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第1章ー11

 アレクセーエフ総督の当時の対日外交の判断を支持する意見は、日露戦争から100年以上経った現在、世界中で皆無に近い。

 同時代のクロパトキン将軍等でさえ、日本軍の実力をある程度は客観的に判断していて、日露戦争は最終的には露が勝つにせよ、一時的に苦戦することがあると判断しており、日本を暴発させることは露のためにならないと判断している。


 はっきりいって、アレクセーエフ総督は海軍の軍人で海軍大将になったほどの人物にも関わらず、客観的な日本の軍事力の評価ができずに低く見積もり過ぎていたのである。

 アレクセーエフ総督の日本海軍の評価は極めて低かった。

 日本海軍は釜山と博多の補給線を確保するのが精いっぱいで、それでさえ、旅順艦隊の出撃の前に容易に寸断されてしまうだろう。


 朝鮮海軍が事実上存在しない以上(事実、日露戦争当時の朝鮮海軍は国内の治安維持に必要な陸軍優先という金弘集政権の判断によりほぼ存在しないと言っても過言ではなかったが)、日本陸軍が朝鮮半島に展開することは不可能で、まともな陸軍を持たない朝鮮政府は日露戦争後、孤立無援の現状を理解して、すぐに露政府に尻尾を振って対日戦争に参加するだろう。


 後は、釜山に露太平洋艦隊を展開して、日本本土上陸作戦を展開、1年以内に日本全土は露軍の前に制圧下に置かれて、日本は露の領土になる。

 日露戦争になった場合について、アレクセーエフ総督は日露開戦前にはそう判断していて、皇帝のニコライ2世にそのように上奏している。

 ニコライ2世も軍事専門家のアレクセーエフ総督がそういうのだから、とアレクセーエフ総督の判断を日露戦争開戦に至るまでは支持した節がある。

 だが、それによってもたらされたものは露にとって破滅的なものになった。


 1904年2月8日夜、旅順港沖合に日本海軍は迫っていた。

 これに露軍は全く気付いていなかった。

 アレクセーエフ総督は日本が国交断絶を伝えてきたものの宣戦布告をしていないことから、戦争はまだ先であるとして、露軍に警戒態勢を取るように指示しなかったためである。


 更に酷いことにアレクセーエフ総督は日本が国交断絶を伝えてきたことさえ、2月9日に開くことが予定されていた特別協議会で伝えるので充分だとして、ごく身近な側近にしか知らせていなかった。

 こういった状況の中で、日本海軍による旅順艦隊夜襲作戦は決行された。


 日本海軍は露軍の無警戒ぶりは罠であるとして、旅順艦隊の襲撃を早々に打ち切ることにし、一撃離脱に徹した。

 このため旅順艦隊の損害は戦艦2隻の大破、巡洋艦1隻の大破に止まった。

 真実に気づいていれば、2月9日の朝には旅順艦隊は事実上消滅していたろう。


 後に海軍史家の多くが、日本海軍は臆病風に吹かれていたと非難した。

 だが、戦争中にそこまで無警戒と言うことはありえないと判断した日本海軍の方が常識的だろうという反論も多い。


 露はこの宣戦布告前の旅順艦隊夜襲作戦は卑怯だと非難した。

 だが、同盟国の仏のデルカッセ外相ですらこう露軍の行動を評している。

「国交断絶を宣言されているのに、警戒態勢すらとっていない。露の軍事的無能は同盟国から同盟破棄を宣告されても仕方ない酷さだ。事実上宣戦布告されてから丸1日以上経っているのだ」

 日本陸軍はこの旅順艦隊夜襲作戦の成果に安堵した。

 鎮南浦上陸作戦の発動が決まった。

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