第3章ー15
林忠崇中将率いる海兵師団と秋山好古少将率いる秋山騎兵団の急進軍は味方である日本軍にさえ混乱を巻き起こしたが、その影響は露満州軍に与えた方が遥かに大きかった。
クロパトキン将軍以下の露満州軍総司令部が、日本軍の意図を見誤ることにつながったのである。
「日本軍の主力、第3軍はどこにいる?」
クロパトキン将軍の問いかけに司令部付の参謀は数々の戦場諜報を組み合わせたが、その答えは要領を得ないものだった。
2月22日から日本軍の攻撃は始まったが、3月1日になっても、まだどこにいるのかがはっきりしないのだ。
露軍から見て左翼では、日本軍の突撃を含む攻撃(鴨緑江軍によるもの)が始まっており、予備部隊の一部をクロパトキン将軍は差し向けていた。
その後方を迂回する部隊(第1軍のこと)も存在するとの情報もあり、その部隊らしきものと既に露軍の警戒隊は交戦している。
となると右翼からの片翼攻囲を日本軍は狙っているのか。
だが、それにしては中央の重砲の砲撃が解せなかった。
2月22日から休むことなく重砲の砲撃(中には日本軍の切り札、28サンチ砲が含まれている)が続いている。
砲弾量は軽く千トンは超えているだろう。
これだけの砲撃を加えるということは、日本軍は中央突破を狙っていると司令部参謀の一部は主張しており、クロパトキン将軍も否定できなかった。
日本軍は中央と右翼を連動させて、攻撃するつもりなのか。
だが、そう断じるのも悩ましかった。
露軍の右翼からの情報が途絶したり、錯綜していて、精確な情報がどうにもつかめないことから、クロパトキン将軍は判断に悩む羽目になった。
露軍がそうなっていたのは、2つの原因があった。
第1の原因が、騎兵の偵察能力が質量共に低下していることだった。
1月の営口襲撃の大敗により、露軍騎兵の精鋭が数多く失われていた。
更に問題だったのは騎兵の士気だった。
大敗による士気の低下により、露軍騎兵の偵察が腰が引けたものになり、情報の精度が低下してしまったのである。
余りにも右翼に塹壕線を延ばすには距離が長すぎることから、抵抗拠点を設置し、その間隙は騎兵の偵察で補うことになっていたが、それが難しくなっていたのである。
ある史書は次のようにその状況を書く。
「奉天会戦の際の露軍は会戦前から右目が腫れあがってしまっており、日本軍の動向を精確には掴めなくなっていた」
そして、第2の最大の原因が海兵師団と秋山騎兵団の進軍速度が余りにも速いことだった。
その常識外れの進軍速度は、クロパトキン将軍以下の露満州軍総司令部にその情報は誤りではないかと言う疑念を生ませ、その情報を確認しようとしている間に、海兵師団と秋山騎兵団は更に進軍しているという悪循環の事態を生じさせていたのである。
3月1日の夕刻、遂に海兵師団と秋山騎兵団の主力は大民屯を経て大房身にたどり着いていた。
本来から言えば、露軍は奉天周辺に展開している予備部隊の多くを引き抜いて、海兵師団と秋山騎兵団に向けるべきだった。
おそらく露軍にとって奉天会戦の最大の勝機はそこだったろう。
だが、露満州軍総司令部はその情報は誤りで日本軍の先遣隊が辛うじて大房身にたどり着いただけだと誤判断して、1個師団を今から大房身に援軍として差し向ければ充分だと判断した。
この瞬間に露軍の勝機は失われた。
その頃、林中将と秋山少将は、協議の末に更に北に向かう決断を下した。
「おそらく奉天背後を我々は直接狙うと露軍は判断すると思われます」
秋山少将は林中将に言った。
「もっと北に迂回しますか」
「それが無難だと考えます」
海兵師団と秋山騎兵団は更に北に向かった。
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