名乗るほどのものでは
今朝は、ロータリーの花壇の水やり当番だった。
普段より1時間程早く登校したあたしは、そのミッションをちゃっちゃと完了すると、すぐさま美術室に向かった。
明日までに提出しなくちゃいけない、静物デッサンの進み具合が芳しくなかったから。
あたしはこのところ、絶不調だった。
描いても描いても、自分の思うところまで、行き着く事ができないのだ。
生まれて初めて経験する、「スランプ」ってやつね。
これもまた、あたしのため息の原因のひとつなんだって事は、多分、間違えないんだよね。
★★★
組数より遥かに多い教室の数・・・。
移動教室の多いこの学校は、まるでちょっとしたラビリンス。
いつもとは違うルートで目的地に向かうと、あっという間に見た事のない場所に迷い込んでしまう。
もともと、方向音痴という不治の病を患うあたしは、通学して3年目になるというのに、未だに校舎の全貌を把握しきれないでいた。
一分でも早く、美術室に辿り着き、あのお粗末なデッサンに手を入れないとならないってのに。
突破口を見いだせず、うろつきながら途方にくれていると、どこかしらから、話し声が聞こえてきた。
「・・・・・だわ」
「・・・・・のか」
男の子と女の子の声。
最初はヒソヒソとした、囁き声だった。
だけど、それは徐々に大きくなっていく。
(喧嘩? こんなに朝早くから?)
その声のする教室の扉に、引き寄せられる様に近づいていく。
(ここだ。B-108号室)
扉に背中をぴったりとくっつけて、右肩越しに中の様子を探る。
ここから辛うじて見えたのは、スカートからのぞく、しなやかな二本の足。
(あの上履きの色・・・3年生だ)
肝心の顔のほうは、すっかり影になってしまっていて、いまいち判別がつかない。
男の子の方は、背を向けていて更にどこの誰だかよくわからない。
少し丸まった背中。
随分と背が高い。
(ん? でも待って、あれは・・・)
何かを思い出しそうになったところで、それに多い被さるように、男の子の、懇願するような、切ないような、なんとも言えない声が聞こえた。
「頼むから・・・!」
それと同時にその子が、突然身を翻し、目の前の女の子の腕を掴んで、もの凄い勢いで自分の方に引き寄せた。
そして次の瞬間あたしは、信じられない光景を前に、唖然とする事になる。
えっ、えっ、えっ、
え~~~~~~~!!!!
この時ほど、自分の好奇心ってやつを呪った事はない。
18年間生きてきて、生まれて初めて遭遇する、ほんとうの「生」キスシーン。
それも、「チュー」なんて温いのじゃない。
その行為は何度も何度も角度を変えて、目の前で執拗に繰り返されるのだ。
なんだか凄いーーーー。
その女の子が、このまままるごと喰い尽くされてしまいそうに見えた。
貪る様な激しさが、なんだかたまらなく胸を突く。
これ、絶対見てちゃダメなやつ。
すぐにでもここを立ち去るか、それともどこかに身を潜めるか。
今のあたしには、この二つの選択肢しかありえない。
頭では、充分わかってた。
わかってはいるけど、そのふたりが接触した部分に釘付けになって、目を離す事なんて出来ない。
その上、あたしのからだの奧深くが、何か凄い力でぎゅうっと掴まれたようになって、膝の力が抜けて、後ずさりする事すらままならないでいる。
心臓は、ありえないスピードで、ドクドクドクドク打ち付ける。
(でもダメ。やっぱりこれ以上は・・・)
頭の中で自問自答を繰り返し、その結論に辿り着いき半歩ほど後づさりした、丁度その時。
ーー メッセ〜ジ〜♪ メッセ〜ジ〜♪
あたしのスカートのポケットに入っていたスマホが、「お取り込み中」の二人をまるでからかうかの如く、ちょっとお間抜けなセクシーボイスでしゃべりだした。
ふたりが一斉に、こっちを向いて一時停止する。
「誰?」
心臓が、大きく跳ね上がる。
絶体絶命のピンチ到来。
その隙をついて・・・。
ーーーパシッ!
頬を打つ、乾いた音が教室に鳴り響く。
そして間髪入れずにその女の子が、教室のドア口に棒立ちになっているあたしを素通りし、物凄い勢いで走り去って行った。
★★★
(あの娘・・・ミスコンの絶対王者のーーー)
脳の回線がその娘の名前と繋がろうとした、まさにその時。
ガタンッ!
机だか椅子だかをおもいっきり蹴りとばす、打撃系の音が響き渡る。
「・・・くそっ」
その一秒後。
完全に逃げ遅れてしまったあたしは、ついにその男の子と目があってしまった。
(げっ・・・あれってもしかして、『殿下』!?)
随分なあだ名だとおもうけど、みんなフツーにそう呼んでいる。
見た目良し、頭良し、感じよし+医者の息子っていう、超正統派のモテ男。
非公式だけど、ファンクラブだってある。
そんな男の子が、ミス芸高にキスして、ひっぱたかれて、逃げられた。
つまり、あたしが居合わせたのは、絶対に見てはいけない場面だったってこと。
まずい、まずい・・・まずーい!!!
その子が、わたしに向かってゆっくりと近寄ってくる。
当然その目は、怒りに満ち満ちている。
瞬時に視線をほんの少しだけ下にやると、痛々しい頬が目についた。
(うわー、真っ赤になってる)
あたしがついそれを顔に出してしまったせいで、その子の顔がますます険しくなった。
そして、扉を一度げんこつで叩くと、あたしを見下ろし、低音で呟く。
「ーーーーおまえ・・・名前は?」
・・・・ああ。万事窮す。
「な、名のる程のものでは・・・」
「朝から覗きかよ。随分いい趣味してんだな」
怖い・・・・。
怖くて相手の目を見る事すらできない。
「ご、ごめんなさい!!!!今の事は見なかった事にしますから!」
それだけ言い残してあたしは、一目散にその場から逃げ出した。
「待てよ!!!」
呼ぶ声に、振り向きもせず、全速力でただひたすら走る、走る。
「おい! まだ話しは終ってないぞーーーーー!!」
そんな、ちょっぴりだけ間抜けな捨て台詞が、誰もいない廊下にこだましていた。
★★★
★★★
★★★
「う•••」
鼻に、ツンとくる刺激を感じる。
消毒薬の匂いだ。
薄目を開けると、モルタルの天井の凹凸が、真っ先に目にとびこんできた。
あたしが目を覚ましたのは、保健室のベッドの上だった。
「痛い・・・」
右肩が、ズキズキする。
その痛みがトリガーみたいになって、視聴覚室で気絶するまでの一部始終が、一瞬で脳内によみがえってきた。
ああ。なんてザマだろう。
みんなはどう思ったろう?
The Kissを見て、気絶したと思われたかな?
今時そんな純情な女子高生なんて、ファンタジー小説ですら存在しない。
だからそんなキャラだと思われてしまったら、ダサすぎてこの先、生きていけないじゃん!
あたしは顔を両手で覆った。
「恥ずかしくて、死んじゃいたい・・・」
「まあ、そうだろうな。お察しするよ」
「えっ・・・?」
カーテン越しに、男の子の声がする。
その声を聞いて、わたしの全身が氷つく。
「やっと起きたか。せ・い・け・ひ・ま・り」
ベッドを囲うカーテンから、顔だけが、ぬっと現れた。
「おまえ、清家陽葵って言うんだって? 覚えたぞ」
口元だけで、ニヤリと笑う。
突き刺すような冷ややかな視線で、あたしを見下ろしてるくせに。
そう。
今ここに立つ、この人こそ・・・。
「殿下」ーーーつまり。
キスしてビンタされていた、あの男子だったんだ。
読んでいただいてありがとうございました。
こちらに辿り着いていただいたことに感謝いたします。
続きが気になるという既得な方がいらっしゃったら
ブックマークやイイネをポチっとお願いします!
※数日は平日午前中と夜、2回更新します。