第11話 クレオパトラ=セレネの回想
エジプトがローマに征服されたあの日。
ローマ兵がアレクサンドリアに入り、真っすぐに宮殿に向かってくる。
まだ幼かったセレネは、窓からその様子を不安げに眺めていた。
「セレネ」
背後から声をかけられる。
母、クレオパトラ7世。類まれなる美貌と知性でエジプトを守ろうとした女王だ。
敗戦が決まった今も、その目は誇りを失っていなかった。
クレオパトラ7世は膝をつき、セレネの肩に手をおいた。
目と目が合う。吸い込まれそうだ。母上、今日も綺麗だなと、セレネはぼんやり思う。
多忙な母と過ごす時間は少なかったが、セレネは母が大好きだった。
「セレネ。世界を見なさい。そして、多くの人の心に触れなさい。国に縛られない者だけが、本当の未来を選べるのだから。」
「母上…?」
意図を測りかね、思わずセレネは聞き返す。
だがクレオパトラ7世はそれ以上語らず、側に控えていた臣下に目配せした。
臣下は一礼すると、セレネの背中をそっと押した。
「ご案内いたします」
臣下に誘われ、セレネは広間に向かう。
投降し、捕虜となるために。
母は共に広間には向かわず、反対方向、宮殿の奥に消えていった。
(母上…?)
広間に向かい歩く。
歩きながらセレネは、母の言葉、母の表情を反芻する。
いつも通りの、落ち着いた声。いつも通りの、美しい姿。
でも、何かが違った。
(母上!?)
歩みが止まる。
それは予感ではなく、確信だった。それも絶望的な。
セレネは臣下の手を振り払い、元の方向に走り出した。
「母上!」
聡明で、大人の手を煩わせたことなどなかった少女が、初めて母の名を叫び、全力で走る。
そして宮殿の最奥の扉を開けたセレネが見たのは、コブラの毒で自ら命を絶った母の姿だった。
その後、セレネは捕虜としてローマに移送された。
恐れていたような酷い扱いを受けることはなく、数年後、属州の王と結婚した。
セレネは夫とともに、共同統治者として、母譲りの才覚で属州を発展させた。
だが、どれだけ成功を収めても、どれだけエジプト風の都市を作っても、セレネの心は、あの日のエジプトにあった。
***
今、セレネは、新たな肉体を得てこの島にいる。
ーーセレネ。世界を見なさい。そして、多くの人の心に触れなさい。国に縛られない者だけが、本当の未来を選べるのだから。
あの日、母はセレネに「エジプトを頼む」とは言わなかった。きっと、自分が最後までエジプトを背負うのだという強烈な矜持があったからだ。そんな母は、セレネの誇りだ。
だから。
たとえ託されていなくても、私は母のために、きっとエジプトを取り戻す。
この剣と、王宮で培った知恵を使って。
セレネは腰に差した剣の柄を握りしめた。




