第16話 夜の怪物①
夜の森は暗く、それでいて虫の声がうるさく、蒸し暑かった。
アマミヒメに聞こえる木々の声は、昼よりずっと曖昧だ。
川から出たアナスタシアは、脱いだワンピースで、髪と身体の水気を拭った。
それから、近くの枝にかけて広げる。
アマミヒメは少し迷ってから、自分の上衣を脱いでアナスタシアに渡した。
「そんな格好じゃ落ち着かないでしょう」
というか、裸同然でいられたらこっちが落ち着かない。
アナスタシアは素直に受け取り、肩から羽織った。
「ありがとう、アマミヒメ」
袖のない薄衣1枚になったアマミヒメは、ちょっとだけ心許なくなり、三日月に寄りかかった。
川で何かが光っているのに気づく。よく見ると、水面に映った月だった。
木に邪魔されて森の中まで明かりは届かないが、空には大きな丸い月が浮かんでいた。
眠れそうにないが、少しでも脳と身体を休めようと目を閉じた。
その時だった。
突然、虫の声が止まった。三日月が何かに気づき顔を上げる。
続いて、風上から鳥の群れが飛び去っていき、少し時間をおいて、ネズミのような小さな生き物の群れが森から出てきた。
小動物たちは、アマミヒメたちには目もくれず走り去っていく。
「なに…?」
「静かに!何か聞こえる。」
2人は耳をすます。
遠くでパキッと枝が折れる音がした。
そして…
…シュウ……フシュウ……。
低く、湿った、獣の呼吸音。森の奥から、一定の間隔で聞こえてくる。
まだ距離は遠い。
だが明らかにこちらに近づいてくる。
「隠れましょう!」
三日月を連れ近くの茂みに身を隠し、気配を殺す。
徐々に呼吸音と足音が大きくなる。
やがて、先ほど小動物たちが出てきた場所から、巨大な影が姿を現した。
暗がりで、姿はよく見えない。
だがこれまで出会った動物たちとは違う、もっとおぞましいものだということは分かった。
やり過ごそう。王女以外と戦う必要はない。
2人は息を殺す。
影はアマミヒメたちが隠れる茂みの近くで1度立ち止まったが、すぐに再び歩き出し、小川の方に進んでいった。
川に近づくと頭上を覆っていた木に隙間ができ、その影の姿が月明かりで映し出された。
「っ…!」
アマミヒメは、悲鳴をあげそうになるのを、すんでのところでこらえた。
アナスタシアも同じだった。
それは、生き物と呼んでいいのかもわからない、明らかに不自然な姿の獣だった。
昼に何度か出会った巨大な鳥を、悪意で無理やり何倍にも引き伸ばしたような、異様に膨れた体躯。
翼だったものは、骨と筋肉が異様なほど発達し、人間の腕のようになっている。
もっとも不自然なのは嘴の形で、上下に開くと同時に縦に裂けるように分かれ、内側にいくつもの固い突起が並んでいる。
獣は、直前まで2人がいた場所まで進み、立ち止まった。鼻先を上下させ匂いを探すような仕草をし、そこから周囲を見回した。
(私たちを探している…?)
アマミヒメは少しだけ身を乗り出す。
その時、突如、獣は首を大きく曲げ、アマミヒメたちが隠れている茂みを見た。
2人は慌てて身を屈める。
(大丈夫、見えてないはず。)
しかし獣は茂みに近づいてくる。
アマミヒメは鉾を、アナスタシアはサーベルを握りしめる。
見つかったら、戦うしかない。だがその獣の姿は、2人に本能的な恐怖を感じさせた。
(来ないで…。気づかないで!)
アマミヒメは祈るように息を止める。意思に反して心臓が激しく波打つ。その音が獣に聞こえてしまいそうで、気が気ではない。静かに…静かにして!
近づいてきた足音が、茂みの前で止まった。こっちを見ている。
…フシュウ……フシュウ……
生温かい息で葉が揺れる。茂みの向こうから覗き込もうとしている。
2人は動きをとめ、息を止める。
そして、今にも獣の嘴がアマミヒメに触れようとしたとき。
突如背後の木から鳥が飛び立った。
その音に注意を持って行かれたのか、巨大な影は振り向き、茂みから離れていった。
***
アマミヒメとアナスタシアはしばらくその場から動けなかった。
物音を立てたら、あの獣が戻ってくるかもしれない。
完全に気配が消えるまで、2人は息を殺していた。
「行った…よね?」
先に口を開いたのはアナスタシアだった。小声でアマミヒメに確認する。
「多分」
アマミヒメは答えるが、獣が消えていった方角から目線を外せなかった。
万一、この会話が聞こえていて、獣が戻ってきたら。
鉾を握りしめ、暗闇を見つめる。
だが、しばらくしても獣が戻ってくる気配はなかった。
大きく息を吐き、やっと緊張を緩め、座り込む。遅れて震えがきて、両腕で身体を抱えた。
さっきまであんなに蒸し暑かったのに、今は体が冷えていた。
「あれ…なんなの?あなたの国で見たことある?」
アマミヒメはアナスタシアに尋ねるが、アナスタシアは首を横にする。
「私も知らない…。でも、あんな生き物、いないと思う。」




