第2章ー18
同じ頃、露の旅順要塞守備隊も幹部を集めて会議を行っていた。
司会は旅順要塞司令官のスミルノフ中将が務めた。
スミルノフ中将がまず発言した。
「旅順要塞に対する日本軍の坑道攻撃の準備は徐々に整っていると観察される。諸君らの忌憚のない意見を聞きたい」
第7東シベリア狙撃師団長のコンドラチェンコ少将がまず発言した。
「日本軍の主攻撃は望台攻略を最終の目標とし、その前段階として、9月早々にも盤龍山堡塁や水師営堡塁への攻勢を行うものと推察します」
他の会議の参加者もコンドラチェンコ少将の発言に次々と肯いて、賛意を示した。
だが、1人が基本的にコンドラチェンコ少将の意見に賛意を示しつつも、異見を述べた。
「ですが、一部の日本軍が203高地を目指しているように見受けられます。私も望台攻略が日本軍の主攻勢だと考えます。ですが、これが実は日本軍の主攻という可能性がないことはないと思うのですが。いかがでしょうか」
その出席者は、臨時に編制された海軍歩兵旅団長のウフトムスキー提督だった。
「確かにな」
スミルノフ中将もウフトムスキー提督の意見を無視できなかった。
旅順市街全体を護ることを想定して旅順要塞は建設された。
そして、その際には旅順要塞の守備隊は1個師団という前提だった。
だが、日露戦争開戦後に、アレクセーエフ総督の判断により旅順要塞防衛隊には2個師団に増強されて、更に独立狙撃兵連隊や砲兵隊も旅順要塞守備隊に参加した。
そのために旅順要塞には前進陣地を築く余裕ができた。
更に旅順艦隊が解散して、海軍歩兵旅団(兵力的には師団と呼称されてもおかしくない)が新たに旅順要塞守備隊の一員として再編制されている。
これだけの兵力があれば、更に前進陣地を構えたり、強化したりすることが可能だ。
そして、旅順要塞守備隊にとって、土地をある程度確保しておくことは旅順要塞を防衛するうえで不可欠の前提だった。
早めに土地を失うことは、旅順要塞守備隊にとって後退の余地が失われることになる。
そして、203高地が旅順要塞守備隊にとって悩ましいのは、前進陣地が構えられているだけという点では防御力に欠けるが、203高地を確保していれば、椅子山陣地の側面援護になる上に大案子堡塁や太陽溝堡塁を守備する兵力を削れることだった。
逆に言えば、203高地を日本軍に制圧されてしまうと旅順要塞守備隊にとって守備する範囲が広くなってしまうのだ。
補充兵が届く日本軍に対して旅順要塞守備隊に補充兵が届くことは無い。
そういったことから考えると、日本軍の主攻勢が実は203高地に行われた場合、旅順要塞守備隊にとって203高地は死守すべき場所だった。
「私が言いだしたのです。203高地方面は我が海軍歩兵旅団が守って見せます。陸軍の皆様は望台方面の防衛に当たってください」
ウフトムスキー提督は続けて言った。
会議の参加者は提督の意見に次々と賛同した。
ここに203高地方面において、日露の海軍同士が陸地で激突することになったのである。
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