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花屋の娘

 その日は、日曜日であった。午後から、それまでの趣味のデッサン制作を終え、暇になったので、僕は、大した目的もなく、ブラっと駅近まで散策に出た。住んでいるマンションを出ると、辺りには、大きな児童公園と草ぼうぼうで荒れたままの小さな池があるくらいだ。少し歩くと、密集した住宅街に出る。それをしばらく歩いて抜ければ、もう駅前の商店街が現れる。僕は、ブラブラとあちこちの店を、冷やかしのように、覗いて回った。そんな軽い気分で、店を回っているうちに、僕は、一軒の店先にしゃがんで、切り花の枝を切っている若い娘に眼が止まった。とても、可愛い娘だ。そして、彼女は、とても輝いて見えた。あたりの雰囲気までもが、キラキラしている。これを清純な乙女というのだろうか?

 僕は、彼女の魅力に惹きつけられて、その花屋の店先で足を止めた。すると、彼女が気づいたようだ。しゃがんだまま、顔を見上げて、僕を見た。そして、こぼれるような笑顔で、

「いらっしゃいませ、贈り物でございましょうか?」

と、とても爽やかな声で言った。

 僕は、その声にも驚かされた。まるで、有名芸能人並みの、とびっきりの清純さだ。

 それで、僕は、思わず、

「いや、部屋を少し華やかにしたくてね。何か、良い花はないかな?」

と、つい、言ってしまった。すると、娘は、とても、嬉しそうな様子で、あたりに並べられた店先のバケツに差した沢山の花たちを眺めながら、

「そうですね。今の季節でしたら、このコスモス、アキイロアジサイ、ダリアですとか、キクなんていかがでしょう?それに、リンドウやワレモコウ、ケイトウなんかもお似合いですよ」

 僕は、コスモスとアキイロアジサイを買って包んでもらった。彼女は、白く細い指で、器用に切り花を束にして、透明な包みでくるんで、僕に渡してくれた。その時、彼女が見せた、エクボのある可愛い笑顔が印象的に僕の頭に残った。思わず、僕は、嬉しくなって、その花束を抱えたまま、自宅のマンションに飛んで帰った。

 うちに帰ると、買った花束をどこに飾ろうかと正直、迷った。あれこれと迷った挙げ句に、結局、玄関に飾ることにした。

 でも、綺麗であった。花の鮮やかな色合いと、玄関の色調がマッチして、いい具合にバランスが取れていた。

 それから、しばらく、僕は、あの娘のことが忘れられなかった。

 寝ても覚めても、彼女のことを思い出すのだ。僕は、まだ若い。

これが恋というのだろうか?だとしたら、片思いというものだ。それでもいい。僕は、片時も、彼女のことを忘れずに、毎日を夢のように送った。

 花屋にも時々、行った。

 そして、娘から、花束を買っては、持ち帰り、あっという間に、うちの中は、花束であふれ返った。それでも良かった。花に囲まれて暮らすのも悪くはなかったのである。

 しかし、そんな僕の恋も、ある日を境にして、突如、破局を迎えてしまった。

 彼女が、花屋から、姿を見せなくなったのだ。最初は、僕も、彼女、病気で店を休んでいるのかな、と思っていた。しかし、それが、あまりにも長過ぎた。それで堪りかねて、僕は、花屋の店長に直接、彼女のことを聞いてみた。すると、店長の男の話によると、娘は、店を辞めて、田舎の実家に帰ったらしい。何でも、実家は、東北のあたりにあるそうだ。

 僕は、心底、落ち込んだ。意気消沈したのだ。もう、彼女と会えない。それだけで、僕は、気もそぞろで、仕事も手につかなかった。何度も、上司に叱られた。それでも会いたかった。彼女に会いたかったのだ。でも、叶わぬ夢であった。

 それから、しばらくして、僕も、ようやく彼女のことを諦めて、もとの暮らしに戻るようになった。

 その僕の様子を見ていたのだろう、同情してくれたのか、同僚の岡村が、僕を誘って、酒を飲みに連れて行ってくれた。

 僕は、嬉しかった。喜んで、夜の東京へと繰り出していった。

 東京の歓楽街は、賑やかで忙しい。夜も、酒や女で遊んでいる人でいっぱいだ。

 僕は、居酒屋で、腹一杯に、

たらふく飲んだ。飲んで、肴の焼き魚や、刺し身や、イカの塩辛なんかを喰っていると、何だか気持ちまで浮かれてくる。それで、岡村が、その勢いか、ソープランドに行ってみようと言い出した。僕も嫌いじゃないから、あとをついて、歓楽街へ行った。何軒か見て、そのうちの一つに決めると、岡村は、そのピンク色の扉を潜った。中では、ソープの女の子たちが待機する部屋があり、客が、ガラス越しに眺めて、女の子を決められるようになっていた。彼女たちを眺めているうちに、僕は、また例の娘のことを思い出した。仕方ないや、と思って、女の子を決めようと見ていて、突然に僕は驚いた。彼女がいた。あの娘が、そこにいたのだ。あの笑顔の素敵な娘が、相変わらずに、可愛いエクボを見せて、ニコニコと笑って、こちらの方を見ていた。僕は驚いた。心底、驚いた。

 娘は、ピンク色のシースルーのネグリジェを着ていた。ぷっくらとした乳房も、股間の黒い翳りも、すべて丸出しの全裸で、その上から、ネグリジェを着ている。

 僕は、ショックを受けた。あの花屋の娘。清純で、綺麗で、爽やかだった娘が、今、こんなところにいる。僕は、その場に居た堪れなくなった。それで、僕は、ひとりで、キャンセル料を払うと、店を出た。

 夜の東京を歩く。

 夜の街を行く人たちは、皆、無関心にただ歩いている。

 僕は思った。結局、人間って、僕が思うよりも、したたかで、生々しくて、独立した生き物として生きているんだ。そんなものなんだ、と。

 電車に揺られながら、ひとり、僕は、それでも彼女に対して、割り切れない複雑な気持ちを、いつまでも抱いでいるのであった………………………。

 


 


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