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第2章ー24

 露軍の旅順要塞守備隊の望台方面からの日本軍への反撃は、9月5日に行われた。

 実際、第三者的視点からすれば、露軍の旅順要塞守備隊による反撃が成功する可能性があったのは、この時しかなかった。


 露軍の旅順要塞守備隊は日本軍の旅順要塞第一次総攻撃前に6万3000人(内訳、陸軍の正規軍人4万4000人、海軍歩兵1万2000人、軍属等7000人)がいる一方、日本軍の旅順要塞第一次総攻撃の兵員は、全て正規兵とはいえ陸軍と海兵隊合わせても5万1000人しかいなかった。


 東洋一、世界でも屈指と謳われていた旅順要塞への第1次総攻撃の際に質的には上回っていたとはいえ、守備側の8割程しか攻撃側がいなかったにも関わらず、複数の堡塁奪取に成功したことから、第3軍司令官の乃木希典大将は、これだけでも20世紀の戦史で不朽の名声を築くことになるのだが、第一次総攻撃によって生じた両軍の損耗の結果、露軍は5万人余り、日本軍は3万5000人以下と日本軍よりも露軍は4割以上も兵力的に優勢という結果が生じていたのだ。

 そんな事情は知る由もないものの、露軍は旅順要塞への第一次総攻撃で損耗した日本軍への随意反撃は成功すると確信して反撃を開始した。


「馬鹿か。反撃が予期されている以上、圧倒的な火力支援等が無い以上、反撃が成功するものか」

 第11師団長の土屋光春中将は鼻を鳴らした。

 第9師団長の大島久直中将も似たような態度で露軍の反撃を迎撃した。


 実際、露軍の反撃は随意反撃と言えば聞こえはいいが、要は日本軍の守備が薄そうなところを前線が見極めたうえで、そこに攻撃を集中しようというものだった。

 それに対し、乃木大将は事前に望台方面に展開している隷下の部隊に露軍の反撃があると警報を発していた。

 そして、露軍は、今後の旅順要塞守備の関係上、反撃を実行する際に、砲撃等の火力支援を節約せざるを得ない事情を抱え込んでいた。

 日本軍側も旅順要塞への第一次総攻撃攻撃の結果、ほとんどの砲弾を射耗していたが、お互いに砲撃による火力支援が無いならば、反撃を予期した上で、急造した守備陣地に籠って露軍を迎撃する日本軍が、露軍に対して圧倒的に優位に立って防衛戦を展開できた。


 コンドラチェンコ少将は何とか露軍の随意反撃を成功させようと苦心したが、早速、露軍の機関銃を活用した戦術まで逆用しだした日本軍の陣地守備の前に、9月8日、露軍の随意反撃は中止されることになった。


 この随意反撃について、旅順要塞攻囲戦後に露軍の2人の将軍は対照的な見解を残した。

 スミルノフ中将は、この随意反撃により、露軍の士気は我々にはまだまだ反撃する力があると認識して高まった。この随意反撃が無ければ、もっと早期に旅順要塞は陥落したろう、と語った。

 ステッセル中将は、この随意反撃により露軍は精鋭4000人余りを喪失し、第1次総攻撃と合わせると日本軍より多くの損害を出してしまった。これによって、旅順要塞陥落は早まった、と語った。

 どちらが正しいのか、今に至るも論争は続いている。

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