三話 変わりたい
「お待たせしました」
店員さんは、まるで注文の品を届ける時のような言葉を吐いて、近づいてきた。違う点と言えば、店員さんの身に纏っているものがエプロンではなくコートということぐらいだろうか。
いや、違う点を上げれば他にも幾度かあるが、数え上げても仕方がない。あたしは突然見知らぬ人が来た錯覚に目を見張った。
「そんなに驚かなくても」
店員さんはあたしがあまりにも驚いていたからか、笑いながら言った。先程の笑みとも、営業中の笑みとも違う、どこか親しげな笑顔だった。この人のこんな表情、見たことがない。
「家はこの辺りですか?」
店員さんは鍵をくるくる回しながら尋ねてきた。
「えっと、ここから歩いて十分くらいのところです」
あたしが呟くと、店員さんはそのまま表に出て行った。そして、まだ店内にいるあたしを不思議そうにしばらく見つめた後で、笑顔を浮かべた。
「ほら、早く帰りますよ」
なんだか妙な気分だ。ほんの数十分前までは、ただ珈琲を注文するだけの関係だったお店の店員さん。そんな人が、あたしと私服で一緒にいる。
それに、年上の人に敬語を使われるのは変な気分になる。
Yシャツを着ていて、どこかきっちりとしているか、それとも彼が整った顔をしているのに落ち着いた雰囲気を出しているからか、まるで漫画やドラマで見るような執事に見える。
「執事」
「ん?」
思わず口から漏れてしまった言葉に、彼は不思議そうに顔を向けてきたが、どうやら聞こえていなかったらしい。
良かった。馬鹿みたいなことを考えているのがバレてしまうところだった。カフェの店員さんを見て、こんな風に思ってしまうなんて、きっとおかしな子と思われて、引かれてしまうに違いない。
心の中で安堵しながら足を進める。
「ところで、名前はなんと言うのですか?」
「えっ、あ、あの、蓮嬢美花っていいます」
「へー、美花ちゃんか。綺麗な名前だね」
彼は店を出たからか、敬語で話してこなくなった。これならば敬語の方が良かった。なんだか違和感というか、妙に体がぞわぞわとする。こんなことを言っては彼は怒ってしまうだろうか。
って・・・、あたし、今。
「どうかした?」
あたしが突然立ち止まったので、彼が怪訝そうに見つめてくる。
「あ、あの・・・やっぱりあたし一人で帰ります!」
「えっ、ちょっ」
彼の言葉も待たずに、あたしは逃げるように走った。あたしが年上の男の人の隣を歩いていた。しかも・・・。
「美花ちゃんって言われた。綺麗な名前だって」
これまで何度名前負けしていると思っただろうか。どこが美しい花だ。こんなにも地味なのに、ずっとそう思っては自分の名前が嫌いだった。
でも・・・。
あたしがもっと積極的で、もっと可愛くて、もっと楽しい子だったら彼の隣を堂々と歩けるのに。彼はあたしがお客さんだから優しくしてくれただけなんだ。そうに決まっている。それ以外に理由があるわけがない。
でも、もしも自分がもっと素敵だったら、きっとあのまま笑いながら話して、仲良くなれたのかもしれない。
どちらにしても・・・。
「もうあのお店いけない!」
変わりたい。彼の隣を堂々と歩けるような、素敵な女の子になりたい。
「どうしよう」
ぽつりと呟いた言葉は静かな夜道に消えて行った。