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言い合いを見かねた従業員が、空いている部屋にレックスたちを誘導した。
レックスは渋々といった様子で数名の護衛と空き部屋に入っていく。
シシリー嬢の私に対する視線を感じるが、ここは出る幕ではないなとスルーした。むしろ、口を挟むと余計にややこしくなりそうだ。
シシリー嬢はこちらに痛いほどの視線を向けていたがやっと空き部屋に足を向けた。ミュリエルの前でレースを見せてくれていた従業員もほっとして手の力が抜けたのが分かる。
張り詰めた空気が緩んで、話し声が店内に復活したところで視界に何かが鈍く光った。
「聖女様!」
護衛の声で顔を上げると、シシリー嬢が令嬢らしい小走りでやってくる。彼女の手に握られているのは大きなハサミだ。
「ひっ!」
目の前の従業員が悲鳴を上げた。
「あら」
目で動きを追えていたミュリエルは軽い身のこなしで避け、相手の腕をつかんで捻りあげる。
このときばかりはラルス神殿長に感謝した。
ミュリエルは聖女候補の時から懸垂やらランニングやら腕立てやらをさせられているのだ。普通のか弱いご令嬢に腕力で勝つのは簡単だ。でも護身術までは習っていないから、相手が素人のご令嬢で助かった。
ハサミが床に大きな音を立てて落ちると、遅れた護衛がシシリー嬢を取り押さえた。
「あんたさえいなければ私はレックス様と結婚できたのに!」
「え? そんなわけないじゃない」
ミュリエルは護衛に押さえつけられているシシリー嬢にかがんで目線を合わせた。
ちらりとレックスを見ると扉が開いたままの空き部屋で腰を抜かしている。そっとシシリー嬢に顔を近づける。
「一度しかデートしていないのにそう思うなんて、あなたって可哀そうな人ね。あなた以外にも出かけている人はたくさんいるのに。どうして自分だけ特別だと思うの?」
「っレックス様はっ! あなたのことで困ってらしたわ!」
「そう? それはあなたに言ったところで解決するとも思えないわね。むしろ神殿に言うべきではないかしら」
シシリー嬢と取り押さえている護衛にしか聞こえないような会話。
これ以上言い合っていてもおかしなウワサがまた広まるだけだと立ち上がって護衛に礼を言おうとして、取り押さえているのがイザークだと初めて気づいた。イザークよりも近い場所に護衛はいたはずなのに、とっさに動いたのは彼だったのか。
「ありがとう。怪我はないかしら」
「聖女様がご無事で何よりです。遅れてすみませんでした」
「大丈夫よ。鍛えられているし、聖女は治癒魔法を自身にも使えるから」
「それでも、です。護衛の仕事を全うできず申し訳ありません」
イザークにゆっくり首を振る。
聖女は即死しない限り、自身が傷つくと治癒魔法が自動的に発動する。聖女の力次第ではあるが、大体の怪我や病気はすぐ治ってしまうのだ。
だからといって聖女に危害を加えてお咎めなしにはいかない。イザークがシシリー嬢を拘束して警備隊を呼んでもらうように手配している。
「聖女様は勇敢なのに、旦那様は見ての通り腰抜けね」
「やはり腰抜けスタイナーの血は争えないわ」
「聖女様のことを真っ先に守りもしないなんて」
「ねぇ、あの方はホルフマン侯爵家のご子息ではなくって?」
「あのご令嬢はシシリー伯爵家の方ね」
シシリー嬢がやらかしたせいで、目撃者からいろいろ言われてしまっている。主にレックスが。
「迷惑をかけてしまってごめんなさいね。このお店で大事件にならなくて良かったわ」
仕立て屋で流血沙汰は避けたい。
「いっいえ! むしろハサミを置きっぱなしにしたのはこちらなので!」
「あんなこと誰も想像できなかったわ」
従業員や目撃者たちに謝ると、従業員は床に落ちたハサミを見て青ざめて平謝り状態だ。
シシリー嬢があんなに素早く動くとはミュリエルも護衛達も思っていなかった。人って追いつめられると何をするか分からないものよね。
レックスは護衛の手を借りてやっと立ち上がり、こちらにやってくる。目撃者はその様子を見てクスクス笑っている。
「レックス、大丈夫?」
「あ、あぁ」
「学園時代に一度出かけただけの方があんな勘違いをするなんて……驚いたわ」
ミュリエルはわざと聞こえるように言い、レックスは悲しそうに俯いた。レックスにとっては一度一緒に遊びに行っただけの存在なんだろう。
「びっくりして強くつかんでしまったから、彼女に怪我がないといいんだけど」
「ミュリエルは優しいね、怪我はない?」
レックスの口からやっとミュリエルを心配する言葉が出る。
「ないわ。でも怖いから今日はもう帰りましょう?」
「そうだな。残りの打ち合わせはまた屋敷で」