第2章ー23
同じ頃、乃木希典第3軍司令官は、林忠崇海兵師団長を呼び寄せ、伊地知幸介第3軍参謀長と3人で懇談していた。
「想像以上の損害が出てしまったが、林はある程度予期しておったのか」
乃木大将は林中将に尋ねた。
「予期しておりました」
林中将は答えた。
「なぜ、わしに事前に言わなかった」
「言ったら、旅順要塞に対する総攻撃を決断できていましたか」
「確かにな」
乃木大将は自問自答した。
第3軍の3割以上が死傷する、そう予期していたら、自分は攻撃を決断できなかったかもしれない。
「だが、わしは第3軍司令官だ。その任務にある以上、わしに腹蔵なく全てを話してほしい。よろしく頼む」
乃木大将は、林中将に語りかけた。
「私が考え違いをしておりました」
林中将は頭を下げながら思った。
乃木大将は性格的に優しいところがありすぎる気がする。
心を痛めねばよいが。
実際、この懇談の後の頃から、夜になると乃木大将が1人、外で黙然とたたずむ姿が時折、見られるようになった。
その姿は徐々に多くみられるようになり、奉天会戦の後になると、毎夜のようになった。
それを見たある外国人記者は次のように乃木将軍の姿を報じた。
「如何に機嫌好く陽気に見えていても、乃木将軍は哀れ断腸の人であったのだ」
そして、乃木将軍のその姿を見て気づいた第3軍の関係者は皆、乃木将軍に黙礼した後で、乃木将軍の姿に気づかなかったように本来の自分の場所に戻るのが通例になった。
彼らも乃木将軍の孤独に内心では同情しつつも、それに気づいたように振る舞うことは、却って乃木将軍の孤独を深めることになると軒並み察したのだ。
「さて、一応は旅順要塞に対する第一次総攻撃は成功裏に終わったと、わしは判断するが、林はどう考える」
乃木大将は続けて言った。
「私も成功したと考えます。ですが、画竜点睛を欠きました」
林中将は反省した。
「どういう点でだ」
乃木大将は質問した。
「203高地は攻めるべきではありませんでした。そこまでせずとも助攻任務は果たせたと思います。無理攻めしたために3000もの死傷者を余分に出してしまいました」
「戦場心理からすると仕方ないと思うが、それにひょっとしたら露軍がより引っかかってくれているかもしれんぞ」
伊地知少将は口をはさんだ。
「それは分からない事ですから」
林中将は肩を落としたままで言った。
「ところで露軍は旅順要塞に籠ったままでいると思うか?」
乃木大将は話を変えることにした。
「私だったら、反撃の誘惑に駆られますな」
林中将は言った。
「第一次総攻撃の補充が届いていない現在しか、露軍の反撃の機会はありません。後に反撃を送らせる程、露軍の反撃が成功する可能性は低下します」
「林もそう思うか」
横で伊地知少将も林中将の意見に同意して肯きながら言った。
「どこから反撃が行われる」
乃木大将が言った。
「望台方面ですな。203高地方面にいるのは海軍歩兵です。反撃に使うのには心もとない戦力です」
林中将は半分、断言するかのように言った。他の2人も肯いた。
「よし、露軍の反撃を警戒するように望台方面に展開している隷下の部隊に警報を発しよう」
乃木大将が裁断した。
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