第2章ー41
度々、視点が変わってすみません。
露軍の視点になります。
203高地陥落、ウフトムスキー提督が行方不明になったという第一報が旅順要塞守備隊司令部に届いたのは4日の昼前になっていた。
司令部は騒然となった。
「何としても203高地を奪還する」
スミルノフ中将が吠えた。
その裏には心理的陥穽があった。
既に1万人以上の露軍兵士が203高地を巡る戦闘で死傷していることが判明していた。
旅順要塞に対する第3次総攻撃が始まった時点でいた露軍の兵士の4人に1人以上が失われているのだ。
これだけの損害を被っている以上、引くに引けないという心理状態に露軍の司令部の面々の多くが陥っていた。
そして、ウフトムスキー提督の生死を確認しなければという心理も働いた。
旅順要塞陥落時点で、将軍は全員生き残っているのに提督が戦死していては露陸軍としては海軍に対して会わせる顔が無かった。
コンドラチェンコ少将が203高地奪還を直接指揮することになった。
ちなみにウフトムスキー提督は11月4日の明け方に戦死していた。
戦死の状況は公式には不明とされている。
提督と共に戦っていた露軍の兵士の中に提督の最期を見届けた者はおらず、日本軍も遺体の肩章から提督の遺体と判るような状況だったからだ。
ただ遺体の状況から斬殺乃至刺殺による戦死と推定されることから、林忠崇中将に対して決闘を挑んだ末に戦死したという伝説が生まれた。
実際、林中将が何人かの露軍兵士を白兵戦の中で斬殺したのは事実なので、ありえる話とされている。
露軍は何としても203高地を奪還しようと望台方面の守備隊からも引き抜けるだけの兵を引き抜くことにして4日の夜に全力の夜襲を試みた。
林中将は自ら陣頭指揮を執ってこの夜襲を迎撃した。
日露両軍の兵士の悲鳴と白兵戦の音が間断なく鳴り響く。
その合間には手榴弾の炸裂する音や迫撃砲の砲声がする。
日露双方共に戦場の血に酔っており、味方撃ちも頻繁に起こった。
先に露軍の息が尽き、5日の夜明けと共に退却を決断する。
日本軍は砲撃でそれに追い打ちをかけるが、露軍も支援砲撃を行い、それに日本軍も対砲兵戦を挑むという混戦になった。
「これが最後の機会か」
コンドラチェンコ少将は眼前にいる部隊を眺めてつぶやいた。
引き抜けるだけの兵力を引き抜き、203高地に投入してきたが、海軍歩兵旅団は文字通り全滅に近い惨状にあり、傷つかざる者無く、4分の1が戦死しているという有様だった。
陸軍もかなりが消耗している。
今や眼前にいる1個大隊、1000人余りが5日の夜襲に投入できる最後の新兵力だった。
残存兵力と併せて203高地奪還のために露軍は突撃を開始する。
その直後に機関銃の連射音が複数響き渡った。
「いかん」
コンドラチェンコ少将の声が響き渡る。
5日の昼間に日本海兵隊は何とか2丁の機関銃を203高地の東北山頂と西南山頂にそれぞれ備え付けたのだ。
更に迫撃砲や野砲も配置していた。
夜襲に望みを託して突撃した露軍の兵士の間に悲鳴が相次いだ。
「203高地奪還を断念する」
コンドラチェンコ少将は遂に苦渋の決断を下した。
この瞬間に203高地攻防戦は日本海兵隊の勝利に終わった。
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