雨が止んだらキミと歩こう
以前書いた「歩道橋の向こう側」「日曜日、キミと太陽の下で」に出てくる二人のお話です。
「付き合う」ってどういうことか、実はよくわかってない。
「幼なじみ」のみのりとは、もう二年以上「付き合ってる」らしいけど。
学校帰りに制服を着たカップルが、幸せそうに歩いているのを見たりすると、僕はちょっとだけ不安になる。
みのりは僕と「付き合う」ってこと、どう思っているんだろうって……。
「ねぇ、葵? ここ、さっきも通らなかった?」
丘の上の高級住宅街を、僕はみのりと二人でぐるぐる回っていた。
昨日の夜、パソコンからプリントアウトしたレストランへの地図。
それを家に忘れるという失態を演じた僕は、うろ覚えの住所からやっとのことでお目当ての店を見つけた。
それなのに……ドアにかかっていたのは「臨時休業」の四文字。
おまけにどこで道を間違えたのか、最寄り駅にも戻れない始末だ。
僕とみのりは見知らぬ街で、完全に迷子になっていた。
慣れないことはするもんじゃない。いまさらそれに気づいてももう遅い。
片道三時間の距離に住む高校二年生の僕たちは、学校はもちろん、部活やバイトが休みのたまにしか会えない。
会うときはいつも、みのりが弁当を作ってきてくれて、公園や河原でそれを食べる。あとは適当に散歩したり、どうでもいい話をしたり……。
だけど彼女持ちの友人は僕に言う。
「お前、毎回それだけって……中学生かっ? カラオケとか映画とか行くだろフツー」
フツーかフツーじゃないかといえば……僕たちはフツーじゃないのかもしれないけど。
「しかもめったに会えない彼女との貴重なデートだろ? たまにはオシャレなカフェとか連れてってやれよ!」
オシャレなカフェって言われてもなぁ……だけど僕だって、なんとなくこのままではよくないような気もしている。
ただみのりが、そういうのを望んでいるのかどうか、僕にはわからなくて……。
「行きたいに決まってるじゃん? 彼女、お前に気を使って言えないだけだよ」
そして友人はご丁寧にも「オシャレで安くて隠れ家的な、ビーフシチューのうまい店」というのを僕に教えてくれた。
「あっ、また」
似たような建物の並んだ住宅街で、僕たちはまた同じ場所に出てしまった。
だいたいあの「隠れ家的な」というのがよくないのだ。
店だったら、もっとわかりやすい場所に建てるべきだろう?
「ねぇ、葵。誰かに道、聞こうか?」
確かにそうするのが、一番手っ取り早いとわかっているけど……。
僕の中のヘンなプライドがそれを邪魔する。
「ねぇ、葵……」
「うるさいな! ちょっと黙ってろよ!」
つい……怒鳴ってしまった。
隣でみのりが口を結ぶ。
八つ当たり――自分のあまりの情けなさに腹が立って、何にも悪くないみのりに当たってしまった。
うつむく僕の足もとに雨粒が落ちる。
天気予報は晴れマークだったのに……今日はどこまでもついてない。
湿り始めた路面を、黙ったまま歩き出す僕。そのあとをついてくるみのり。
今日のみのりは、珍しく女の子らしい格好をしていた。チェック柄のシャツワンピースにブーツなんか履いちゃって。
きっと僕が、レストランに行こうなんて誘ったからだ。みのりはもしかしてそれを楽しみに、三時間かけて会いに来てくれたのかもしれない。
それに僕だって……昨日入ったばかりのバイトの給料を、財布に押し込んでやってきたのに。
雨は次第に強さを増し、僕たちはそばにあったマンションの軒下に駆け込んだ。
二人並んで雨を見つめた。
僕たちの前を、水しぶきをあげて車が一台通り過ぎる。
じっとりと濡れた空気の中で、ため息も出ない僕の耳に、みのりの声が聞こえてきた。
「なんかさ、こういうの、ずっと前にもあったよね?」
僕の隣で、前髪を雨に濡らしたみのりが微笑んでいる。
「あたし昔から知らない道歩くのが好きで……隣駅まで行ってみようって、無理やり葵を誘ったことあったでしょ?」
「……ああ」
あれは確か小学校に上がったばかりの頃。好奇心と行動力にあふれたみのりに、僕はいつも振り回されてばかりいた。
「どんどんどんどん歩いて行ったら、途中で雨は降ってくるし……結局迷子になっちゃって、お母さんにすっごく怒られたっけ」
みのりは懐かしそうに小さく笑い、僕の顔をのぞきこむ。
「覚えてる? 葵」
「覚えてる……」
知らない道をみのりと歩いた。まだ小さかった手と手をつないで……。
戻ろうよと言いながらも、ちょっとわくわくして、ちょっとドキドキして……そしてちょっと嬉しかった。
「雨、すぐ止むよ」
雨雲を見上げてみのりがつぶやく。みのりが言うと、本当にそうなりそうな気がするから不思議だ。
「ごめん……みのり」
「ん?」
「さっき、怒って……」
みのりが肩をすくめるようにして笑う。
「それに、せっかくビーフシチュー食べようと思ったのに」
「また今度来ればいいよ。もちろん葵のおごりでね?」
二人の間に風が吹く。みのりのワンピースがふわっと揺れる。
「あ」
短い声が聞こえて、僕はみのりの視線を追った。
「雨、止んだ」
降ってきた時と同じくらい突然に、雨は止んで青い空が顔を出す。
みのりは軒下から出ると、目の前にある水たまりをぴょんっと飛び越え僕を見る。
僕はその後を追いかけて、みのりの柔らかな手をそっと握った。
「腹、減ったな……」
「んー、確かに」
「とりあえず……コンビニでも探そうか」
歩き出した僕の手を、みのりが前後に大きく揺らす。
「は、恥ずかしいだろ? 子供じゃないんだから」
「いいじゃん。誰も見てないし」
みのりが楽しそうにそう言うから、僕はあきらめて言うとおりにする。
雨上がりの道を、高校生になったみのりと並んで歩く。子供みたいに、つないだ手をぶらぶらと振って。
「なんか楽しいね? 今日」
「え……そうかな?」
「葵は楽しくないの?」
みのりが立ち止まり、小首をかしげて僕を見る。
僕はさりげなく視線をそらし、みのりにつぶやく。
「こんなんで、いいの?」
「ん? 何が?」
「だからさ……こんなんで『付き合ってる』とか言えるのかなって……」
みのりは僕の隣でくすくす笑う。
「そうだなぁ……放課後教室でいちゃいちゃしてる子たちとか、学校帰りに制服デートしてる人たちとか見ると、ちょっと羨ましいなぁって思うけど」
僕がちらっとみのりを見たら、みのりは空を見上げてこう言った。
「でもやっぱり、ダメだもん。その相手が、葵じゃなくちゃ……あたしはダメだもん」
ほんのり赤くなるみのりの横顔。
ああ、そうか。そうなんだ。
背伸びなんかしなくてもいい。人と違ったっていい。
みのりとこんなふうに一緒にいられるだけで、僕はわくわくしてドキドキして、そして嬉しいんだから。
「もうっ! あたしばっかり言わせないでよっ! 葵はどうなのよっ」
恥ずかしそうにみのりが聞くから、僕は言葉の代わりにキスで答えた。
水たまりに映る秋の空。「せーの」で一緒に飛び越える。
「葵の手、おっきくなったね?」
「当たり前だろ」
「おじいちゃんとおばあちゃんになっても、こうやって手つないでいたいな」
「それって、何十年後の話だよ?」
「いいじゃん! 葵はホントに夢がないなー!」
何十年先はわからないけど、来年も再来年も、みのりとこうやって付き合っていたいなって思う。
そんなこと照れくさくて、口に出しては言えないけれど。
小さな交差点を右に曲がったら、坂の上から海が見えた。
急に駆け出すみのりに引っ張られ、僕も坂道を走り出す。
他人から見たら僕たちも、幸せそうなカップルに見えるのかもしれないな……。