第2章ー21
海兵師団長の林忠崇中将による203高地攻撃命令は、土方勇志少佐に聞こえてはいたが、土方少佐の心の中では現実の重みの前に素通りしているような状態だった。
土方少佐の視界に入る海兵師団司令部の参謀の面々にとっても同様らしい。
林中将の命令に従って動いてはいるが、心がそれに伴ってはいない。
土方少佐の目の前にいる鈴木貫太郎中佐はその典型で、真っ青な顔色のままで林中将の命令を下達しようとしているが、心がそれについていなかった。
「鬼貫が、青鬼になってしまった」
土方少佐の心の片隅は、まるで他人事のように鈴木中佐の行動を論評していた。
その一方で、自分の行動や考えも、自分の事ではないように思えた。
僅か1日の戦闘で2万人近い海兵師団の総人員の1割以上の2000人以上が死傷している。
土方少佐の心の中では、父が他の先達と共に鍛え上げた海兵隊は世界に冠たる精鋭の筈だった。
その精鋭が敵の1つの陣地を奪取するだけで1割以上も1日で死傷することなどある筈がないことだった。
だが、現実にそれが起こっている。
土方少佐の内心は混乱しきっていた。
なまこ山に続き203高地を奪取しようとする海兵師団の攻撃は敵陣地に対する砲撃から始まった。
「残弾全てを撃ち尽くせ」
海兵師団参謀長の内山小二郎少将の号令を皮切りに、海兵師団の指揮下にある砲兵全てが203高地に対して射弾を集中させる。
だが、そもそも弾薬が残り100発程に欠乏している以上、1時間も経たない内に砲声が完全に沈黙してしまう。
中村覚少将率いる第1海兵旅団は砲声が止み次第、203高地への突撃を開始した。
この攻撃は牽制だけのはずだった。
だが、これは203高地を守備する露海軍歩兵にとっては、戦術的奇襲となったことから思わぬ展開となった。
日本海兵隊が要塞攻撃の際に100発程の事前砲撃で突撃を開始する等、当時の戦術からはありえない事だったのだ。
林中将自身も1000発は要塞攻撃の前に事前砲撃が欲しいというのが、この当時の戦術だった。
だからこそ、露海軍歩兵は慌てふためくことになった。
露海軍歩兵の狼狽は、中村少将率いる第1海兵旅団の攻撃を成功裏に推移させた。
203高地を日本海兵隊は奪取できそうに見えた。
しかし、ここまでの成功は林中将にも予想外のことだった。
そのために事情を知らぬ一部の後世の批評家に言わせれば、林中将にとって一世一代の失策が起きてしまった。
「これくらいでいいだろう。第1海兵旅団は203高地から撤退しろ」
戦況を按じた末に林中将は伝令を第1海兵旅団に走らせて203高地に対する攻撃を中止させた。
203高地が海兵隊に取れそうに見えるのは露軍の罠だと林中将は深読みしてしまった。
それに海兵師団の死傷者は5000人を超えようとしていた。
覚悟を固めていたはずの林中将の心もさすがに折れてしまったのだ。
実際、203高地攻防戦に参加している第1海兵旅団の実働人員は2個海兵連隊を基幹としている筈が実働人員が1個海兵連隊に満たないまでに損耗していた。
後少しかもしれないが、その後少しの人員が日本海兵隊にはいなかった。
こうして海兵隊にとって旅順要塞第1次総攻撃は終わりを告げることになった。
林中将のほぼ事前予想通りに海兵隊の死傷者は6000名近くに達した。
第3軍全体でも1万6000名以上の死傷者を出した。
だが、その一方で露軍の旅順要塞守備隊も1万2000人余り、守備隊全体の2割以上が死傷した。
第3軍には補充があるが、旅順要塞守備隊に補充はない。
旅順要塞守備隊は第1次総攻撃を跳ね返した。
だが、旅順要塞守備隊の面々の多くが暗い予感を覚える結果になった。
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