第2章ー43
同日の昼、露軍の幹部も会議を開いていた。
会議に参加した面々の多くが口には出さないが内心で思っていた。
「終わった」と。
ステッセル将軍はこの会議の雰囲気に漂っていた雰囲気を回想録で次のように描写している。
「会議に参加していた士官の多くの顔が悲壮感に溢れる表情をしていた。中には今にも泣きそうな顔までしている者までいた。自分も鏡があったら、同様の表情を自分が浮かべているのが分かったろう。それくらい203高地の失陥、ウフトムスキー提督の戦死、そして、日本軍の第3次総攻撃前にいた約4万3000人の将兵の内1万8000人程が失われた、という衝撃は大きかったのだ。確かに我々は日本軍の第3次総攻撃をしのぎ切った。だが、再度、日本軍が総攻撃を掛けてきた際には最早、我々は耐えられないと誰もが覚悟を固めた。我々は今年のクリスマスを旅順要塞内で迎えて祝うことはできない。クリスマスには、我々は戦死しているか、日本軍の捕虜となっているか、どちらか二者択一の運命しか待っていないと会議に参加していた者の大半は思っていた」
実際、日本軍の第3次総攻撃で露軍は日本軍に対して手痛い打撃を与えていた。
詳細を露軍が知るのは旅順要塞陥落後になるが、日本軍は1万2000人程が死傷していた。
中でも海兵師団の打撃は大きく、1万人程が死傷、2か月は再編成に少なくとも掛かると大本営では判断する羽目になった。
だが、日本軍はその損害を補充できた。
一方の露軍に補充は無い。
日本軍の第3次総攻撃前に4万3000人いた将兵はその4割が失われたのだ。
残り2万5000人程で20キロ近い要塞の守備線を死守できると思う程、露軍の士官の多くは楽観的になれなかった。
そして、第3次総攻撃前に天を衝くほど高かった露軍の士気はその反動を受けて低下していた。
いろいろと情勢を検討すればするほど、露軍の士官は絶望的な想いを抱かざるを得なくなっていたのだ。
スミルノフ将軍がまず重い口を開いた。
「何とか日本軍の第3次総攻撃をはね返したが、状況は楽観できない。しかし、何とか1日でも長く旅順要塞は持ちこたえねばならないと私は考える」
コンドラチェンコ将軍が続けて言った。
「203高地奪還に失敗して申し訳ありませんでした」
ステッセル将軍は、コンドラチェンコ将軍の声音に何か不穏なモノを感じた。
まさか、という想いがステッセル将軍の脳裏によぎった。
「コンドラチェンコ将軍、命を惜しめ。我々は祖国のために1日でも長く、旅順要塞を持ちこたえさせる必要があるのだ」
ステッセル将軍は思わず言った。
「分かっております」
コンドラチェンコ将軍は言った。
だが、その声色はステッセル将軍をより不安にさせるものだった。
コンドラチェンコ将軍は、ウフトムスキー提督が最前線で戦死したのに露陸軍の将軍が皆、死傷していないのを気に病んでいるようだ。
どうか死に急がないでくれ、今、コンドラチェンコ将軍が戦死したら、露軍の士気は完全に低下してしまい、旅順要塞守備隊の抗戦は不可能になる。
ステッセル将軍は走馬灯のように思いを巡らせ、思わず神に祈った。
その上で、ステッセル将軍は発言した。
「諸君、何とか少しでも長く生き延びて抗戦しよう。祖国のために」
士官の多くが同意の発言を続けた。
だが、発言者でさえ多くが思った。
旅順要塞の陥落の日は近い、最早、全て終わろうとしている。
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