第2章ー33
林中将は海兵師団の旅順要塞第2次総攻撃の際の方針を第3軍司令部に説明し、乃木将軍はそれを裁可した。
だが、これは陸軍に対して攻撃前から微妙なしこりを残すことになった。
理屈としては海兵隊の方針は分かるのである。
203高地のみを海兵隊は目指しており、他に攻撃目標はない。
そして、海兵隊が行う203高地への坑道作業は、他の露軍陣地からも看視できるため、嫌がらせの砲撃等を受けることも度々で、そのためもあって作業が遅延していた。
第2次総攻撃の目標とされた東鶏冠山、二龍山、松樹山三大堡塁等への陸軍の攻撃準備は整っている以上、この際、陸軍のみで攻撃を行うことは間違ってはいないのだが、陸軍の一部の幹部にしてみれば、そもそも海軍本体の旅順港閉塞作戦が失敗していなければという思いがぬぐえないことも加わり、陸軍だけ血を流すのかという感情論を招いたのである。
10月1日から5日間行われた第2次総攻撃は失敗に終わった。
第9師団がP堡塁を何とか占領したものの4000名近い死傷者を日本軍は出した。
それに対し、露軍は3000名ほどの死傷者で済んだ。
28サンチ榴弾砲の砲弾は三大堡塁の表面は削れたが、内部まで貫徹することは無かった。
28サンチ榴弾砲の威力に期待を掛けていた第3軍司令部としてはこれは予想外の事だった。
それもあって、これ以上の損害を怖れ、第3軍司令部は攻撃中止を決断したのである。
この際、予定通りに海兵隊は203高地に対する牽制砲撃を加えることで、陸軍を間接的には支援している。
だが、突撃を行わなかったことは、陸軍の一部の反感も加わり、林中将等海兵隊幹部に思わぬ逆風が吹くことになった。
「新聞の見出しが酷いですね」
斎藤実海兵次長は渋い顔をしながら、本多幸七郎海兵本部長に持参した新聞を差し出した。
海兵隊は新聞を多数、購入している。
創設以来、陸軍と海軍の狭間で生き延びてきた海兵隊の最大の基盤は世論の支持だった。
幕府歩兵隊の流れを基本的に汲む海兵隊は、海軍本体からもいい感情を持たれていない。
西南戦争等で勇敢に戦ったのも日陰の存在だったのが一因だった。
その世論の支持が失われようとしている。
「臆病風に吹かれた海兵隊」
「かつて今忠勝と謳われた林中将も老耄した」
第2次総攻撃の結果を受けて発行された各新聞にはそのような見出しが躍っている。
「酷い見出しだな」
本多海兵本部長も憮然とした表情を浮かべながらつぶやいた。
「しかし、林中将の判断も最もですよ。あんな状況で突撃したら、海兵隊は全員草生す屍になります」
斎藤次長は、林中将らの判断を支持した。
「自分にも分っている。だが、海軍本体は連合艦隊司令部の突き上げを受けて、203高地早期攻略を唱えているしな。陸軍の一部からしてみれば、海軍のお手伝いで旅順要塞を攻撃しているのに、何故、海兵隊は旅順要塞に突撃しないのだという反感が巻き起こる」
本多海兵本部長は表情を変えずに言った。
「かといって、旅順要塞攻撃準備の詳細を新聞記者たちに明かすわけにもいかんからな。取りあえず、連合艦隊司令部にごねるな、と釘を刺してくるか」
本多海兵本部長は動くことにした。
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