第1章ー19
6月1日、伊東軍令部長のお供をして林軍令部第3局長は、陸軍参謀本部を訪れていた。
陸軍参謀本部では、大山巌参謀総長と児玉源太郎参謀次長が揃って待っていて、旅順要塞に対する基本方針を陸海軍で話し合った。
「いや、旅順要塞のことをすっかり忘れておった」
話し合いが始まってしばらくした後、児玉参謀次長は笑いながら話して自分の不見識をごまかした。
つい最近まで、旅順要塞は竹矢来で囲めばよい云々と児玉参謀次長は言っていたのである。
それを旅順要塞を忘れていたと言ってごまかすのか、林は内心で苦笑いした。
自分も旅順要塞を攻略したときの副次効果には、つい最近まで気づいていなかったので、人のことは言えないのだが。
児玉参謀次長の発言は同席している大山参謀総長や伊東軍令部長にも響いていた。
日露戦争は日本有利と言う判定勝ちで終結させるしかない、日本の政府も陸海軍部もその点では全く一致していた。
露の首都を日本軍が陥落させるのは絶対に不可能であり、かといって東京を露軍が陥落させるということも露の海上輸送力から考えるとかなり無理があった。
(日本の軍部はそう判断しており、露軍部もその点ではほぼ一致していた)
となると、どこかで手打ちをして講和することになる。
陸軍が遼陽なり、奉天なりで一大会戦を挑んで大勝利を収めるか、海軍が旅順にいる太平洋艦隊主力と、バルト海から回航されるバルチック艦隊を連破することで、日本が判定勝ちを収めるというのが日本陸海軍首脳部の考えだった。
だが、林の指摘がその考えを崩した。
林は旅順要塞を速やかに少ない犠牲で落とすことは、クリミア戦争でセヴァストポリ要塞の陥落がクリミア戦争終結につながったように、陸軍の一大会戦の勝利や海軍の露太平洋艦隊主力の撃滅に等しい戦果になると言ったのだった。
それに鴨緑江会戦での日本第1軍の鮮やかな勝利は、日本の外債を売りさばくのに貢献していることから考えると、旅順要塞を速やかに落せれば、日本の外債は更に売れるのに対し、露の外債は売れなくなり、戦争遂行に際して日本有利に働き、日露間の手打ちを日本有利に促進できるのではないか、林は更にそのように言った。
児玉参謀次長は笑いを収めると言った。
「お前の仇名は本当に今忠勝か。本多正信の生まれ変わりではないか。戦争をするのに金勘定をするとは腸の腐った奴だと言われかねんぞ」
林は憮然としながら答えた。
「本多海兵本部長が本多正信の生まれ変わりですから、私が本多正信の生まれ変わりになるわけがありません」
「それは認めてやる。奴は本多正信の生まれ変わりだからな」
伊東軍令部長も笑いながら言った。
「となると旅順要塞攻略に取り掛かったら、何としても速やかに陥落させないといけませんな」
大山参謀総長が言った。
「同感です。海軍はどう思われますか」
児玉参謀次長は真顔になって言った。
「その視点はありませんでした。ですが、言われてみれば認めざるを得ません」
伊東軍令部長も言った。
「では、旅順は要塞攻略を何よりも優先するということで陸海軍の見解は一致と言うことでよいですな」
大山参謀総長が念押しした。
「よいでしょう。連合艦隊司令部にもその旨、申し伝えます。また、重砲部隊を海軍本体からも旅順要塞攻略のために派出しましょう」
伊東軍令部長は言った。
ここに陸海軍の軍令は旅順要塞早期攻略という一点で協調したのである。
第1章の終わりです。
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