†ジェイラスの苦悩
王太子ランドルフの結婚パーティーで羽目を外した者も幾人かいたようだが、こういうときだからこそ、気を引き締めねばならない。
それでもジェイラスの心はふわふわと浮いていた。それは、アリシアが結婚を受け入れてくれたのが理由だが、もう一度きちんと結婚の申し込みをしようと考えていた。
気持ちの昂ぶりもあって、つい先走ってしまったが、雰囲気のよいレストランで結婚の約束を交わした証の指輪を贈る予定だった。
それを今から妄想していたら、気もそぞろになっていたようだ。そのせいか、伝令のために騎士を呼び、アリシアじゃない者がやってきたときに「アリシア・ガネルはどうした?」と聞いていた。聞いてから思い出した。アリシアは休みだった。
「あっ……申し訳ありません……」
伝令係の男性騎士は深く腰を折る。
「アリシアは長期休暇中のため、今後は私が主に担当いたします」
彼は顔を上げずにそう言った。
アリシアはジェイラスとの交際を親に報告するために実家へと向かい、一か月の休暇を願い出たのだ。
「そうか、よろしく頼む」
普段と同じ口調を心掛けたつもりだが、もしかしたら口元は緩んでいたかもしれない。
(アリシアは、そろそろ実家に着いただろうか――)
アリシアが休みを取ってから五日後にはそう思うようになり、手紙が届くだろうかと期待に胸を弾ませていた。
しかし、十日経っても手紙の一通もやってこない。アリシアのことだから、実家に着いたらすぐに手紙をくれるだろうと思っていたのだ。
(アリシア……)
身体を動かしているときはまだいい。静かに執務をこなしていると、ふと彼女を思い出してしまう。
ジェイラスも手紙を書こうかと思ったが、アリシアはいきなりジェイラスがガネル子爵家に連絡をすれば驚くとも言っていた。そうならないための彼女の里帰りなのだ。
そう思いつつも、アリシアから手紙がこないのはおかしい。
便箋を机の上に並べて、文章をしたためようとしたところでペンは止まる。彼女の考えも尊重したい。手紙がこないのは、久しぶりの実家だし、まして結婚の話や準備のために戻ったのだから忙しいのだろう。
なにより、彼女の休暇は一か月間。その期間が過ぎればまた会えるのだ。ここで我慢ができなくてどうする? と自問自答をし、寂しい気持ちを紛らわせた。
しかし、約束の一か月が過ぎても、アリシアが戻ってきた様子はないし、そういった連絡もなかった。もし休暇の延長を願うならアリシアのことだ、必要な手続きをしているはずだと、ジェイラスは勢いよく立ち上がった。
向かう先は一カ所しかない。アリシアの上官、第二騎士団長のブルーノのところである。
だが、ブルーノはジェイラスとアリシアの関係を知らない。恥ずかしがり屋のアリシアは二人の関係を不特定多数の人間に知られるのを嫌がっていた。きっと彼女は二人の身分差を気にしていたのだろう。
それでもジェイラスは、彼女と交際を始めた当初から結婚を意識していたのだ。
ブルーノの執務室にノックをしてから入室すると、彼は驚いたように顔を向けてきた。その表情はどこか憂いを帯びている。
「貴殿がここに来るとは、珍しいこともあるのだな」
近衛騎士団と第二騎士団、仲が悪いわけではないが接点は少ない。むしろ伝令で繋がっているくらいだ。
「いや、伝令係がまだアリシア・ガネルではなかったからな。確認しにきただけだ」
「……あぁ。彼女は近衛騎士団の担当でもあったな」
そう答えるブルーノの声に覇気がない。
「彼女に何かあったのか?」
「それは、私が知りたい。一か月の休暇を与えたが、戻ってこない」
「連絡は?」
「ない。彼女が無断で休みを延長するとは考えにくい」
「ガルシア家からの連絡は?」
アリシア本人が連絡できないのなら、家族の誰かが代わりに手紙を書くだろうと考えたが、首を横に振るブルーノの姿を見ればそれもないのだ。
「何か……事件に巻き込まれた可能性も?」
考えたくはないが、アリシアが実家に帰ってからジェイラスに手紙の一通もよこさなかった。そして今、休暇を終えたはずの彼女は無断で騎士団を休んでいる。
「……その可能性もなくはないな」
ブルーノも認めたくないのか、口調が重い。
「彼女は伝令係として非常に優秀だ。俺たち第一も、彼女をどれだけ頼りにしているか……」
「それは第二も同じだ。まずは彼女の実家に連絡をしてみる」
「頼む」
形式上の受け答えをしたジェイラスだが、自分でもすぐに動き出した。幸いなことに、今日の午後から明日にかけて休みを申請していた。
理由は単純明快。アリシアが戻ってくる日だったからだ。
まず、彼女が王都を発ったときの足取りが掴めないものかと考えた。王都から移動する場合、乗り合い馬車を使うのが一般的であり、アリシアが実家に戻るとしたら、経由地点のサバドに向かうはず。
ジェイラスはすぐに馬車乗り場へと向かい、名簿を確認してもらったが、ここ一か月、サバド地区に向かった馬車利用者の中にアリシアの名は見つからなかった。
馬車を使わなかったとなれば、彼女はあの日、どうしたのか?
ドクンドクンと心臓が震え、嫌な汗が額と背中を伝う。この気持ちを一人で受け止めるのは限界だった。
誰かに相談したいと考え、頭に浮かんだのはジェイラスの護衛対象の男だが、彼が一番信頼できるし権力もある。
すぐに王城へと戻ったジェイラスは、ランドルフの私室の扉を叩いた。
「おやおや、ジェイラス。暗い顔をしてどうしたのかな? 今日は愛しの婚約者が帰ってくるから休みだと、ウキウキわくわくしていたのではなかったのか?」
扉を開けた瞬間、部屋の主からそう声をかけられた。ジェイラスはまだ何も言っていない。扉を叩いて返事があったから、その扉を開けただけ。
蜜月も終わったはずなのに、はだけたガウン姿のランドルフの膝の上には、同じようにガウンを羽織ったクラリッサが座っており、王太子手ずから彼女に食事を「あ~ん」と与えているところだった。
傷心のジェイラスにしてみれば心がえぐられる光景で、時間が止まったかのように立ち尽くしていると、ランドルフもクラリッサも何か察するものがあったらしい。
「おいおい、ちょっと待て、ジェイラス。クラリッサ、悪い。そちらで着替えを」
「あ、はい」
クラリッサも慌てて立ち上がり、ガウンの合わせ目を押さえるかのようにして隣の部屋に姿を消す。
「どうした? 何があった?」
「何もございませんが?」
「いや、何もないという顔をしていない……もしかして、振られたのか?」
ランドルフにとっては冗談のつもりだったのだろう。しかし笑えない冗談だ。
「……ま、まさか本当に振られたのか?」
「振られてはおりません……ただ、彼女が……帰ってこないのです。いや、ここ一か月、実家に戻ったはずの彼女から手紙の一つも届かなかった。今、考えれば、それもおかしいのに、なぜ俺は……」
「お、おい……リシィ、リシィ」
ランドルフは混乱したように、クラリッサの愛称を呼び続けた。
着替えを終えたクラリッサが姿を現したのはそれから五分後のこと。乱れた髪も結い上げ、ドレスは簡素でありながらも人前に出ても恥ずかしくないもの。先ほどのガウン姿であれば、いくら護衛のためとはいえ、目のやり場に困ってしまう。
王太子夫妻の甘いひとときが、ジェイラスの恋の相談室へと変わった。
「よっぽど……ジェイラスと結婚したくなかった……とかかしら?」
冗談であったとしても笑えない。この世の終わりのような絶望的な表情を浮かべるジェイラスを、ランドルフが慌てて宥めた。
「今のはクラリッサの冗談だ。とにかく早く彼女の足取りを追え。私たちのことは他の者に任せればいい」
主の言葉をありがたく受け取ったジェイラスは、まずはガネル子爵に手紙を書いた。
それからもう一度、彼女の当日の足取りを洗い直す。一か月の休暇の手続きを終えたアリシアは、乗り合い馬車でサバドを経由してガネル子爵領へと向かったはず。
とにかく一か月前のあの日、何があったかを調べるためにさまざまな場所を走り回ったが、アリシアが王都を発ったと思われる日に暴漢の情報があっただけで、彼女の行方は掴めなかった。
それからジェイラスは、時間さえあればアリシアを探し回った。
そうこうしているうちにアリシアの実家、ガネル子爵家から返事が届く。アリシアは実家に戻っておらず、休暇を取って実家に戻るという話も初めて知ったとのことだった。
しばらくジェイラスはアリシアの両親と手紙のやりとりをしつつ、王都内で情報を探るものの、アリシアが行方不明だと結論づけるまで、そう時間がかからなかった。
だがジェイラスは、アリシアを決してあきらめはしなかった。
休日のたびに王都内をくまなく歩いて彼女の痕跡を捜し、ランドルフの護衛として地方へと足を伸ばしたときも、そこに愛する者の姿がないかを確認する。
彼女が所属する第二騎士団の諜報担当の話によれば、アリシアが王都を発ったと思われるその日に、伝書鳩も一羽いなくなったとのこと。その伝書鳩はアリシアが特にかわいがっていた鳩だったらしい。




