第1章ー8
「仏のデルカッセ外相は先輩の失策の尻拭いに奔走されているようですね」
英のフィッツモーリス外相はパリから駐仏大使が送ってきた電文に目を通した後で呟いた。
「かといって、我が国にも外聞があります。小国の朝鮮に振り回されたという印象は避けたい」
フィッツモーリス外相は1人で暫く黙考した後、秘書にある国の大使を外相室にできるだけ秘密裏に呼ぶように依頼した。
「我が国は東アジアの現状を鑑み、次のような声明を出さざるを得ない。今や日露間の緊張は極度に高まり、戦争は必至と思われる状況になっている。日露双方が冷静になって平和を希求することを望む。そして、その周辺の清国や朝鮮等が日露の対立を煽るようにどちらか一方に立って参戦するという言動をすることに対しては深く遺憾の意を表したいと思う」
米国のヘイ国務長官は声明を発表した。
この声明に対して、英仏両国は迅速に反応した。
米国の声明に沿った行動をとるように清国と朝鮮に圧力を掛けたのである。
清国には露清密約があり、いざという際には露の側に経って日本に宣戦布告することもあり得たが、秘密裏の条約で公知の事実ではなかった。
つまり、米国の声明と英仏の圧力は連動していて、朝鮮が日露戦争時には絶対に中立を保て、という三国からの朝鮮への干渉が主な目的だった。
「ここまでのことが起きるとは思いませんでしたね。火遊びが過ぎたようです」
金允植外相は金弘集宰相に、米国の国務長官の声明とそれを受けて英仏両国の公使から行われた要請の内容を伝えながら、自分の感想を述べた。
金宰相は微笑みながら答えた。
「子どもの火遊びが酷すぎると周りの家3軒から怒鳴り込まれてしまいましたね。2軒はすぐ傍なので怒鳴り込んでくるとは思っていましたが、1軒はちょっと離れているので黙っていると思っていました」
金外相は金宰相の真意を察して言った。
「3軒から怒鳴り込まれるとは予想外だったということですか」
「予想外でしたが、却って我が国が中立を保つためのいい口実になりました」
「日本も米英仏の三国からの干渉をはねのけて、我が国に参戦しろとは言えませんからね」
「そういうことです。我が国が中立を保たねばならないのは当然のことです。米英仏の三国干渉があったのですから」
金宰相は相変わらず微笑んでいた。
金外相は頭を振った。
「私にはそこまでの胆力がありません。祖国を博奕の元金にするようなものですよ」
「勝てるという見込みがほぼあったから賭けたのです。実際に勝てたではありませんか」
「確かに勝てましたね」
金外相は言った。
三国から日露戦争に参戦するな、とは言われたが、日朝条約に基づいて日本軍が朝鮮領内を通行したり、物資を朝鮮から調達したりすることは黙認されている。
だからといって、露もそれを非難できない。
それを非難しだしたら、清国も中立である以上、旅順や遼陽から全面的に露軍は速やかに撤退しろ、という事態が起きかねない。
旅順や遼陽は本来、清国領だからだ。
朝鮮は中立を保ちつつ、日本の後方基地として物資を売りまわる権利を三国に黙認されたのだ。
「それでは儲けさせてもらいましょうか。祖国のために」
金宰相は言った。