして花弁のように周りを8つの城が立っているんです」
「んー……ってことは王城かなり大きそうだね」
俺達は吸血鬼の城を出ると太陽が迫り出していて、澄み切った青空が見えた。頬に風が当たり髪をかき上げていく。
長い石の階段を降りて顔を上げ、反時計周りに9つの城を先ほどの順で外から城を眺めていく。あー、9つ全ての城を上から見ると確かに花弁が8つある花見えるんじゃないかなぁ。もしくは『*(アスタリスク)』型とでも言えばいいだろうか。
どれも黒っぽい煉瓦造りの雰囲気があるお城だ。
花弁と評した8つある方の城は真横から見ると『縦横同じくらいのL字』型をしている。
マンションのような立方体の部分だけでも10階建てはありそうで、屋根が三角にかなり角度が付いている。
八つの城の外側の端からは円柱の塔が伸びていて、その上に四角錐に尖がった屋根が付いている。
塔も加えると20階くらいありそうだ。
真ん中に聳え立つ吸血鬼の城も他と似たような形だが、王の間の分、縦に大きく、他と比べて抜きんでて塔の背が高い。
吸血鬼の城は塔を含めて25階くらいありそうで『縦の方が長いL字』型をしている。
そして9つの城の周りは、城の下半分ほどの高さ、5階分程の厚くて頑丈そうな塀が円を描いてぐるりと囲っている。
見回すと統一感とスケールの壮大さ、荘厳ささえ感じて圧倒される。端的に言うとヨーロッパのお城を巨大にしたような感じだ、行ったことないけど。
ん? 大きい鳥かと思ったけど、よく見ると人が飛んでるぞ!
城の上空を背中に翼を生やして空を叩き、自由に駆けていく。
数人がちらほらと城から城へ、黒や赤色をした翼を羽ばたかせ空を渡って直接、城の間を移動しているようだった。
よく見れば、城の側面にところどころ扉が付いている。
そうだよね、翼があるならいちいち一階まで歩いていくわけないよね。
すげぇ……なんて羨ましいんだ。異世界への興奮が冷めやらない。
「そんなに上ばかり見ていては足元が疎かになりますよ?」
「おっと、そうだね。お? もしかしてあれが城下町?」
城と城の間を突き抜けてそこにそこにある大きな開いている門も越えた先、茶色い煉瓦造りの小さくなった街並みが俺の目線よりも少し下の方に見えて、奥まで広がっている。
「はい。人口約3万人。首都イグノバルンと言います。総人口約8万人であるヴァルレイ王国の中で最大の都市です」
「へぇー! こんなに大きな城だけど人口はそうでも無いんだね、むしろ極端に少ないかも」
もしかしたら中世なら多い方かもしれない。
「このような小さな国で大きな城を建てられた理由は、主に魔道具にあります。ヴァルレイ王国は高度な魔道具の技術力で他国を寄せ付けない程の貿易力を有しており、それにより外貨を多く得られるのです。魔道具技術力を持っている吸血鬼やフェニックス。農業に優れたアルミラージ。食べ物の加工に優れた雪人。他国から攻め入られる際、察知能力に優れた八咫烏。高い迎撃能力と抑止力を持つファフニールやバハムート。街の治安維持能力に優れたフェンリル。猛毒が治療薬にもなるマンティコア。種族間でも数にかなりの差はありますが、ヴァルレイ王国はお互いを支え合って繁栄を極める国にしようと、少人数の種族達が集まって建国されたのです。その最も中心に居られた方が、ジン様のお父上、ジオノール・ヴァルレイ初代国王様なのですよ?」
聞けば聞くほど豪華なんだよなぁ、数がいないのもわかる。整い過ぎててなんだかすごい安心したよ……何か不足の事態が起こっても対処できそうなメンバーだもん。雪人の『食べ物の加工』って何なんだろう。そもそも雪人ってスノーマンとか雪女ってことかな?
「そうだったのかぁ、じゃあ俺が2代目なんだね」
「そうなります。それにここは水も豊かで、地下を流れる龍脈がとても強いので農産物の育ちもいいんですよ。普通の3倍は大きいのです!牛や豚も放牧されていてお肉も安定的に食べられます!」
アカリのテンションが上がって来たよ!
俺は街の方を向いていた顔を、右側に立っていたアカリに向けた。真剣な表情で右手の指を3本上げてから両手の拳を胸の前に持ってきて力説されてしまった。アカリは食事が大好きな娘のようだ。よく食べる女の子は可愛い。
このとき身長差で俺は彼女を下から見上げるようになる。おっぱいは控えめだがくノ一風の恰好は引き締まった二の腕や太ももが露わになり、露出が多くて薄い生地の黒い和服、いや浴衣の方が近いだろうか。見様によってはかなりエロい。肌が白いからそのコントラストがまた最高だ。日本でもこんな黒髪美少女見たこと無いんじゃないか。
「やったぁ! 俺も食べるの大好きなんだ。楽しみだなぁ」
「この王城からも牧草や野菜畑が見えるので行ってみましょうか?」
「うん、行ってみよう」
俺はアカリに付いて行くとそこは王城の裏門の方だった。門番の犬耳の兵士が二人立っていて、裏手の城門を開けてもらった。
両開きの扉が開かれるとそこには石造りの下り坂が100メートル程続くと、横に長い大きな二階建ての建物と広い更地があった。視線を上げて遠くの方を見ると、やや右側に緑の線のように見える広大な牧草地が見えてきた。
「あちらの牧草地帯には先程の話に出てきた牛や豚が飼われている所で、『ニュグボルン』という街があります。そしてその左手に見える茶色の大地は野菜などを育てている『パーブルン』。そしてここから左手に見える山は鉱山でして、魔道具の作成には欠かせない魔導石の採掘が行われている『エクドベルン』があります。首都『イグノバルン』と合わせて計4つの街で、この『ヴァルレイ王国』は構成されています」
あとは『――“ビ”ルン』だけだね。などと余計なことを考えてしまった。こんなに近くにもう見えてしまうのか。街自体はちょっと見え辛いけど平原や畑に建物が少ないから点のように少しだけ見える。俺の目が良くなったせいもあるかもしれないけど国土は数十キロ、百はまず無さそうだ。街が固まっていれば輸送コストも下がるけど、そんな国土でよく8万人の食糧を賄えるなぁ。それほど土地が良くて、食物も特殊なのだろうか。
「じゃあ魚は採れないんだね」
「このヴァルレイ王国は海には面しておりません。川魚を少ししか取れませんので海の魚を隣国であるシエラパトン王国からの輸入に頼っています。量としては肉に比べるとかなり劣りますが」
「ここ(ヴァルレイ王国)は内陸の国なんだね。魚かぁ、保冷剤がないと夏は厳しそうだよね……」
「ほれいざい? ですか? 夏は魔導具で魚を冷やして、空や街道を八咫烏やフェンリルやマンティコアが輸送していますよ」
「あっ! ごめん何でもないよ! へぇー、魔導具はそういうことに使うのかぁ」
保冷剤の代わりに魔導具を使っているのかぁ。もしかして、冷蔵庫みたいな感じなのか。ってことは魔導具は家電のような働きなのか、いや、それが出来るならいろいろ応用は出来そうだ。みんな動物の妖怪だから馬車を使うというよりは自分で引っ張ったりするんだろうか。
俺の左側にいるアカリは上空を見て静かに微笑んだ。
「ジン様、あちらの空をご覧ください」
俺は言われてアカリの指差す方を見つめた。
上空には翼の全長が10メートルはありそうな黒い鳥が木の箱に付いた金具にロープを括り、三本の脚で吊り下げているのがわかる。
それが“八咫烏”だと認識するのに時間はそう掛からなかった。
荷物を運んでいる八咫烏は物凄い速度でさっき聞いたパーブルンという街の方からこちらに飛んで来て、一瞬で俺の左の視界にある王城の塀の外側を掠めて飛行していった。
おそらく、あの木の箱には野菜がぎっしり詰まっているのだろう。
んー……かっこいい、俺も飛んでみたい。やっぱり妖怪の姿と人の姿は使い分けたりしてるんだな。さっきの城と城の間で飛んでいたのは人の姿に黒い翼が生えていたし、ここにいるアカリには今、翼がない。妖怪三変化ということか!
「すごい早かったね!」
「はい。きっと野菜の出荷ですね。今日の朝採れですよ、おいしそうです」
太陽が真上に来るにはまだ早い。今はまだ朝であり、あの飛んで行った八咫烏が運んでいたのはついさっき採れた野菜で市場かどこかに持って行ったのだろう。
アカリは目を静かに輝くせて飛んで行った八咫烏、もといその野菜の入っているであろう箱を目で追っている。既に城が壁になってしまって見えなくなっていても見通しているようだった。
そういえば、昨日の夜からずっと起きてるから眠たかったりお腹が減っていたりしないのだろうか……なんだか申し訳なく思う。
「そうだね。アカリは昨日から寝てないんでしょ? 俺のことはいいからそろそろ寝てきなよ」
「いえ、私は寝ながらでも敵を察知できるのでご心配には及びません」
アカリは振り返り、自身満々とばかりに目を瞑り、口に笑みを浮かべている。
まじかよこの少女、見た目的には10代後半かなって感じなのに……デキル!
「さ、さすがだね……じゃあ、お腹減ったりしてるんじゃない?」
アカリはハッ!と身を驚かせた。実にわかりやすい、八咫烏統括長なんていう大層な肩書があっても中身はまだ少女なのだろう。
「そ、そうですね。そろそろ朝食を食べたいです。お城に戻って朝食を作って頂きましょう、ジン様もご一緒に」
「うん、楽しみだなぁ」
無一文のスタートだから王様という地位があって本当に助かったよ……そういう意味で異世界ってギャンブルだよね。
俺の着ている服は足元まである黒いローブの内側にポケットが2つあるのみだが、そこにはもちろん何も入っていなくて心許なかった。
服があるだけまだマシだけどさ。
城に戻る道ではひたすらアカリの後ろを付いて歩き、まだよくわからない王城を迷わないように注意は払うのを忘れない。
アカリは吸血鬼の城へ、先程出てきた所とは真逆に位置する城の塔、大きさと豪奢ささえ除けば裏口とでも言えるような扉を開けて入って行った。
裏側にあるのにとても立派なものできっと物を運び入れたりもするのだろう、扉は大きかった。
吸血鬼の城へ入るとここにも黒い石が敷き詰められていて、左側には地下へ続く階段があるのが見えた。しかし、アカリは直進し、またすぐにある扉を開けると紅い絨毯が敷かれていた。
そこはおそらく外からも見えた王城の一番高い塔のある場所だった。塔の真ん中はすっぽりと穴が開いていてその周りに螺旋階段が掛けらている。
天上は遥か上にあり、王の間の上にあたるであろう場所に扉が付いていて、その上も直線上に何個も扉が付いている。反対側には小窓がまた一直線に並んでいて塔の内側に太陽の光を取り込んでいる。
アカリは塔の真ん中に立つと、背中の黒い着物にある二つの縦の切れ目から、八咫烏の黒い翼を出した。その翼は繊細で力強い。翼を広げたアカリは闇に呑まれるような感覚と太陽のような安心感を兼ね備えたような美しい姿だった。
「あ、ジン様は飛べますか? 今からここの10階まで飛んで行きますが」
アカリは後ろにいる俺に振り返って問うが、その様もまた優雅であり、折り畳まれた翼から微かに扇がれ、風が俺の髪を揺らした。
しかし、困った。飛べるかなんて……たぶん無理、絶対無理!
「う、うーん……飛んだことないからわからないけど、たぶん無理かなぁ」
「そうでしたか。では今度飛び方の練習をせねばいけませんね。私がお教え致します。では今日は階段を昇りましょうか」
「ありがとう! それはぜひお願いしたいな。でもアカリは飛べるんだから先に行ってて。俺は階段昇ってすぐに行くから大丈夫」
俺も飛べるようになるのだろうか、という疑問を置き去りにして、俺はアカリの返事を待たずに入ってきた入口の右側から始まる左り回りの階段を駆け足で昇って行った。
一段一段が5歳の足では大きく感じる。黒い石の螺旋階段も紅い絨毯は敷かれていて、あまり使わないのか将又新しいのか、とてもふわふわしていた。
10段目を超えて目標の10階を確認しようとしたその時、真後ろから声を掛けられた。
「私がお運び致します」
「え? 『お運び』ってどういう……ぉわっ!!」
こと? と聞こうとしたら飛んできたアカリに後ろから抱きしめられるようにして持ち上げられた。
すると足からの地面の感覚がなくなり浮遊感が訪れ、先ほどまでいた階段が視界の隅に遠ざかっていく。塔の真ん中の空洞をアカリは黒い翼を羽ばたかせ、みるみる内に天井が近くなっていく。八咫烏の羽ばたく音が塔の中を木霊した。
そっか俺5歳の体だもんな、軽いよな、小っちゃいよな……幸せ。
アカリの控えめなおっぱいが背中に当たってそれをラッキーだと思ってしまう自分が情けなかった。善意で俺を運んでくれているであろうアカリにまた申し訳なさが出てきてしまうが顔は綻んでしまう。こんなことをされるのは初めてで、なんだかむず痒くなる。
そうこうしている内にすぐ、天井近くの10階の階段の踊り場まで辿り着いてしまった。
背中に伝わる少しの弾力と暖かさ、体を寄せるアカリのすべすべの白い両腕の感触、左耳に吐息が掛かる程近くにあるアカリの顔、仄かに香る淡い少女の香り、全てが名残惜しい。
もっとこうしていてほしいのに……。
「着いてしまいましたね……私は手が塞がっているのでジン様が扉を開けて下さいませんか?」
「う、うん。いいよ」
なんで俺を降ろさないのだろう……と思っていたのだが、手を伸ばしてもなかなか扉の取っ手に届かない。
すると、アカリの頬が俺の左頬を撫でるように少し触れたような気がした。
「どうしたの? アカリ、もうちょっと近づいて少し屈んでほしいな」
「っ、すみません」
アカリは屈み、俺は吸血鬼の城の塔の10階にある、黒く塗装された木製扉の取っ手捻り押して開け、俺達は部屋に入って行った。
女の子は続々出てきます。ご安心を。