第4章ー1 ポーツマス条約
第4章の始まりです。
日露戦争は遂に講和への道を歩みます。
1905年の4月が来ようとしていた。
海兵師団は未だに新台子に駐屯していた。
土方勇志少佐はその理由を思い起こしてはため息を吐いた。
止むを得ないこととは言いながら、実際にそうなってみると不機嫌にならざるを得ないものだ、土方少佐はつくづくそう思わざるを得なかった。
1905年の2月末から3月上旬にかけて行われた奉天会戦は、日本の大勝利に終わった。
これで、日露戦争は日本の勝利に終わる、という観測が世界中の新聞に載ったほどだ。
だが、詳細に見ていくとそう楽観的に見られなくなってくる。
まず第一に、確かに露軍の8割以上を戦死乃至捕虜にした上、大砲等の重装備を全て奉天会戦に参戦した露軍は放棄せざるを得なくなる程の大勝利を日本は得ているが、その代り、20万人もの捕虜を食べさせないといけないという状況に陥ったのも事実だった。
日本満州軍総司令部の参謀の1人は、抗戦せずに捕虜になったような捕虜は餓死しても当然だと放言したらしいが、そんなことは当然できない。
大山巌満州軍総司令官は、日本軍の兵の食料を割いてでも露軍の兵の捕虜に分け与えるように命ぜざるを得なかった。
25万人の日本軍の補給に四苦八苦していた日本軍の兵站能力にいきなり20万人も補給が加わってはどうにも進撃できない。
このために何とか秋山騎兵団を急行させて鉄嶺は確保したが、四平からハルピンへの日本軍の進撃は、露軍捕虜の日本本土への移送がほぼ完了する5月以降になりそうだった。
第2にこれだけの大戦果を挙げた以上、日本軍の損害もそれなりのものになってしまった。
最も損害の大きかった海兵師団で師団全体の5割近くが死傷し、全体では3割以上が死傷している。
当然、補充の必要が生じてくる。
損耗した部隊に補充兵を送り込み、再編制を行いということをしていると、やはり4月中は日本軍が進撃することはほぼ不可能だった。
ま、それでも露軍はどうにもならん、土方少佐は敢えて明るい方向に物事を考えた。
クロパトキン将軍らを失った露軍はグリッペンベルク将軍を新たな露満州軍総司令官に任命して、部隊の再編制等に当たらせているが、欧州各国の大使館からの情報や戦場後方に展開する馬賊からの情報等々を組み合わせる限り、露軍の状態はどん底と言っていいらしい。
大敗しても、本国が暖かく迎え入れてくれる状況ならともかく、露本国の状況は最悪に近いとあってはどうにもならない。
血の日曜日事件以降、露国内は革命前夜と言っても過言ではない状況にある。
そこに奉天会戦の大敗は追い討ちをかけた。
最早、露陸軍は怖るるに足らず、と露全土で暴動が頻発しているらしい。
報道管制がきついので、精確な情報は掴めないがどこそこで暴動が起きたらしいという情報が頻繁に流れてくる。
このためにハルピン前面まで露満州軍は完全に再編制のために後退してしまった。
軍隊の再編制が完結する夏以降に大反攻を行うとグリッペンベルク将軍は獅子吼しているが、できるわけないと露国内の大半の識者が見ているとのことだった。
土方少佐もそれには同感の思いを抱いた。
それにしても状況は手詰まりになりつつあるな、と土方少佐は思った。
お互いに打つ手が無くなりつつある。
今後の方針について近々会議を開くとのことだが、無意味ではとまで思っていると、海兵師団参謀長の内山小二郎少将が笑みを浮かべているのに気づいた。
何があったのか、と思っていると、内山少将は師団長の林忠崇中将に持っていた電文を示した。
林中将もその内容を見ると笑みを浮かべ後、師団司令部の面々に声を掛けた。
「喜べ、露が停戦と講和を申し入れてきた」
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