第1章ー6
そういった開発独裁を進めていた朝鮮の金弘集政権にとって転機となったのが、義和団事件だった。
日露双方に気を遣わねばならない金政権にとって、日露双方が清国に出兵するという事態は日露双方に恩を売れる絶好の機会だった。
更に日露以外の欧米列強もこの行動に加担する以上、万に一つも敗北という事態はありえない。
日清戦争で清国から賠償金をせしめたことで富国強兵を進めている日本を文字通り隣で見ている金政権にとってみれば、この際、清国からの賠償金で日本からの借款を全額返済して、更に国内の開発を進める千載一遇の好機に思われたのだった。
金政権はなけなしのお金をはたいて1個近衛大隊を義和団鎮圧に派兵した。
金政権の思惑と異なり、清国からの賠償金は全額日本からの借款返済に充てられる額に止まったが、ともかく日本への借款返済義務が無くなったのは、金政権にとって大きな福音になった。
更に金政権にとって思わぬ追い風になったのは、欧米列強にとって朝鮮がにわかに義和団事件によって注視される存在に格上げされたことだった。
(もっとも、日露双方にとっては逆に厄介な事態を引き起こしたという見方もある)
中国で暴動が起きた際に朝鮮が速やかに派兵できる能力がある以上、日露双方以外の列強諸国も朝鮮という国家の存在を意識するようになったのだ。
「我が国は日本の同盟国ではありますが、日露双方にとって気を遣わねばならない国家です。露にしてみれば、朝鮮が日本の従属国家に転落しては旅順という不凍港の価値が大幅に低下します。旅順とウラジオストック、2つに艦隊を分散している露太平洋艦隊にとって朝鮮半島は重要な拠点です」
金允植外相は言った。
「日本にとっても折角、数々の投資をしてきた朝鮮が、今更、露の手に落ちることは我慢できないことでしょうね」
魚允中蔵相が言った。
「満韓交換論で我が国を確保しようと日本はしましたが、我が国の意思を聞かずに勝手に物事を進められてはかないませんな。我が国は一応は独立国ですよ」
軍部の意向を確認するために閣議に出席している禹将軍が口を挟んだ。
「一応はですけどね。列強諸国にしてみれば、我が国は小国です。複数の列強が一致しての要求をはねのける力は全くありません」
金宰相は言った。
閣議に列席している閣僚らも同意した。
「だからこそ、我が国は日本と共に露に宣戦布告するというふりをします」
金宰相は続けた。
「ふりですみますかね」
禹将軍は疑問を呈した。
「ふりですまなければ、世界大戦です。小国の我が国が世界大戦の引き金を引けるというのは楽しいことではありませんか」
金宰相はこの世に魔王がいるのならば、魔王が示すであろう笑みを示した。
禹将軍は思った。
王室を敬愛し、国民を愛するが故に金宰相は悪を演じざるを得なくなった。
せめて、あの世で正しく金宰相が裁かれんことを望む。
「ふりですむでしょう。英仏共に戦争は望んでいません」
金外相が助け舟を出した。
他の閣僚も金外相の意見に肯いている。
「そういうことです。中立を保って、日本に物資を売り込み儲けさせてもらいます」
笑みを収めた金宰相が言った。
禹将軍は思った。
爆薬の固まりの中で火遊びをするようなものだ、危険極まりない。
だが、私も金宰相らの気持ちは分かる。
小国にも小国なりの事情や意地があるのだ。




