第二話 強面悪魔の棲む家
休日に友達がアポなしで遊びに来る。
そんな夢みたいなことが現実にあるのか。
いやもう、そういうのはファンタジーを通り越してSF世界の出来事なんじゃないかと思っていたから、まさか自分の身にそんなことが起きるなんて思わなかった……マジかぁ。
時計の針は午前七時を過ぎたばかり。
思いもしなかったタイミングで千鶴子に遭遇したから、ついポカーンとしてしまったけれど。なんだか時間差で、ジワジワと嬉しさが込み上げてきたな。ていうか、白いワンピース姿の千鶴子がめちゃくちゃ可愛いんだけど。
「ちょ、ちょっと待ってね。今ゴミだけ出してくる」
「…………うん。ごめんね、急に来て」
「全然気にしないで! うへへ……」
凶悪な悪魔顔に似合わない変な笑い声を漏れてしまう。僕は融けそうになる頬を必死で引き締めて、ゴミ袋を片手にスキップをしながらアパート下の集積所へと向かっていった。
ちなみに、千鶴子に僕の家の場所を教えたような記憶はまったくない。でも、出身中学の話だったり、最寄り駅から徒歩どれくらいみたいな話はしたような気がするから、特定するのが絶対に無理だとは言い切れないだろう。まぁ、もしかするとこっそり尾行されてたのかもしれないけれど。
「これが……これが、サプライズってやつか」
これまでの人生で縁のない言葉だったけれど、その意味くらいは知っている。仲の良い友達を驚かせて、喜ばせようっていう企みのことだ。
僕らは「友達初心者」同士なのに、なんだか千鶴子にばかり友達イベントを起こしてもらってる気がするなぁ。僕もなんかしてあげられることがあれば……そんな風に考えながら、僕はゴミ袋をパパッと運び、自分の部屋へと戻っていったのだった。
◆ ◆ ◆
僕にとって人生初の友達が千鶴子なので、もちろん家に友達が来るというのも初めての経験である。
友達が家に来た時に、一体何をしたら良いのか。僕はまったく思いつかなかったので……結果、なんとなく家の中を案内することになった。
「こちらがお手洗いになっております」
「ふむ……バストイレ別なんだ。悪くない」
「なんでも一体型は大家の主義に反するそうで」
なぜかコント「不動産屋と客」みたいなものが始まってしまったけれど、これでも僕はいっぱいいっぱいなのだ。僕の渡した間取り図を見てうんうん唸っている千鶴子も、たぶんどうしたらいいのか分からなくてとりあえず付き合ってくれているんだろう。
「こちらが寝室になっております」
「ほう……ベッドの下を覗いても?」
「構いませんが、おそらくお客様のご期待に沿うような物は置いてないかと存じます」
ベッドの下にモノを隠すなんて古い古い。最近の思春期男子は、スマホが一台あれば大体の需要を満たせてしまうものなのである。
さてと……行方不明だなぁ。
友達が家に来た時って一体何をしたら良いのかマジで分からない。この後どうすれば良いのか、完全に行方不明だ。誰か、迷子になってしまった僕と千鶴子を「友達と家で遊ぶ」というゴールまで案内してくれないだろうか。
「源……んんっ、不動産屋さん。それでこちらの物件……肝心の家賃はおいくらで?」
ごめん、千鶴子。
変なコントに付き合わせて。
「はい。家賃は月五千円になります」
「え………………安すぎ。事故物件?」
「実は叔母が大家なんだよ。特別価格でさぁ」
話しながら、とりあえず千鶴子をリビングのソファに案内した。なんとなく「お茶の一杯も出さないで帰らせるなんて失礼千万!」という誰の言葉か全く分からないアドバイスが頭を過ったためだ。
「コーヒーと紅茶ならどっちが好き?」
「じゃあ…………紅茶で」
「ミルクとか砂糖とかは入れる派?」
「……うん、両方入れる」
「かしこまりました、お嬢様」
違う、これじゃコント「執事喫茶」だ。
電気ケトルのスイッチを入れた僕は、部屋に戻ると多少はマシな私服に着替えてきて、スマホで「友達」「家で遊ぶ」などと検索しながらお茶の準備を始めた。と言っても、安物のティーバッグしかないんだけれど。
ふむふむ。ボードゲームねぇ。あれって店で見かけても「どんな人が購入するんだろう」ってずっと疑問だったんだけど、今理解した。
あれは「友達が家に遊びに来る人」向けの商品だったのか。トランプなんかのカードゲームも「すぐ飽きるだろうなぁ」と思って買ったことはなかったけど、そもそも一人で遊ぶ類のモノじゃなかったんだな。オーケー、理解した。いずれにしろ現在の我が家には存在しないモノだ。
なるほど。テレビゲームね。確かにレースゲームや格闘ゲーム、アクションゲームなんかがあれば友達と盛り上がったりできるんだろうな。
ただ……僕はポータブルなタイプのゲーム機しか持っていない上、持ってるソフトもRPGかクラフトゲームくらいだ。友達がいる横でレベル上げに勤しんだり、地下を掘って「ダイヤモンド発見!」なんて喜ぶのは違うだろう。これは論外。初めて家に来た友達にやっていい所業ではない。
あとは映画かぁ……そもそも、なんのサブスクにも加入していないんだよなぁ。ずっと誘惑はされているんだけれども。のんびり映画を見ながらピザを食べておしゃべりするとか……はぁ、世の中の友達ってこんな感じで家で遊ぶのかぁ。
でも映画見ながらお喋りってそもそも可能なのか? 上映中は私語厳禁、破ったら市中引き回しの上で晒し首になるんじゃなかったっけ? 友達なら許されるのかなぁ……ダメだ、分からない。
うんうん唸りながらお茶やらミルクやらをお盆に乗せてリビングへ向かえば、そこにはカチンコチンに固まった千鶴子が待っていた。あー、やっぱり緊張しちゃうよね。なにせ友達の家だもんなぁ。
「お待たせ。紅茶持ってきたよ」
「あ…………ありがと。ごめんね、朝早くから」
「ううん。そう言えば、朝ごはんは食べた?」
そう聞くと、千鶴子はフルフルと首を横に振る。
まぁ友達と何をどう遊んだらいいかは後で考えるとして、とりあえず何か食べないことには一日が始まらないだろう。千鶴子にはこの前お弁当を作ってきてもらったから、今日は僕が何か作ろうかな。
「あー、食材を買いにいかないと大したものは用意できないんだけど……ありものでよければ、トーストと目玉焼きとかでいい?」
「う、うん。ごめんね」
「いいって。あ、そうだ。スーパーが開く時間になったら、ちょっとだけ買い物に付き合ってもらえないかな」
友達が遊びに来てるのに生活感が溢れてて申し訳ないのだけれど、毎週土日には平日向けに冷凍ご飯や冷凍おかずのストックを量産しているのだ。少しだけ付き合ってもらっちゃおう。
◆ ◆ ◆
こう言ってしまうと、せっかく友達として遊びに来てくれた千鶴子に失礼なんだけれど。
一緒にスーパーで買い物をしたり、二人並んでストックおかずを作ったり、普段自分では作らないような昼食を千鶴子に作ってもらったり、炊いたご飯をタッパーに詰めて冷凍したり……そうしていると、ですね。
なんだか僕の脳内で、同棲カップルの週末みたいな妙な感覚が襲ってきて……僕の中で燻り続けている思春期男子が「美少女と二人きりだぜ?」と囁いてくるんです。鎮まりたまえ、鎮まりたまえ。
「……源太郎?」
「ごめんなさい」
「何が?」
脳内同棲彼女、もとい僕の唯一無二の友達である千鶴子は、キッチンで夕飯を作ってくれている。その間に僕はお風呂にお湯を張ったり、取り込んだ洗濯物を畳んだりしているのだけれど。
千鶴子、何時くらいまでいるんだろうな。
いや、帰ってほしいワケじゃないのだ。むしろ「ズルズルと過ごしていたら帰るタイミングを逃しちゃった、泊めてくれる?」みたいな展開を僕の中の妄想男子はつい期待してしまっているわけで。
「……夕食が終わったら、さすがに帰るね」
「え、あ、うん……そっか」
「もう……そんな捨て犬みたいな目、しないの」
千鶴子は料理の手を一旦止めると、水道でバシャバシャと手を洗い、エプロンを脱いで僕の方へと来る。
「源太郎……おいで」
「へ?」
そう言うと千鶴子は、自分の胸に抱え込むようにして、座っている僕の頭を抱きしめた。ふわりと香るのは、柑橘系の香水だろうか。彼女の胸の柔らかい感触に……興奮するより先に、なんだか安心してしまう。
「……ねぇ、源太郎」
「うん」
「ずっと……ずっと、一人暮らしなの?」
「うん」
やはり違和感があるだろうか。
普通なら、高校生で一人暮らしなどしない。それが親なのか、祖父母なのか、親戚なのかは分からないけれど。誰かしら保護者なり養父母なりと一緒に暮らしているのが、当たり前なのだ。
「……いつから?」
「小学四年生。両親が離婚して」
父も母も、二人とも僕を引き取るのを拒否した。
というか、そもそも離婚の原因が僕なのだ。
僕の顔形を構成するパーツの一つ一つを見ていけば、確かに父と母の子どもであるのは間違いないのだけれど……その組み合わせがあまりにも最悪だったせいで、近所の人や親戚連中から「悪魔を生んだ夫婦」と揶揄されるようになった。僕のせいで二人は壊れてしまったのだ。
僕を憐れんだ独身の叔母が「私が引き取る」と宣言してくれたんだけど。
「叔母さん、ホラーが苦手でさ。超ビビリで」
「……そっか」
「その当時、叔母さんと付き合ってた彼氏もいい顔をしなかったし。何より、あの優しい人をビクビクさせながら生活するのがあまりにも心苦しくて。それで、叔母さんの持ってる物件の一つに格安で住まわせてもらうことにしたんだ」
施設に行くのも拒否して一人暮らしをしているのは、僕が叔母さんに必死に頼み込んだからだ。さすがに身寄りのない養護施設の子どもたちを悪魔顔の新入りが怖がらせてしまうのは、可哀想が過ぎるだろう。
だからこの孤独は誰のせいでもない。自分で選んだ自分の人生だ。そもそも僕の存在こそが、周囲のみんなの人生を歪めてしまっているのだと思う。
僕は千鶴子の腕をそっと外すと、立ち上がる。
「どうやら僕は、強面悪魔らしいから。人間どもの生活に悪い影響ばかり及ぼす、存在自体が悪辣なバケモノ。ごめんね千鶴子、こんな人外が君のような優しい子の友達を名乗るなんて、おこがましいと思うけれど」
そう言った僕に――
千鶴子は抱きついてくると、僕の胸の鼓動を聞くように、耳をギュッと押しあててきた。
「……心臓。ドクドクしてる」
「悪魔なりに、一応生きてるからね」
僕の言葉に、千鶴子は抱きつく腕の力を強めた。
「……悪魔じゃないよ」
「いや」
「悪魔じゃないよ、源太郎は」
そう言うと、千鶴子は腕の力を抜いて僕から離れる。
「誰が貴方を悪魔だと呼んでも……私は知ってるから」
そうして彼女は、再びエプロンを身に着けると夕飯作りを再開する。
僕は彼女に見られないよう顔を背けると、溢れそうになった涙を袖口でサッと拭った。
◆ ◆ ◆
結局あの後、千鶴子は「また来週の土曜に来る」と言って帰っていった。
僕はなんだかむず痒い気持ちになりながら、「ボードゲーム……トランプ……あとなんだっけ」と買い物リストを作り、次の一週間を乗り切るための気力を満タンまで充填していた。
週が明け、千鶴子のお弁当を毎日ありがたく頂きながら、幸福な毎日を過ごしていたのだが。
事件が起きたのは木曜日のことだった。
その日は体育の授業があって、たいていのボッチにとって苦行である「二人組を作りなさい」の時間がやってくると、少しして女子の集団の中から不快な金切り声が上がるのが聞こえてきた。
「アンタ、今私のこと見てたでしょ! 嫌だからね、アンタなんかと絶対に組んだりしないから!」
「……見てない」
「信じられると思う? 中学の時ちょっと優しくしてやっただけで、ずっとストーカーみたいに付け回してきて! 自宅を特定して待ち構えてたりとか、もう気持ち悪いのよ! いい加減、近寄らないでくれる?」
あぁ、また獅子堂だ。彼女の狂ったような叫び声に、クラスメイトからも少しうんざりしたようなため息が漏れる。
ただ、どうやら以前の親睦会の時に「獅子堂が千鶴子を毛嫌いするようになったエピソード」がクラス全体に共有されてしまったらしく、積極的に止めようという空気にもならない。
僕はジャージのポケットから、母に昔もらった鈴のキーホルダー……大事な「お守り」を取り出す。
――お前は見た目が悪魔なのだから、目立ってはいけない。笑ってはいけない。怒ってはいけない。やり過ぎるくらい善行を積んで、机がすり減るほど勉強をして、それでやっと人間並なのだから。
ありがとう、母さん。貴女の言葉があったから、これまで僕は悪魔顔ながら真っ当な人間として生きて来られました。これからも善行を心がけて、勉強も頑張ろうと思います。
でも、もうやめることにしますね。
自分の心に嘘をつくのだけは。
僕は「お守り」をその場に投げ捨て、沈んだ顔をしている大切な友達の前に躍り出ると、獅子堂に笑顔を向ける。
「ア、アンタ、鮫島」
「あぁ、獅子堂だっけ? お前、千鶴子に――俺の獲物に手ぇ出すの、そろそろ止めてくれねえかなァ」
出来る限り恐ろしい声色になるよう気をつけながら、僕は獅子堂を睨め上げるようにジィッと見つめた。落ち窪んだギョロ目。生えてこない眉毛。色素の薄い髪と、ほんのり赤い瞳。そんな不気味な見た目の男が、口角をニタァと持ち上げれば。
ほら、強面悪魔の登場だ。
お望み通りの姿だろう?