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Bloody War Cry ~吸血鬼の王に弱点はほぼない~  作者: イーリス
第二章 紅黒の王
12/27

一夜の革命 前編 ― 出立 ―

二日続けての投稿です。

今回は話を分けています。

 グラードに破壊された黒い石造りのテラスは、所々に目立たない焦げ跡を残しつつも、今はピカピカになっている。ガラス窓はまだ付けられておらず、吹き抜けとなった豪華な団らん部屋に涼しい夜風が舞い込んでいる。

 “グロワール”の男女がテラスに集結し、少女達がテオーリア王国へ飛び立つ俺達の見送りに出て来てくれていた。

 グレイアねーちゃんが心配気な表情で大きな胸に手を当て、俺の前まで来てゆっくり立ち止まった。

 俺は少しでも安心させたくて、微笑んだ。


「それじゃあ、行ってくるよ」

「……今でもまだ間に合うわ、行くのをやめてもいいのよ?」

「ううん、大事な(ひと)仕事を終わらせてくるよ」

「そう……本当に気を付けてね」

「うん」


 俺は棺から出てきた時に出て来た時に身に着けていた黒いローブと上下を着ていて、その腰には小さな皮袋と中に書類が入った筒を引っさげた。中には彼女達からもらった“大切なもの”が入っている。

 俺とグラードとエンディは(ひるがえ)り、テラスの端まで行った。各々(おのおの)の異なる翼を広げ、満月が浮かぶ空に羽ばたく準備をする。

 飛び立とうとした瞬間、後ろから彼女達の声が耳に届いた。俺は顔のみで少し振り返り、彼女達の言葉を胸にしまい込む。


「成功した暁には祝杯を上げようぞ」


 祝杯か、それもいいかもしれない。エイルはお酒が好きなのかな。


「あたたかいご飯をたくさん作って待ってるから、道草せずにおうちに帰って来てね」


 ムヒョウが珍しくしんみりしている……本当は俺を行かせたくない、と思ってくれているのだろうか。


「無事に帰ってきたらご褒美をあげてもいいわよ?」


 フェリティアのご褒美とは何でございましょうかッ……!? 俺がせっかく、これから戦いに向かう格好いい男の雰囲気を醸し出しているのに、ご褒美の内容を想像して顔がニヤつきそうになったぞ。危ない危ない。


「わっちもそのときは……ジンにあげたいものがある……かもしれん」


 こちらも珍しくリリルの歯切れが悪い……でも何をくれるんだろう、すごく気になる。


「ジンならきっとできる! メリッサは本当にそう思ってるにゃ!」


 メリッサは俺を信じてくれているのか、嬉しいな。


「本官もそう思っているであります! ジン陛下が神速(しんそく)で敵をバッタバッタ薙ぎ払う姿が目に浮かんでいるであります!」


 神速かぁ、なるほど、本当に読んで字の如くでそうかもしれないな。ハウはなんだか楽しそうに話してくれる。俺を正義のヒーローのような存在として見てくれているのだろうか。


「わたしも陰ながらですが、ジン陛下を応援しております。今、彼らをお救いできるのは、ジン陛下だけかもしれません。他国の民をお救いしようとするのは、ジン陛下の心の(うつわ)がこのヴァルレイ王国に収まらない程、大変大きいからなのでしょうね」


 心の(うつわ)……自己評価で言えば湯呑の裏の(くぼ)みくらいかな、なんて思ってるんです。アリーシェが思ってくれている程、俺は寛大な心を持っているわけじゃないんだ。それでも、そう言ってくれるとありがたいかな。


「全統括将並びに姫巫女は、ジン様のお早い帰国を願っております。どうかお気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 アカリは物凄い丁寧な口調で、心情を表に出さないように中で殺しているのかもしれない。言い終えると深いお辞儀をして、なかなか顔を上げなかった。

 俺は再びテラスの外に向き直り、月明かりが差す夜空を見上げた。


「ヴァルレイ王国、第2代国王、ジン・ヴァルレイがここに宣言する。明日の暁が昇る頃、この王城に必ず帰る」

『ハッ!』


 みんなの返事を聞くと、俺は翼を広げ、空気を叩いて空へと飛び出した。後ろから、グラードとエンディが俺の後に続く羽音が聞こえる。

 八咫烏の護衛は断り、俺達は3人のみでテオーリア王国へと続いている夜空を、闇魔法の<姿くらまし>を発動し、飛行した。


 そういえば、バーニアは何も言ってくれなかったなぁ。

 最後の返事はしてくれたけど。


 ◆


 ヴァルレイ王国の王城を出てから30分程経過し、今はゴドアズ帝国の上空にいる。夜の目視飛行というのはレーダー等がないと普通は危険だし、自分がどこを飛んでいるのかもわからなくなってしまう。しかし、今日は月が出ているし、俺は吸血鬼の眼を持っているから、視界は極めて良好だ。

 ゴドアズ帝国はゴブリンとコボルトの国、飛行可能な種族はほぼいないからそろそろいいかもしれないな。


「グラード、エンディ、俺はそろそろテオーリア王国の王城まで風魔法を使って加速する。2人は後からテオーリア王国に入るといい。後は手筈通りによろしく」

「やはり……私も王城に攻め込んだ方がよろしいのでは……?」

「それはもう何度も断ったでしょ? 俺がなんとかするから大丈夫」

「ジン殿ッ……! 本当に、今回はなんとお礼をすれば良いか……」

「まだそういうのは早いよ。全てが終わってから、同盟の件、楽しみにしているよ」

「っ、ハッ!」


 俺は右斜め後ろの空間にいるであろうグラードに、誰も見ることができない笑顔を向けた。

 するとその少し前から、エンディの声が聞こえた。


「ジン陛下、本当にお気をつけて……」

「うん、ありがとう。それじゃあまたすぐ後で」


 俺は黒いローブのフードを深く被り、2人の飛行の邪魔にならないよう少し上昇してから、翼に魔力を込める。俺の吸血鬼の翼を覆うように、魔力の翼が延びていく感覚が伝わってくる。


 一気に加速し、身体に一瞬Gが掛かるが、すぐに力の流れに乗る。高度を高めに取り、真っ直ぐテオーリア王国の王城へ進路を取りつつ、速度を更に上げていく。


 一応、念のために姿くらましは続けたままだ。

 最初は他の人に大きい魔力の翼が見えてやしないか、とも心配したが、大丈夫そうだった。知識にあるジオノールの魔力の翼より、俺の方が5メートル程大きいことから、ジオノールの知識がこれに関しては役に立たなかったからだ。


 まずはテオーリア王国の王城を叩く、そしてその王にサインさせた後は、すぐにテオーリア王国の東側に位置する旧ユド王国の王城に書類を持って行き、城や土地、国民を取り返さなければならない。


 グラードとエンディには、その旧ユド王国の王城へ向かってもらう。

 俺は宣言した以上、明日の暁が昇る頃までにヴァルレイ王国の王城まで帰らなければいけない。今はおそらく夜の7時頃、魔導具の腕時計は持って来ていないため、正確な時間はわからない。とにかく、急がねば。


 ◆


 飛行は全く苦痛ではなく、むしろ楽しい1人だけの遠足気分だった。眼下には土が剥き出しになった大地とたまにある林、右側の遠くの方に切り立った山が(かす)かに見えていた。そんな景色が2時間程続いたが、それも一端終わる。


 前方には森林の大地が広がり、ここからがテオーリア王国の領土のはずだ、とジオノールの知識がそう教えてくれる。

 俺は減速することなく森林の上空を突っ切る。


 身体が剥き出しのまま、高速の空での移動は風の抵抗や気圧の関係でひどい目に遭うかもしれない。しかし、ジオノールもいろいろ考えていたようで自分の前方に魔力の薄い膜を作ることで空気を取り込みつつ空圧に顔を歪めることもなく、飛行することができている。温度もこれでなんとかなっているのかもしれない。


 あとは服の影響があるか、俺が着るのはどれも高機能な服ばかりで、凄すぎた。気温調節もそれなりにやってくれるし、伸縮も自在にできる。こういう高機能な服は最初、人から他の生き物の姿に変身可能な種族のために発明された魔導具だった。


 変身する際にいちいち服を脱いだり破いたりするのは大変だろう、そのまた逆も(しか)りということで、魔導具の研究所の職員達は考えた。それはアルミラージの緑属性の魔法を応用して、服を自在に伸縮させるという技術だった。変身するとき延ばすことも出来るし、腰のベルトやネックレスなどに形を変えさせることもできるという(すぐ)れものだ。

 今ではヴァルレイ王国の重要な収入源の1つとなっている。


 俺の能力が覚醒した時、子供から大人の姿になったのにも関わらず、服が破れなかったのはこの技術のおかげだ。変身するするときの魔力が強すぎて、触れてもいないのに魔導石であるボタンが反応したんだな、きっと。


 そんな事を考えながらも下を眺めていると、チラホラと家や畑などが見えてきた。テオーリア王国はヨルムンガンドと奴隷化されたガルグイユとウェンディゴの種族が住む国だ。


 テオーリア王国の中央部に位置するこの辺に住んでいる人々は、おそらくヨルムンガンドが大半ではなかろうか。

 もしいたとしても、ガルグイユやウェンディゴは大規模農場では労働力として、豪族の屋敷やもう少し先の王都にあるような貴族の屋敷では、使用人としてこき使われているのだろう。給料、休日、休憩もほとんどなしで……という感じなのだろうか。


 (つら)いな……グラードとユドはまだ平民レベルの暮らしをしていたようだが、自分達の種族の悲惨な状況を打開したいと、いろいろと悩んでいたのだと思う。


 もし内乱なんかを起こし、また負けて日には、今度こそ種族が絶滅してしまう。


 でも俺が正体を隠して勝利すれば『謎の暴君がガルグイユとウェンディゴを救った』ということになるだろう。


 ◆


 それからまた1時間程すると、前方に1万人規模の大きな街と、よく見るような普通に大きなお城が見えてきた。途中、ヨルムンガンドの兵士と思われる飛行する数人の集団を見かけたが、軽くスルーしておいた。


 あれが王城かな。

 吸血鬼の城と同じか、または少し小さいというくらいの大きさだ。さて、王城蹂躙大作戦、開始といきますか。


 俺は風魔法を解除し、<姿くらまし>は継続させたまま、街の上を通過し、王城へと(ゆる)やかにに降下していった。


 眼下の街並みはヴァルレイ王国と比べれば大きさにこそ差はあれ、建物自体の質に大差はないように思える。


 俺はとりあえず、王城の大きな三角屋根の(へり)に降り立った。


 直接、ヨルムンガンドの王に会いに行ってやろう。王がいる部屋はどこだろうか……大抵は広い奥の部屋だったりすると思うんだけど。


 王城の入口が見えた方とは逆側に、歩いていく。俺が歩く左側には、地上10階分程の高さの景色が広がっている。そこから見える火の色をした街明かりがぼんやりとしていて素直に綺麗だ、と感じる。


 歩いている方向には2階分程の煉瓦の壁があり、その上には塔が立っている。その壁には俺の目線よりも少し上の方に横に窓が等間隔に5枚付けられていて、中から蝋燭の明かりが差している。それぞれが別の部屋かもしれない。


 身体を少し左の外側に傾け、壁の左側面を覗いてみると、そこにも窓があるようで、中からは蝋燭の明かり窓枠を少し照らしているのがわかった。


 どこが“当たり”かなぁ……とりあえず、三角屋根の先まで上って、壁の真ん中にある窓からはなんとか中を覗けそうだから行ってみるか。


 三角屋根の頂点まで来ると、5枚あるうちの窓の真ん中の窓から見えたのは廊下だった。中は白を基調とした作りで、俺の城より全然ヨーロッパ的な城っぽい。


 ここに来て、俺はお城巡りの旅行者気分になっていたことに気付き、首を振りかぶった。


 中に入ってみようか。


 俺は窓に手を掛けるが、やはり鍵が掛かってるのか、開くことができない。破ってもいいけど、早々に気づかれるのもなんか(しゃく)だからなぁ。


 どこかに開いている窓はないかと、俺はまた翼を広げ、城の周りを回ることにした。


 すると、城の裏側に開いている窓を見つけた。そこは三角屋根から見ていた塔のある2階分あった箇所の裏側だ。人が住む場所ではおそらく最上階にあたる場所の、向かって右側にある角部屋の窓が開いていた。


 あそこに行ってみよう。


 城の角部分まで行くが、適当な足場が見つからない。だがしかし、今の俺は見た目はちょっと筋肉ある程度なのに中身は超人だという事実を思い出した。煉瓦の少しだけ出っ張っているところを摘まむことで自重を支えることに成功した。


 少しずつ左にスライド移動することで開いている窓に近づき、中を覗くことができた。どうやら人のお様子は確認できない。


 その部屋は広く、ヴァルレイ王国の破壊された団らん室のように豪華な家具や金や銀でできた調度品が沢山並べられている。壁は白く、絨毯は赤かった。


 俺がその中に音もなく入ってみると、やはり誰もいないことがわかる。

 歩き回っていると、部屋の奥にある両開きの扉から音が聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。


 俺は<姿くらまし>をしているため、バレることはあまりないと高をくくり、その場に留まった。


「あら、いけない。窓が開いたままになっているわ」


 部屋に入ってきたのは白い龍の尻尾を持つメイド服姿の白いロングの少女だった。


 メイドだ!! 本物のメイドだ!! おぅ! まじかよ!! やっべーなぁ! おい!! この世界にもちゃんとしたメイドいるじゃねーか!! うっひょーっ!!


 下がらないテンション、高鳴る鼓動……俺はずっと足りないと思ってたんだよ。これだよ、これを探していたんだ。やはり良いものだな、メイドとメイド服というものは。


 すると扉からもう1人、今度は中年風の白い髭を生やした白髪の男が入ってきた。その男にも白い龍の尻尾が付いている。そして、こいつはただ者ではない。魔力が“グロワール”レベルだと感じる。


 白髭の男は部屋の中央にある椅子に座ると、窓を閉めに行っていたメイドの娘も、テーブルを挟んだ対面の長椅子に腰かけた。俺は今、少女の後ろ側に立ち、そして後ろにはこの2人が入ってきた扉がある。


「ミディアは誕生日プレゼント、何が欲しいんだい?」

「んー、そうねぇ……あ! どこかに旅行しに行きたいわ!」

「旅行かぁ……」

「……だめ?」

「んっ! ダメなことはないぞ! パパが連れて行ってやろう」


 何ぃぃいいいい!!?? パパだとぅおお!? じゃあこのメイド服姿の少女はメイドじゃないのかよ! 俺のドキドキを返せ!! 畜生(ちくしょう)、俺の純真を(もてあそ)ぶなんて。


 この白髭男がヨルムンガンドの“グロワール”なのはもう確定していいだろう。で、この少女は私服がたまたまメイド服と同じようなデザインだったと……総括終わり。はぁ……でも、俺のやるべきことを思い出したよ。


 俺は目の前にある長椅子に近づき、開いている少女の隣へと座る瞬間、<姿くらまし>を()いた。


「こんばんは、テオーリア王国国王よ」

「きゃッ!!」

「なっ!? 何者だ貴様!! 早くミディアから離れろ!!」


 俺がドカッと両腕を背もたれに掛け、足を組んで長椅子に座ると、前に座っている白髭男は立ち上がりにそうになったため、俺は横にいるミディアという少女に近づくそぶりをチラリと見せた。


 俺は黒いローブのフードは深く被りっぱなしのため、この2人に顔を見られることはないだろう。


「おっと、動かない方がいい。君の大事な愛娘がどうなってもいいのか?」


 我ながら悪役染みたセリフだが、悪になら悪でいいと思うんだよ。


「貴ィ様ァッ゛……!! ……ミディアには指一本と触れるなよ」

「それは君次第だ」


 俺は声のトーンを変えず、淡々とした口調で白髭男を半ば脅す。


 俺の横に座っていたミディアは何が起きているのか全く理解できていない様子で、口に手を当て俺と白髭男を交互に見ていた。戦闘能力は低そうだな。放っておいても問題無さそうだ。早く終わらせるために人質になってもらうけど。


「パパ、私……怖いよぉ……」

「パパが今すぐ助けるから、ミディアは目を(つぶ)ってじっとしておきなさい」

「ぅん」


 この少女も可愛いなぁ。

 メイド服を着てるし、兵士じゃなさそうだし、メイド服も着てるし、おまけにメイド服も着てるからなぁ、だから君に危害は加えないから安心しなさい。


「じゃあ、早速本題だが、ガルグイユとウェンディゴを奴隷から解放し、旧ユド帝国の領土、国民、領空、建造物、諸々全てを現ガルグイユの“グロワール”グラード・ユドに返還しろ」

「ハァ? 何を馬鹿なことを、なぜ私がそのようなことをせねばならん。常識知らずの小僧が」

「口の聞き方には気を付けた方がいい。もっとよく考えることを(すす)めるが」


 俺は隣に座るミディアの頭をゆっくりと撫でてやった。


「あぅっ……!」

「ミディアに触るな!! もう我慢ならん! 貴様殺すぞ!!」


 白髭男が席から立ち上がり、それでも俺がミディアに触れているからか、襲いかかっては来なかった。

 俺はそれを横目にミディアの頭を撫でつづけた。


 この白い髪サラッサラッだなぁ……いや、なんか流れに任せて触っちゃった、ごめんね。


「はぅうう……気持ちいぃです……もっと、もっと撫でてください」


 撫でていると、ミディアの大きかった目がいつの間にか開かれ、次第にとろんとしてきて顔がゆるんでいき、俺に体重を乗せてきた。

 興奮しているのか、ミディアの白いヨルムンガンドの尻尾がパタパタと椅子のクッションを叩いている。


 ち、近い近い近い!! 顔も胸も何もかも近い! ミディアの両手が俺の胸に当てられている。俺の鼓動の速さがわかってしまっているんじゃ……!?


「ミディア!? どういうことだ……! き、貴様ァ!! 私のミディアに何をしたァァアア!!」

「んー、俺はこの子の頭を撫でただけなんだがなぁ」

「クッソォオオ!! 私はもう何年も撫でさせてもらってないのにィイイ!!」


 そこかよ!!


 まぁ、いい。これはこれで悪くない。これでこの白髭男の上に立って話を進められる。


「で、どうだ? 早くしろ、俺は忙しいんだ」


 俺は腰に付けていた筒を取り出し、そこからグレイアねーちゃんが作ってくれた書類を机に置き、白髭男に着きだした。

 白髭男は憤慨していたが、再び椅子に座り、書類に目を通し始めた。読み終わると書類を机に叩きつけた。


「こんなものにサインできるわけないだろう!! 国土の3分の1を返還しろなどというふざけた内容だ!」

「そうか、交渉決裂でいいんだな? このお嬢さんは連れて行くが、それでもいいんだな?」

「待て!! なぜそうなる!!」

「見ろ、俺から離れようとしないぞ」


 ミディアは俺の胸に顔を擦り付け、腕で俺をがっちりとホールドしたまま離してくれない。


「ミディア! そいつから離れなさい!」

「嫌、この人がいい。そうよ! 誕生日プレゼントはこの人がいいわ、パパ!!」

「なん……だと……ミディア、本当にそんなこと……パパに嘘だと言っておくれ……」

「嘘なわけないじゃない! ミディアは正直者だって、パパも言ってたじゃない!」


 白髭男は真っ青な顔で背もたれに崩れた。

 おい、いいからサインしてくれよ。あと俺は物じゃないからな、ミディアよ。


「その書類にサインさえすれば、俺がこの子を連れて行くことはないぞ。大事な愛娘なんだろう? こんな正体不明の男に娘を(とつ)がせたくはない、そうだろ? ならペンを走らせろ」

「グッ、しかしだな……」

「このお嬢さんはとても可愛らしいなぁ。俺の気が変わらないか、心配になってきた」

「それでもいいわ! 私を連れてって、おねがい」


 ミディアが会話割って入り込んだ。

 彼女はその顔を上目づかいで俺に向け、甘え上手という印象を俺に与えた。


「ミディア!! ぐぬぬぬ……!!」

「ミディア、君のお父さんは書類にサインしないようだ。じゃあ、俺と一緒にハネムーンでどこか南の島へ行こうか」

「あなたとなら……私……行っちゃおっかな」

「待てぇええええ!!! ……わかった。サインしてやろう」


 汗を額から流す白髭男は椅子を立ち上がり、俺から見て左側にある書斎机からペンを持ってきて、グレイアねーちゃんが作った書類にサインしていく。


 名前はジェイアス・テオーリア。


 そう、俺にもこの世界の文字が読めるのだ。ジオノールの知識なのか、元からなのかは今となってはわからない。

 名前もグラードから聞いていた通り、確かにサインは合っている。


 とりあえず、目を閉じて俺との結婚を想像しているであろうミディアを、俺は自分の体から外しにかかった。顔を赤らめながらなかなか腕を(ほど)いてくれないミディアの頭を再び撫で、俺は駄々をこねる子供をあやすように話しかけた。


「ミディア、君のお父さんは書類にサインをした。俺はもう行かなくてはならないんだ、ごめんね」

「え……嫌、私も連れてって? いい子にするから」

「ううん。ミディアに相応しい男は、誠実でちゃんと顔を表に出せるような人がいいと思う。俺みたいな怪しい人に、もう心を許しちゃいけないよ。これで最後にしないと、ミディアは大変な目に会っちゃうかもしれない」

「でも……」

「本当の俺ははこわーいこわーい大人なんだよ? もっといい人を見つけてね、黒いお兄さんとの約束だよ」

「約束……? 黒いお兄さんとはまた会える?」

「それはわからない。俺のことを忘れてくれないと、会えないかもしれない」

「ん……?」


 ミディアはよくわからない、という表情で首を(かし)げた。ミディアの腕が少し緩んだのに気づき、俺は一瞬で机にあった書類を掴み取り、立ち上がった。


「あ!! 黒いお兄さんが行っちゃう!!」


 俺は腰に下げた筒に書類を入れながら長椅子を後にし、白髭男、もといジェイアスの後ろにある窓へと近づく。


 俺の予想が正しければ、そろそろ……。


「行かせるかッ! この糞ガキぃぃいい!!!」


 ほら、やっぱり。待ってたぜ、正当防衛。


 ジェイアスは俺の後ろから飛ぶように殴りかかって来る、ということを俺の五感が感じ取った。俺はそれを右に飛んで躱す。そしてすぐに砕け散るような爆音が部屋に響き渡り、見るとジェイアスの右の拳が勢いよく窓とその壁の一部を吹き飛ばした音だったとわかった。


やられたら? やり返すよね。

いやぁ、筆が進みました。

ミディアはメイドじゃないんです……もう少しなんです。


ついに始まった戦い。ジンはどのように手を下すのでしょう。

次回はこのお話の続きからです。

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