第3章ー14
海兵師団と秋山騎兵団の急進軍は、味方の日本軍内にさえ混乱をもたらした。
余りの急進軍に有線通信の準備が整わず、後方への連絡なしに海兵師団と秋山騎兵団は進軍することになったからである。
皮肉なことに、このような状況に戊辰戦争の経験を持つ老将達は泰然としたものだったが、戊辰戦争の経験がなく前線からの有線通信が完全に途絶した経験のない面々は慌てふためくことになった。
「海兵隊が行方不明になった?大丈夫、昔はよくあったことだ」
と言って、大本営内で山県有朋参謀総長は泰然として過ごし、明治天皇陛下からの、海兵隊は何処にありや、という下問に対して、奉天会戦に参加しております、とだけ答えて平然としていたという伝説がある。
満州軍総司令部でも、大山、児玉のコンビは悠々としており、参謀達が海兵隊はどこにいるのか、と騒ぎだしたのに対し、(有線)通信が途絶したくらいで何を騒いでいるのか、と平然とたしなめ、参謀の1人(井口省吾少将といわれることが多いが、真実は不明)が、海兵師団の動向について第3軍司令部が把握できないようでは困る、第3軍司令部に海兵隊の進軍を止めるように命令を出すべきでは、と児玉総参謀長に対して進言したのに対しては、昔は伝令が来ないからと言って騒いだ奴はおらん、と一喝して済ませてしまったという。
だが、そうはいっても、有線通信による連絡が無いというストレスは大きかったようで、中間管理職の第3軍司令部に圧力が及びだした。
「うるさいから、電話を取るな。電話線を切断してしまえ」
第3軍参謀長の一戸兵衛少将は、満州軍総司令部からの度重なる連絡に苛立って、第3軍司令部付の兵卒を怒鳴りつけた。
大山総司令官なり、児玉総参謀長なりから問い合わせがあるのならまだ分かるが、満州軍司令部の参謀の面々が代わる代わる海兵師団と秋山騎兵団はどこに行ったのか、問い合わせてくるのである。
事前計画通りに動いていると言っても納得せず、現在地を知らせよ、と問いかけてくる。
そんなのこちらが知りたい、余りの急進軍から林忠崇中将率いる海兵師団と秋山好古少将率いる秋山騎兵団の連絡は完全に途絶えており、その現在地は推測はできても、精確な位置は直属の軍司令部である第3軍司令部でさえ把握できなくなっていた。
「このまま行くと、海兵師団と秋山騎兵団は何処にありや、大本営以下、日本中は知らんと欲す、と連絡がありそうですな」
第3軍司令官の乃木希典大将は、のんびりと一戸少将に言った。
「申し訳ありません」
一戸少将は春まだ遠い時期に関わらず、背中に汗が噴き出す思いがしていた。
事前作戦計画通りといえば、その通りなのだが、本当にこんな急進軍を海兵師団と秋山騎兵団が行うとは、一戸少将と言えど思いもしなかった。
「それでは、本当に我々も電話線を切断しますか」
乃木大将は心の奥底に決意を秘めた声を挙げた。
「第3軍の全部隊に命じます。海兵師団と秋山騎兵団を急いで追いましょう。後方との連絡が途絶しても気にしてはいけません。何としても露軍を包囲殲滅するために、我々も急進するのです」
「分かりました」
一戸少将は答えた。
第3軍司令部の面々も乃木大将の声を聴いて全員が決意を固めた。
例え、我々が全滅してもその代りに露軍が包囲殲滅されるのなら本望だ。
この様子を後に取材した米国人のウォッシュバーンは、次のように著書に書いた。
「この時の林中将と乃木大将の関係は、南北戦争におけるジャクソン将軍とリー将軍の関係を想起させるものがあった。お互いに連絡が途絶した中でも完全に信頼し合っていた」
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