第1章ー3
「それで、私のところに相談に」
犬養毅は心の底から笑いをこらえているような表情を浮かべた。
林忠崇中将も笑うような表情を浮かべている。
「私は憲政本党の代議士ですが、所属している党が落ち目ですし、選挙が間近になっていましてな。お力になれそうもありませんな」
「犬養毅議員の舌鋒の鋭さは有名です。選挙後に議場を沸かせて下さるだけでも構いません」
「そこまで言われては動かざるを得ませんな」
犬養毅は同意した。
だが、このことを30年近く後で犬養毅は悔やむことになる。
「ほう、海兵隊は海軍所属ではなかったか。桂首相に陸海軍対立の際の調整権を与えるとは、海兵隊も支持していた陸海対等に反するのではないのかな」
山県有朋元帥陸軍大将は、皮肉めいた眼を面会を求めてきた本多海兵本部長に向けた。
「海軍所属ではありますが、早速、陸海対等の弊害が出ておりますので是正したいと思いまして」
本多海兵本部長はいけしゃあしゃあと山県元帥に言った。
「お前のことだ。勝手に動き回っているのだろう。お前だけではなく、林も動いているのだろうな」
「肯定できませんが、否定できません」
「それは肯定しているということだな」
山県元帥は鼻を鳴らした。
「確かに陸海軍が対立した場合には、誰かが調整せねばならん。話し合って決めればいいというかもしれんが、戦時ではそんな余裕はない。戦時だからこそ、誰かが調整して裁断せねばならん。天皇陛下が調整することでは誰も責任を取らなくなるし、天皇陛下に申し訳ない」
山県元帥は独語して考え込んだ。
「たまたま桂首相が陸軍出身だというだけだ。特に問題はないな」
考えがまとまった山県元帥は笑みを浮かべながら言いだした。
「では、桂首相が陸海軍が対立した際は調整するということに陸軍は同意する方向で動いていただけるということですか」
本多海兵本部長はほっとして言った。
「戦時中の特例だがな。日露戦争という国難に際して陸海軍が対立した際に誰かが調整する必要がある」
山県元帥は言った。
「但し、海軍は自分で何とかしろ。わしは口を挟まん」
「ありがとうございます」
本多海兵本部長は頭を下げた。
山本権兵衛海相は仏頂面をして、閣議に臨んでいた。
閣議では完全に根回しが済んでいる状態だった。
自分1人が桂首相が陸海軍が対立した際は調整するという提案に反対してもどうにもならない。
山県元帥を家康とすれば、秀忠といわれる桂首相、家光といわれる寺内陸相が山県元帥が支持するこの提案に賛成するのは当然だった。
せめて、桂首相か、寺内陸相が言いだせば、陸軍の横暴だと反論できるが、小倉処平が動いたことで小村外相がこの提案を言いだした形になっている。
海軍内部でも、本多と林が組んで動いたので、海軍内の結束が乱れてしまい、旧幕府系に至ってはこの提案を積極的に支持する有様だった。
首相が調整するのであり、将来、海軍が首相を出したときは、海軍が調整できるという甘言に彼らはのってしまったのだ。
衆議院でも歓迎する動きがあるらしい。
海軍は四面楚歌の状況だった。
「それでは、日露開戦後に陸海軍が対立した際は、私が調整するということで異議はありませんな」
桂首相は言った。
「異議はありません」
山本海相は渋々言った。
挙国一致の姿勢を示すために、閣議は全会一致だったということにしなければならない。
陸海対等になったばかりなのに、と山本海相は内心でため息を吐いた。