第1章ー4
「やってくれたな。本多」
伊東軍令部長は軍令部長室に呼び出した本多海兵本部長を睨みつけた。
「無理難題を言われたので、実際に旅順要塞が攻略できるように海兵本部長として動いただけです」
本多海兵本部長は涼しい顔をしている。
「山本権兵衛海相もかんかんだぞ。海兵隊は何をしてくれたとな」
「何でしたら免職処分を発令してください」、
「開戦直前にそんなことができるか」
伊東軍令部長はとうとう怒りを爆発させた。
「旅順要塞を落とすのに最善の手段を海兵隊として講じたまでです。第3軍が編制されて旅順要塞攻略に当たることになったではないですか。旅順港閉塞作戦が成功したら、お役御免で遼陽、奉天方面に向かいますが」
「旅順港閉塞作戦は成功するに決まっておる。無駄なことはせんでいい。おかげで海軍は陸軍の風下に相変わらずおかれることになったではないか」
「陸海軍が対立した際は、首相が調整することになっただけです。日清戦争の際に、伊藤首相が調整した前例に従っただけではありませんか」
本多海兵本部長も言い返した。
「全く、本多正信の生まれ変わりが。もう下がれ」
伊東軍令部長は軍令部長室から本多海兵本部長を追い出した。
「また、世話になるな」
乃木希典陸軍中将は、自宅を訪ねてきた林忠崇軍令部第三局長に声をかけた。
乃木中将は近衛師団長を務めているが、旅順要塞対策として第3軍が新しく編制される方向が決まったことに伴い、第3軍司令官として内定された。
林軍令部第三局長は海兵師団が正式に編成された場合には、海兵師団長に任命されることが内定している。
つまり、林は乃木の部下になることになっているのだった。
「戊辰戦争では敵同士で、西南戦争では命の恩人だったな。日清戦争では轡を並べて共に林とは台湾で戦ったな」
乃木の口調に懐かしさが混じった。
「思えば長く深い因縁がありますな」
林もこみあげてくる思いがあった。
「第3軍司令官に推挙する人物として、海兵隊から声を掛けてくれて助かった。山県元帥あたりがわしを第3軍司令官に推挙していたら、長州閥の恩恵で軍司令官になれたと陰口を叩かれたろう」
「海兵隊としては、乃木将軍が第3軍司令官に一番ふさわしいと考えました」
「ほう。そこまで海兵隊に高評価されていては面映い。何しろ3回も休職した身だからな。根拠を教えてもらえるかな」
乃木は興味津々といった顔つきになった。
「正直に申し上げます。戊辰戦争以来の戦歴を乃木将軍は持たれています。私が調べた限り、乃木将軍の戦場での判断については、最善の判断が常に下されていたとはさすがに申し上げられませんが、少しでも良い判断が下されていたと私は評価しております。また、乃木将軍と海兵隊との関係も比較的良好です。陸軍で軍司令官にふさわしいと海兵隊が評価する人材は4人います。薩摩出身の野津将軍や黒木将軍は海兵隊との接点は余り無く、西南戦争でのしがらみからお互いに遠慮があります。何しろ、我々には新選組がありますから」
林は言った。
新選組の一言に、乃木は複雑な表情を浮かべた。
長州出身者にも新選組にはこだわりがあるが、薩摩出身者のこだわりはそれ以上だ。
西郷隆盛が自決した際に新選組は立ち合い、桐野利秋と土方歳三は事実上刺し違えたのだ。
「奥将軍はしがらみがありませんが、海兵隊と接点が薄い。そうなると乃木将軍が最良です」
「今忠勝がわしを軍司令官にふさわしい人材の1人といってくれるとは有り難い。全力を尽くさせてもらう」
乃木は敬礼した。
林も答礼した。