第4章ー4
「一体、どういう思惑からそう言われるのです」
できる限り平静を保ちつつ、本多幸七郎海兵本部長は声を絞り出した。
「陸海共に日本が大勝利を収める好機ではないですか」
「軍人はそう思われるでしょう。しかし、政治家の私は別のモノが見えるのです」
衆議院議員の小倉処平は言った。
「幾ら友人関係にあっても立場によって見たいものは違います」
「それは否定しませんが」
本多海兵本部長は声を抑えながら言った。
「順を追って説明しましょうか」
小倉は居住まいを正して、あらためて話し出した。
「今、日本は奉天で陸軍が大勝利を収め、露の本来の領土である樺太を占領しつつあります。ここで、バルチック艦隊を打ち破って海軍が大勝利を収めたらどうなりますかな」
小倉は問いかけた。
「それは当然、領土も賠償金も獲得しないと日本は講和できないでしょう」
「では領土はともかく、賠償金を自発的に支払う能力が露にありますか」
「それは」
本多は言葉に詰まってしまった。
日本ほどではないが、露も戦争遂行は外債頼みだ。
裏返せば税収は心もとない。
日露戦争が終わったら、革命鎮圧や軍備の再編制等、露には膨大な支出が待っているが、革命前夜のような政情で増税が出来るわけがない。
賠償金不払いをすぐに露は言ってくるだろう。
その場合に、日本に賠償金支払いを露に強制できる力は無い。
つまり、賠償金は所詮、絵に描いた餅になることが分かりきっている。
その場合に、日本の世論はどう動くか。
露に賠償金を支払えと戦争を言いだすか?
それとも払えないと分かっていながら講和条約を結んだと日本政府を攻撃するか?
どちらにしてもろくなことにならないのが目に見えている。
「そうです。賠償金は所詮、日本の手に入らないのです。露政府が弱気になって、賠償金支払いを認めてくれても。それ以前に賠償金支払いを求めるなら、露は講和しないと言い出したら、日本は戦争をさらに続けられますかな。例えば、全満州から露軍を追い出すまで」
「それは不可能です。日本の財政上、まともに戦えるのは今年中が限界です。幾ら、外債が売れるようになったと言っても、所詮は借金をさらに増やして戦争するだけです。これ以上、外債を増やしたら、日本の財政は破綻します」
本多は小倉の問いにそう答えざるを得なかった。
「私も同じ考えです。だからこそ、これ以上日本が勝つのは望ましくないのです。他にも幾つか、バルチック艦隊がウラジオストックに無事に来航した方が実は望ましい理由があります」
小倉は一息入れてから更に続けた。
「露は陸軍が大敗したことから、全土で暴動やストライキが頻発しているようですね。それは把握しておられますか」
「それは当然、把握しております」
本多は答えた。
「ここで、バルチック艦隊を日本海軍が打ち破って、露国内の暴動やストライキの炎に油を注ぎこむのは日本にとって本当に国益になりますか。露国内が無政府状態になるのは、どの国も望んでいません。日露戦争によって露国内が無政府状態になったら、欧米列強は日本に対する好意を完全に失い、日本を敵視する可能性はありませんか」
「それは」
八つ当たりでしょうと続けかかったが、本多は言葉を途中で飲み込んでしまった。
外国の思惑はそんなものだ。
自国の国益に反することを他国がしたら、当然八つ当たりをされる。
幾ら日本に非は無いといっても無駄だろう。
そう考えていくと、これ以上の勝利を日本が挙げ、露が革命騒動に陥ったら、欧米列強の態度は完全に日本に冷たいモノになるだろう。
だが、まだ小倉は言いたいことがあるようだった。
本多は黙って小倉の言葉の続きを待った。
思ったより、長くなったので次に続きます。
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