魔王様の専属秘書に転生したけれど、中身はただの子供っぽいお方でした。私の仕事は難解すぎる『魔王語』を翻訳してお世話することです
新作の読み切り作品になります。
楽しんでいただければ幸いです!
前世で優秀な社長秘書だった私。
来る日も来る日も書類の山とパワハラ上司と戦い――見事な過労死を遂げて異世界に転生した。
女神様から与えられた新たな人生。
今度こそホワイトな職場で、定時退社と有給休暇を満喫するスローライフを送る……はずだったのだが。
現在の私の職業は、『魔王軍最高幹部・筆頭秘書』である。
薄暗い玉座の間。
私の目の前にある豪奢な玉座には、漆黒のローブを纏い、顔の半分を禍々しい仮面で隠した恐ろしい魔王様が座っている。
そして玉座の前の絨毯には、泣く子も黙る魔王軍の『四天王』たちが、冷や汗を流して平伏していた。
炎の将軍、氷の女将軍、暗黒騎士、そして獣王。
彼らの力は、人間国の軍隊を一人で壊滅させるほど強大だ。
「……ククク。我が眷属たちよ」
魔王様が、顔の半分を覆うように手を当てて、底冷えするような低く凄みのある声で呟いた。
「時は満ちた。今こそ『深淵の劫火』を解き放ち、この虚飾に満ちた世界を灰燼に帰すのだ……!」
その言葉に、四天王の一人である炎の将軍がビクッと肩を震わせ、パニックに陥った。
「な、なんだって!? まだ人間界への全面侵攻の準備は整っておりませんぞ魔王様!」
「いや、魔王様が自らこの城ごと世界を燃やすおつもりだ! 魔王様の魔力が暴走する前に、総員、防御結界を張れェェェッ!!」
玉座の間が大混乱に陥る。
四天王たちが各自の最強魔法の詠唱を始めようとする。
私は静かにため息をつき、手元のバインダーをパタンと閉じた。
そして、胸元から取り出した拡声器の魔道具を口元に当てる。
「あー、四天王の皆様、落ち着いてください。魔法の詠唱を中止してください」
私の冷静な声が、騒がしい玉座の間に響き渡る。
「魔王様のお言葉を翻訳します」
「魔王様は今、『急に冷え込んできたから、床暖房のスイッチを最高設定にしてくれ』と仰っているだけです」
――ピタッ。
防御結界を張ろうとしていた将軍たちの動きが、不自然なほどピタリと止まった。
「……え? 床暖房?」
「深淵の劫火って……そういう?」
私は呆然とする四天王たちを無視して、玉座を振り返った。
「魔王様、設定温度は28度でよろしいですか? あまり上げすぎると乾燥して喉を痛めますよ」
先ほどまで恐ろしいオーラを放っていた魔王様は、顔を真っ赤にして、小さくコクリと頷いた。
「う、うむ……。冷え性は……我が内に眠る闇の魔力循環に、悪影響を及ぼすゆえな……(震え声)」
「はいはい。皆様、ただの冷え性ですので会議再開ですよ」
四天王たちは一斉にズコーッとずっこけた。
***
そう、我が魔王軍の頂点に君臨する魔王様。
彼は恐ろしい見た目と裏腹に、極度の『見栄っ張り』かつ『寒がりで甘党』なのだ。
威厳を気にするあまり、言葉のチョイスが致命的に難解(というか中二病)になっている。
彼の言葉をそのまま受け取ると、しょっちゅう世界が滅びかけてしまうのである。
また別の日のこと。
魔王様は、窓から見える赤い満月を眺めながら、物憂げに呟いた。
「……血だ。生贄に捧げられた清らかな乙女の、甘美な鮮血が欲しい……」
「この抑えきれぬ飢えが、我が魂を蝕んでゆく……」
それを聞いた氷の女将軍が青ざめ、しかし忠誠心から剣を抜いた。
「な、生贄!? かしこまりました魔王様! すぐに近隣の村を襲い、百人の処女をさらって参ります!」
「待ちなさい、氷の将軍。物騒な真似はやめてください。国際問題になります」
私は素早く間に割って入り、再び拡声器を構えた。
「翻訳します」
「魔王様は今、『風呂上がりで喉が渇いたから、よく冷えたトマトジュースに蜂蜜を入れたやつを持ってこい』と仰っています」
女将軍が耳を疑い、持っていた剣を取り落とした。
「……は?」
「あと魔王様。生贄と言いつつ、昨日こっそり人間界の商人から買った『イチゴ味のグミ』も欲しがっていますよね?」
図星を突かれた魔王様は「ギクッ!」と肩を震わせる。
マントを頭まで被って丸くなった。
「……リ、リコピンは……健康に良いからな……」
「あとグミは……噛むことで大脳皮質が刺激され、戦略的知能が上がるゆえ……」
「はいはい。虫歯にならないように、食べた後はちゃんと歯を磨いてくださいよ」
「うむ……」
***
またある時は、執務室でのデスクワーク中のこと。
魔王様が山積みの書類を見て、頭を抱えて唸り声を上げた。
「くそっ……。この『呪われし血の盟約書』の群れめ」
「我が魔眼をもってしても、その忌まわしき呪縛を解き放つには時間が足りぬ……!」
護衛についていた暗黒騎士が、大剣を構えて周囲を警戒する。
「なんと!? 魔王城の中に呪いのアイテムが紛れ込んでいると!? 筆頭秘書殿、すぐに魔術部隊を呼べ!」
「呼びませんよ」
私は冷静にツッコミを入れ、暗黒騎士の大剣を指で押し下げた。
「翻訳します」
「魔王様はただ、『各部署から上がってきた経費精算の書類と、来月の予算承認の決裁印を押すのが面倒くさい』と愚痴っているだけです」
暗黒騎士はそっと大剣を鞘に収め、遠い目をした。
「……魔王様。領収書の裏付けがない経費は、我が軍の財政を圧迫いたしますぞ」
「わ、分かっている! 分かっているが……サインのしすぎで腱鞘炎になりそうなのだ……!」
***
そして、ついに運命の時が来た。
人間界からやってきた勇者とそのパーティーが、魔王軍の防衛線を突破したのだ。
彼らは魔王城の最深部――この玉座の間まで攻め込んできた。
「覚悟しろ、魔王! 今日がお前の命日だ!」
光輝く聖剣を掲げ、勇者が叫ぶ。
後ろでは聖女と魔法使いが戦闘態勢をとっている。
魔王様はゆっくりと立ち上がり、右手を高く掲げた。
「ククク……愚かな光の眷属どもめ。我が聖域に足を踏み入れたこと、後悔させてやろう」
「貴様らを『永遠の静寂』へと誘い、無限の闇の中に沈めてやろう……!」
勇者たちが息を呑み、身構える。
最強の即死魔法、あるいは空間隔離魔法が来ると確信したからだ。緊張が頂点に達する。
だが、私はその緊迫した空気など全く気にしなかった。
前に一歩踏み出し、勇者たちの前に立ちはだかる。
「はい、ストップです。お客様」
「な、なんだお前は! ただの秘書がしゃしゃり出るな、どけ!」
勇者が剣を突きつけてくる。
「ええ、ただの秘書ですので翻訳しますね」
「魔王様は今、『もう夜の9時を過ぎて眠いから、今日は帰ってくれ。静かに寝かせてくれ』と仰っています」
勇者の顎が、文字通り外れそうになるまで開いた。
「……はあぁ!?」
「さらに補足しますと、魔王様はさっきから膝がガクガク震えていて、今にも泣き出しそうです」
「ぶっちゃけ、戦うのが怖くて仕方ないんです」
「ば、ばばば、馬鹿なことを申すな秘書! 我は、我はただ、健康管理における睡眠の重要性を説いているだけで……!」
魔王様は涙目で必死に弁解する。
ローブの裾がブルブルと小刻みに揺れていた。
私は呆気にとられる勇者に、魔王城特製の『お土産クッキー詰め合わせ(魔王のサイン入り)』が入った紙袋を丁寧に押し付けた。
「本日の営業時間は終了しました。明日、また朝の9時に出直してください」
「あと、魔王様が怖がりますので、次からは聖剣の輝きを少し抑えて来てくださいね。眩しいの苦手なんです、この人」
……数分後。
完全に戦意を喪失し、呆然とした勇者たちは、なぜか素直にお土産のクッキーを持ってトボトボと帰っていった。
「ふぅ……。お疲れ様でした魔王様、お着替えしましょうか」
「パジャマは、いつものクマさん柄でいいですよね?」
「……うむ。あれが一番……魔力が安定し、安眠できるゆえな……」
今日もまた、私の見事な翻訳スキルによって世界(と魔王様のメンタル)の平和は守られた。
前世のブラック企業よりは労働環境はマシだけど……。
この『中身はお子様』な魔王様のお世話、私の胃が穴だらけになる前に、誰か代わってくれないかしら?
(完)




