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第2章ー6

 大孤山の観測所から旅順港内の一部が観測できるようになり、永野修身海兵中尉は早速、海軍本体から派出された重砲隊による旅順艦隊に対する砲撃の弾着観測任務に当たることになった。


「どうだ、よく見えるか」

 黒井悌次郎中佐は、永野中尉に問いかけた。

「見えないことは無いですが」

 永野中尉の歯切れは悪かった。

 この観測所から見える旅順港内はほんの一部だけで、旅順港内を一望の下に収めるというわけにはいかない。


「とりあえず、散布砲撃で行う。煙が上がったら、そこに砲撃を集中するから、よく観測するように」

「分かりました」

 黒井中佐の命令に永野中尉は答えた。


「いつかは始まると分かっていたが」

 旅順艦隊臨時司令長官のウィトゲフト提督は独白した。

 日本軍による旅順艦隊をめがけた砲撃が始まったのだ。

「全く欠陥要塞を作るからだ」


 提督の攻撃の矛先は味方の上層部に向かった。

 実際、旅順要塞の実態は露政府の宣伝と裏腹だった。

 提督の目からすれば、単なる張子の虎だった。


 提督の目からすれば、旅順要塞はまず余りにも規模が小さいものだった。

 203高地や大孤山といった旅順港を観測可能な高地を要塞内に収めておらず、要塞の外からの間接砲撃を阻止できないのである。

(しばしば誤解されるが、203高地には永久堡塁は設置されておらず、前進陣地に過ぎなかった)

 更に旅順要塞は完成には程遠く(予定では1909年に完成)、不十分な状態で日本軍の攻撃を待ち受ける羽目になったのである。


 だが、露本国の目からすれば、また、別の一面が見えてくる。

 そもそも日露戦争開戦直前に極東方面に配置されていた露陸軍は8個旅団に過ぎなかった。

(開戦後に増員と改編により8個師団となる)

 実は旅順要塞に籠る兵力は平時兵力から1個師団という前提で設計されていたのである。


 従って、203高地等まで確保可能な要塞は、守備兵力不足となることから建設不可能だった。

 また、植民地経営と言う観点から満州への軍事投資はできる限り控えられており(そうしないと赤字になり、本国の負担となってしまう)、旅順要塞の建設はそんなに急がずともよいとされたことから、完成には程遠い状態で日露開戦という事態となってしまったのである。


 ソ連成立後に、ソ連赤軍で作成された日露戦争史の中で、旅順要塞の建設がこのような状況にあったことは極めて理解に苦しむとまで評されることになる。

 その日露戦争史の中で、あそこまで日本を挑発するのなら、何故、旅順要塞の建設等を急がなかったのか、挑発するのなら、旅順要塞の建設等、軍事能力を高めた後で、日本を挑発すべきだったろう、と論評された。


 そして、日露開戦という事態が起こり、慌てたアレクセーエフ総督は2個師団余りを旅順に立て籠もらせた。

 そのおかげで、203高地等に前進陣地を作り、旅順要塞の防御力を高めることが出来たが、今度は要塞を防御する火力が不足するという事態を招いた。

 そのため泥縄式の対応を取ることになり、提督の苦悩をますます深める羽目になったのである。

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