第1章ー5
日露戦争直前の各国の動きです。
「いよいよ日露間で戦争になるのは間違いない状況ですか」
金弘集宰相は閣議の席でため息を吐いた。
金允植外相は金宰相の発言に肯いた。
「朝鮮は予定通り、日本との条約に基づき、日本が露に宣戦した場合には、露に宣戦を布告するということでよろしいですな」
金外相は確認した。
「事前にその方針を英仏等に、よくよく説明しておいてください」
金宰相は金外相に念を押した。
「そうすれば実際には朝鮮は宣戦布告をせずに、中立を保てます」
「心得ております」
金外相は笑みを浮かべた。
金宰相も笑い返した。
日露間で戦争に突入に至った経緯はいろいろ複雑だが、日清戦争で日本が勝利して、朝鮮で金弘集政権が成立したのが遠因というのが通説である。
日本は金政権に対して積極的に資金援助し(最もその資金の出所は結局は日清戦争の際に獲得した清国の賠償金だったが)、日清戦争前の朝鮮の平時の年間の国の税収の2年分から3年分ともいわれる1500万円もの資金を貸し付けた。
金政権は、そのお金を基にして軍隊を再編、官吏も開化派で固めることに成功した。
だが、これに猛反発した存在があった。
閔妃を筆頭とする閔一族である。
1500万円の資金は王家のものであり、軍隊や官吏よりも王家(閔妃)を最優先にそのお金を寄越せと要求した。
閔妃らにしてみれば、王家とは国家そのものであり、国の税収は王家が自由に使ってよいものであった。
だが、金政権にしてみれば、日本からの資金は朝鮮近代化のために貸し付けてもらえたものであり、閔妃らの要求はとんでもないことだった。
閔妃らは高宗に金政権に対する讒言を行い、お金を自分のものにしようとしたが、朝鮮軍の幹部らはその動きが自分たちの給料を奪うものであることを理解して、猛反発を起こした。
彼らが取った手段が閔妃殺害と言う強硬手段だった。
この時には、朝鮮軍と金政権は手を組んではいなかったが、高宗は閔妃を殺害した朝鮮軍の背後には金政権がいると邪推して金弘集らの殺害を命じたことが、更なる朝鮮軍の暴走を招いた。
高宗は閔妃の味方だったのか、と朝鮮軍の幹部らは判断して、高宗幽閉、純宗擁立を行ったのである。
金政権は、この朝鮮軍の暴走に対して、実際に閔妃を殺害したり、高宗を幽閉したりした朝鮮軍の一部の幹部を粛清して、国民をなだめるとともに、これを好機として朝鮮の改革をさらに進めた。
税収は金納を原則とし、幣制改革により悪貨を回収して良貨を発行した。
だが、これは深刻なデフレを招いた。
その対策として、道路を整備したり、治山治水を進めたりして、その報酬を現金で払うことで貧農等に対するアメをまいたが、こういったアメは両班階級には回らなかった。
金政権は、更に改革政策を進めるための税収確保のために両班階級に対する課税を強化したことから、両班階級は猛反発を起こして、義兵運動と称して蜂起した。
再編制された朝鮮軍は容赦なくこういった義兵運動を叩き潰した。
金政権によって生活できる給料をもらえるようになった朝鮮軍にとって、金政権を打倒されることは自分たちの給料を奪われることになる上に、下手をすると王妃殺害、国王幽閉の首謀者として自分たちの生命を危うくすることにつながるからであった。
金政権も義兵運動は反動主義者とみなして対決姿勢を取った。
金政権は軍部を支持基盤として開発独裁を進める国家体制を築いていったのである。
長くなったので分けます。