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幻視  作者: 青磁奏
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 (さき)が視たのは、一面の青だった。

 様々な青味が織り成す青い空間に、光の帯が差し込んでいる。


 帯は時折かすかに揺らぎ、その周りを小さな泡が立ち上がりながら、きらきらと上へと飛んでいた。くぐもった音が漂い、時々静寂が訪れる。


 (さき)は自分ゆっくりと腕を上げてみた。身体全体が何かに覆われているのが判る。

 身体を包む思い流れを確かめるように、早く動かしてみたり、手を開いてみたり。そこで初めて事態に気付いた。


「……水の中だ」


 呆然として上を見上げる。青い天井にはきらきらと眩しい大きな光の玉が映り込み、そこから光の帯がいくつもおりている。

 転じて足元に目をやると、そこには咲の見たこともないような色鮮やかな生き物が、岩や砂の上に群れていた。イソギンチャクのようにも、コップのようにも海藻のようにも見えるが、色も形も総じて咲の知っている生物では無かった。


 先ほどまでは、ここまではっきりと視えてはいなかった。


 ぼんやりと周囲が青い光に覆われていたのは判ったが、夢なのか現実のどこかなのか判らず、まるでどこか壁の穴から覗いているかのように、狭く限られていたのだ。


 それがどうだ。


 あの一瞬から、一気に視界が開けた。


 現実の自分に何が起きてるのか、()が教えてくれた。その瞬間、どうすればいいのか、自然に身体が理解したのだと(さき)は思う。今、(さき)の肩には温かい光が止まっている。小鳥のような淡い塊だが、彼女を現実世界にとどめる(いかり)のようでもあった。


 ふっと影がよぎり、上を見上げる。

 大きな影が水面の近くを動いていた。後から水の動きが伝わって、併せて細かな泡がキラキラと輝きねじれる。

 恐ろしく大きい。まるで、亀に長く太いしっぽがついてるかのような生き物が、身体をくねらせながら泳いでゆく。頭部と思われる部分はまさにワニのようだ。昔父の海釣りに一緒についていった事があるが、その時漁港で見た漁船より大きい。


 どこに行くんだろう。


 その生き物の行き先に目を向けると、身体がふっと動くのを感じた。気づけばその生き物と同じ速さで移動している。

 ワニと魚のような形態、口元からのぞく太い牙。その先には、一回り小さい首の長い生き物が逃げるように泳いでいく。


「あの生き物……これって、もしかして」


 斜め下を見下ろすと、何かが視界を横切った。ついと止まって見下ろすと、くるくると渦巻状の貝らしきものから、タコのような足が数本出た生き物が、のんびり漂うように泳いでいる。咲の脳裏に、ふと似たような映像が浮かんだ。あれは、確か部室で触ってしまった何かの化石の標本に似ている。


「うそでしょ……()()だなんて」


 水の中は澄んでいて、青い空間にいるようだ。しばらくは水底が続くが、その先は切れ落ち、蒼く深く沈んでいる。その深みを覗くと、何かが動き、その身体にはねる光を散らしながら、さらに奥深くへ潜っていくのが視えた。その周りを小さな燐光りんこうが群れをなして追っている。


 落ちていくようなめまいを感じて、(さき)は顔をあげて目を瞑った。ここは、海だ。しかも(さき)の知ってる海ではない。

 耳元に水の大きなうねりを感じて目を開けると、(さき)の視線の先で、先ほどの大きな生き物が、首の長い生き物へ一気に距離を詰めたところだった。長い首元を咥え、激しく左右に振り回す。


 喰われている。そう理解した瞬間、ぶつんと生き物の身体が千切れ、赤い靄もやがぱっと咲いた。赤からピンクに広がり、千切れた肉片がちらちらと落ちてゆき、感じないはずの血の匂いを感じて(さき)の意識は途切れた。






 植込みの縁に(さき)を座らせ、その隣に腰掛けて、謙太(けんた)は駅へ向かう人の流れを眺めていた。

 目を閉じて膝に顔を伏せている(さき)の周りには、まだ青い燐光が取り巻くように渦巻いている。ただ、その光は少しずつ間引かれているかのように見えた。


 参るよなぁ。後どれくらいかかるんだろう。


 謙太(けんた)は燐光を見上げながらため息をついた。(さき)の身体のうえ1mあたりまで舞い上がり、煌めいている青い燐光は、謙太(けんた)以外は誰にも見えていないようだ。周りの駅へ向かう人々は、ちらりと二人を見るものの、顔色変えずにまた歩み去っていく。

 (さき)が顔を伏せて反応しなくなってから、15分程過ぎていた。頼まれて肩に置いた手もそのままだ。多分、単なる通りすがりの人から見たら『喧嘩して彼女のご機嫌をとる彼氏』くらいに見えてるのかもしれない。


 (さき)がぱっと頭を上げた。


 謙太(けんた)へ振り向いた瞬間、蒼い燐光が(さき)の動きで散らされるように消え去った。(さき)があまりにも大きく動いたので、周囲の通行人も振り返ったくらいだ。


「あ……ここは」

「駅だよ。もう15分くらいこうしていたんだ。君、大丈夫なの?」


 意識が戻ったことに安心して気が抜けた謙太(けんた)は、まだぼんやりと前方を見ている(さき)に声をかけた。肩に置いたままの手に力を入れ、身体をこちらに向けさせる。焦点の合っていない彼女の瞳に、少しずつ光が戻り始めた。


「……私、どんな感じだった? 何してたの? 君、見てたよね」


 恐る恐る聞いてくる(さき)に、謙太(けんた)は少し戸惑った。そりゃ、さっき君は青い光に取り巻かれていたんだ。しかも、その光景は俺以外の誰も見ていないようで――そう答えようとして止めた。自身が尋常じんじょうならざる光景を見たからと言って、彼女が同じような状況だと誰が言えるのだろうか。もし、単純に悪酔いしていたか何かで気分が悪かっただけなら、逆に俺がおかしいって話ではないか。

 (さき)の顔を見てみる。とても不安そうだが、謙太(けんた)に対して何かマイナスの感情を持っているようには見えない。自身に何があったのかを知りたい。そのような縋るような表情に見えた。


 どうせ酔ったついでだ。どうにでもなれだ。


「青い光が、君の周りにあった。信じられないと思うけど……」


 (さき)の瞳が見開かれた。


「見えたんだね! 君も、見えたんだね……すごい、いきなり見える人に会えるなんて! 私もね、こんなにはっきり視えた事は無かったんだよ。いつもは予感だけだったの」


 予想以上に興奮して話しかけてくる(さき)に、謙太(けんた)はあっけに取られた。その様子に気付いて、(さき)は自分の事ばかりでごめん、と苦笑いした。


「私ね、時々目の前の風景が変な感じに視えるんだ。でも今日のようにはっきり視えたのは初めてだった。……本当に驚いたな」

「えとさ……何言っているのかよく判んないんだけど、さっき君はどうなってたの?」


 視てなかったの、だって青い海がと言いかけて(さき)は言葉を唇で止めた。私の視た青い海は彼が視た青い火とは違うものだ。彼は何かを視たけど、私の視た青い海は知らないのだ。


「青い光って言ってたっけ。謙太(けんた)君には、青い光だけしか見えなかった?」

「うん。青い光が君の周りを取り巻いていて、最初見たとき燃えているのかと思った。……あれ。君、何で俺の名前知ってんの」

「あ……それは」


 よく考えてみると、自己紹介してはいない。思い至って(さき)は急に恥ずかしくなり、もそもそと言葉を出したり引っ込めたりした。

 ああ、あの酔っ払いの吉岡さんからね、そうだろうねと謙太(けんた)は不本意そうに呟く。

 少し落胆したような(さき)を横に、謙太(けんた)はさっきの怪異を確かめるように言葉を継いだ。


「話を戻すけどさ。青い光っていうか、キラキラした夜光虫みたいな感じだったな。渦巻のような。最初は青い火と思った。君が燃えているのかなって」


 (さき)の脳裏に、さっきまで存在していた原始の海が浮かび上がった。同じものを視ていないが、彼はその本質みたいな部分を見て感じているようだ。


「私ね……さっき、昔の海の中にいたの」

「海?」

「そう。恐竜時代の。アンモナイトみたいな貝もいたし、首の長い恐竜が泳いでた」

「ええ!? そうなの? じゃあ、あの青い光って」

「君から見た、海だったのかなって思う」

「へえー……ここら辺って、その頃って海だったはずだよ。駅前の再開発の時、化石が出てそれで工事が遅れたんだ」


 真面目に答える謙太(けんた)に、(さき)は驚きを禁じ得ない。


「本気でそう思うの? 私の話、おかしいと思わない?」


 その問いに首を傾げ、謙太(けんた)(さき)に向き直る。


「だってさ、俺もあの青い光を間違いなく見たんだ。だから、現実にあったとしか、言い様がないんじゃない?」


 きっぱりと言い切る謙太(けんた)に、(さき)は驚きを禁じ得ない。古代の海の中に漂い、感じるなど、現実世界ではあり得ないだろう。同じように、(さき)の周りにあった蒼い燐光を見てそれを現実の事であると受け入れるのも、相当にあり得ないことではないか。

 戸惑う(さき)に、謙太(けんた)は笑いかけた。


「今んとこは、そうとしか言えないよね。こんな事もあるんじゃね? それはそれでいいんじゃないのかな」


 この人は、不思議。少し可笑しくなって、(さき)はくすりと笑った。そうだ、視ることを防げないのなら、受け入れたらいいのだ。それに――。


「君が肩に手を置いててくれてたでしょう。まるで錨みたいで助かった」

「そう? お役に立ったようで何より」


 立ち上がる謙太(けんた)に続いて立ち上がり、(さき)は夜空を見上げた。ここは駅前。夜風が気持ちいい。隣には、どうやら同じものを見ることが出来る同志がいる。

 手をきゅっと握りしめ、今この場所にいる自身の身体と精神を感じ、(さき)は心がとてつもなくほどけていくのを感じた。


「私、深谷咲(ふかや さき)っていうの。文学部の2年。地質研究同好会所属」


 その声に振り向いた謙太はくすりと笑いながら答えた。


「俺は上条謙太(かみじょう けんた)。法学部で、俺も2年だよ。よろしくね」

「友達にならない?」

「いいよ」


 (さき)謙太(けんた)の隣に駆け寄った。これで、彼とは友達だ。それに何といっても、(さき)が怖くて行けなかった現実の枠の外に一緒に行けるかもしれない同志だ。


謙太(けんた)君、次さ、前から避けてた場所があるんだ。良ければ一緒に行ってみない?」

「え? ‥‥いきなりだね」

「あ、別に同好会のメンバーと一緒だよ。もし気まずければ、謙太(けんた)君の友達とか彼女も一緒でいいから」


 俺に拒否権無いみたいだけど、と謙太(けんた)が笑う。慌てて(さき)が取り繕う。

 ざわめきを取り戻した駅前の人込みをかき分けつつ、歩きながら、(さき)は扉が開いたような感覚に浸っていた。

 これまでは必死に踏みとどまっていた。

 現実という膜に隔たれていた呼び声のもとへ行くのは、(さき)のいる世界へ戻るあても知らず、深い暗い淵に落ちていくようで、非常に恐ろしかったのだ。


「俺、恐怖系は駄目だから」


 真面目に答えてくれた謙太(けんた)に吹き出しながら、(さき)は駅の光のなかに歩いていった。

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