騒々ぎ
「桜焼酎。桜焼酎。お出口は左側です。」
桜焼酎駅東口を抜け午前十一時となる。駅舎の端から顔の出てきた太陽が、今に割れんばかりの照射で街を覆っていた。オレの見るこの快晴に、いつかの涼しいパンクロックがチラついて、それが空に川の流れる幻覚を起こすと、すぐに白い雲として姿を変え、微細に左へ流れ行き、ハッと意識が地上に戻ったオレの前を、低血圧そうな四十代ボタニカルスカートがはためいて通り過ぎていった。季節はとっくに夏を迎えている。夢のように夢みたいなオレのことなどとっくに追い抜いているのだった。
(まったく今から、数日後には過去と出くわしてしまう恐れが頭の中をよぎったが、時折吠える犬のごとく、骨ばった男共の白シャツでさえ、カフェラテじみた洒落を着こなすのである。解さずともよしとす昼のストリップ劇場かな。)
屋根の下、日陰の内ベンチをよそに巡回バスを待つ列ができていた。中には会話だってある。
「えー別にいいじゃん。そんなの私の好きでしょ。」
「いや、それを言うなら勝手でしょ。ハハハハ(ラシシド)~♪」
直後、ほんのすんでの差で十tトラックに踏みつぶされたとみえる。だが、単に彼女ら二人より手前をトラックが通っただけだった。今の見間違いには、どうも願望らしいところがあっただけに、多少の落胆を認めざるを得ない。この自分の性格については、いつかの時に医者に相談したこともあったが、
「誰しも残酷な考えはありますよ。普段隠すだけでね。ではお大事に。」
これだけ告げられ診察料は取られ、受付の看護婦がみせた潤んだ瞳が、昔々の美少女並みに過剰だったのをよく覚えている。一九九五年八月十四日、鮮明かつ脚色のある記憶、セピア色した鍾乳洞、影の丸い越冬の穏やかな日だった。
『良い思い出に浸るならば、それはほんの束の間に行われなければならない。』
行き先の分からないエレベーターの上にいた。こちらが昇り側であるのと、左右で歩く人・立ち止まる人の列が出来上がっていることくらしか分からない。あとは屋外から屋内へ向かっていることくらいか。行き先も分からず運ばれるのは実に妙な心持ちだった。
降り側のエレベーターが、こちら側と交差するように並んでいる。そこに何か人ではない、赤黒い霧みたいなものが周囲に紛れるように乗っていて、それとすれ違った瞬間腕を掴まれた感触があったのは、どうやら本当に、気のせいだ気のせいだと言い聞かせる他、今のオレには施しようがないようだった。とにかくアイツは降りていった。これまで通り、アイツとの対決は数日後でいいし、初めから負ける前提に構えているべきだろう。上階に着いたすぐそこに子供服店のテナントがあって、その入り口の前には、ベビーカーごと置き去りにされた赤ちゃんが、その歳特有の神妙な面持ちで待ち構えていた。
神妙な赤ちゃんは、オレと睨めっこをしても神妙なままであり、三回こっちが負けたところで母親が戻ってきたので、オレは周りと馴染むように逃げ去った。逃げた先には青果店が入っていた。オレはこれを無視した。さらに先には偽造品ジッポの露店が構えていた。これも無視した。もう一つ先では柵も縄も取っ払われたラクダが無心に牧草を齧っていた。無視した。倒錯に落ちこぼれたオレの両手がわなわなウィスキーの滝に溺れてたじろいでいた。無視した。辞書が日記を食い散らかしてより膨らみつつあった。街に火を点けると誰も気づくことなくそのまま燃えて地図から消えた。闇夜に炎の色だけがうねって次々倒壊していくあの様が、寝ているベッドのシーツやお茶をあてにして開けた冷蔵庫、洗面器から顔を上げた際の鏡の中にバラバラと現れては胸中に憧れを掻き立てるだけで何も起きず、せめて覗いてみたくて身を乗り出そうとすれば当然そこに頭をぶつけた。つまり、エレベーターに乗った先には、夢まで含めたオレの今朝があった。いったいどこからそうだったのかは定かではないが、とにかくすでに空が暗くなって夜、オレは桜焼酎駅のところまで押し戻されていた。もはや闇なんて場所ができる訳もない資本主義の盛況と、その道路を埋めるほどの通行人の顔一枠一枠に、夢の闇夜と炎の紅蓮が浮かんではしゃいで酒に酔っぱらう、この景色にはなにか圧倒される美しさそして恐さがあった。オレはすんでのところで発狂を飲み込んだ。
今回参考にしたもの:
clap your hands say yeah「In This Home on ice」
sunbeam sound machine「In Your Arms」
落語「鼠穴」
zazenboys「COLD BEAT」
ルーレットピーテッドウイスキーというインドのスコッチ