それぞれのメリー・クリスマス
女子校は外の人間が思うほど、華やかな世界でもなければ、理想的な場所でもない。
それは一部の界隈で言われたり言われなかったりする話だが、私の出身である宮の浦女子中学・高校でも同じだった。とはいえ、近辺では頭のいいお嬢様学校として知られているだけに、完全に無法地帯だったというわけでもない。女子しかいないから、男子に遠慮する必要がないというだけ。それは男子校でもたぶん同じだろう。
「せっかくだしデートしようよ。クリスマスの日」
「いいよ。どこ集合?」
「もう、さばさばしてるなあ。こういうのって雰囲気が大事なんじゃん」
「はーい」
「夕方六時に西僧正の南改札。よろしくね」
遠慮の必要がないと言えば、女の子どうしで付き合うのもそうだ。大学でできた共学出身の友達の話と比べても、女子校出身の子のスキンシップは一歩か二歩くらい踏み込んでいる。実際、私の周りにも付き合っている子はそれなりにいたし、しっかり進むところまで進んでいる人もいた。
私もすごく緩いものではあったが、お相手と呼べる関係の人がいた。といっても、たまたま周りが自分と同じ女ばかりで、たまたま可愛いな、デートとかしたいなと思った子がいたから、アプローチしてみただけの話。その結果、相手が女の子だっただけだ。ただ、あまり本気ではなく、友達よりは深くていろいろ知り合っているだけの関係を緩く維持したかっただけ、という私の思いを汲んでくれた彼女には、感謝すべきだろう。赤の他人で価値観が一致することなんてそうそうないというのは、大学に入ってから特に実感したから。
「りょーかい」
「簡単に返事してるけど、いいの? 『るりちゃん』の配信とかあるんじゃないの。ゆかり、すぐ浮気するからさ」
「浮気じゃないって」
「はいはい。で、どうなの」
「……確認する」
私は自分が高校生になるのとほとんど同時にデビューした、虹ノ宮るりというVTuberに夢中だった。それこそ勉強はそっちのけなくらい。これは二年生のクリスマスの話だから、まだ勉強より全然るりちゃんの配信を漁る方が優先だった頃だ。本当は中高一貫の高校二年生の冬なんて、大学受験の勉強を少しでも早く始めて、他の人に差をつけなければいけない時期だというのに。一にるりちゃん、二に彼女とイチャイチャすること、三四は飛ばして五に勉強が来るかどうか、くらいの心持ち。こんな体たらくでよくお母さんは怒らなかったなと思う。もしかすると本人のことだから好きにしろ、くらいに思っていたのかもしれない。
『クリスマスの日は20時から歌枠するよ。予定空けといてね』
「……あぁ」
「なんだほら、配信あるんじゃん。しかも歌枠。ゆかりが一番好きなやつ」
「まー……後でアーカイブで見ればいいし」
「歌枠にコメント打つのが楽しみとか、前言ってなかったっけ? ほら、お小遣い全部投げ銭に充てちゃうタイプじゃん」
「そんなことしないって」
「どうかねぇ」
「……とにかく、さすがにデートより優先することじゃないし」
「はぁい」
るりちゃんのSNSでのつぶやきを見て、私は受け答えをする。クリスマスは予定のない人がたくさん配信に来るから、たとえ想い人がいたとしても何もできないのがVTuberの宿命。とはいえ、るりちゃんには本当に相手がいないようだ。
デートの約束をしたのは、二学期末テストの最終日。ちなみに結果は散々だった。
* * *
普段はぼんやりと明るいだけの場所が煌々と照らされて、日焼けしそうなくらいにまぶしい駅前。それがクリスマスの西僧正駅前だ。駅直結型の大きなショッピングモールがあるからか、急行は通過して隣の僧正にしか止まらないのに、こちらの方が栄えているように見える。マンションが立ち並び通勤通学がしやすいのは隣の方だが、遊びに行くならこっちだ。
私は約束の時間の五分遅れで改札を抜けた。これでも十分前には着いている予定だったのだが、どういうわけか私の目の前で予定の電車は行ってしまった。学校に行く時ですら、一本電車を見逃しても遅刻しなきゃいいか、くらいに思ってしまう私だ。目の前で電車が行ってしまって約束に遅れるのも不可抗力と言っていいだろう。そんな私の行動を見越してか、彼女も私よりもう五分遅れてやってきた。二人とも遅刻したことが分かって、にししと笑い合う程度には互いに時間にルーズだ。
「ほんとによかったの、るりちゃんの歌枠見なくて」
「いいよ、後で見ればいいんだし。それに歌枠なんてたくさんやるだろうし。たぶん三が日もどっかしらでやるよ。今のとこ家族と初詣くらいしか予定ないって言ってたし」
「ふうん……」
るりちゃんは同期デビューの中はおろか、同じ会社所属のVTuber全員の中でも、歌枠をやる頻度が特に高い。それはきっと、VTuberを始めた理由からして「自分の歌でどれだけの人が笑顔になれるのか、見てみたい」だからだと思う。るりちゃんは自分の面倒を幼い頃から見てくれたおばあちゃんが、全然知らない歌でもニコニコして、喜んでくれた思い出を何より大事にしている。今はまだぴんぴんしているそうだが、おばあちゃんが倒れたらVTuberをやめるかもしれないと何度も発言するくらいには、おばあちゃんのことを大事に思っている。るりちゃんにとっては、歌を歌うのは生きがいですらある。
「じゃ、行きますか」
彼女はあらかじめ、高校生にもギリギリ手が届く、いい感じのレストランを予約してくれていた。とはいえ、「お嬢様学校の基準で」ギリギリ手が届く、なのでなかなか高かったかもしれない。周りの席ではもっと大人びた、あるいは本当に大人の男女が仲睦まじく食事をしているような環境。高校生がこんなところにいていいのか、と不安になって少しそわそわするくらいには特別な雰囲気だった。
「ねえ」
「ん?」
「デートってさ、何話せばいいの」
「え? さあ……」
「なんかいつも一緒にいるし、あんまり特別な日だからこんなこと話す、みたいなのがなくてさ。日本経済の将来性とか、議論すればいい?」
「できるの?」
「できるわけないでしょ。あたしが頭よくないこと、知ってるくせに」
「そんなこと言ったら私の方が」
「んー、やめよ、これケンカだわ」
窓の外はぐっと冷え込み、ちらちらと雪が舞い始める。このあたりはどれだけ寒くとも大して雪が降らず、降ったとしても積もることはないような温暖な気候だ。しかし雪が降り、すれ違う人たちが空をぼんやりと見上げたり、コートについた雪を払う仕草をしたり。あるいは、ほーっ、と息で自分の手を温めるのを見ると、どこか胸が高鳴る。いつもと違うことが起きているというのは、それだけでなんだか心を躍らせてくれる。
「ねえ」
「ん?」
「ゆかりは、さ。あたしのこと、今でも好き?」
「ん……好きだよ。じゃなかったら、デートしてないし」
「そうじゃなくて……まあ、聞きたいことはいろいろあるけど……こういう時にしか聞けないっていうか」
「例えば?」
「ゆかりはあたしと、もっとこの関係、進めたいと思う?」
「それは……」
「一番分かりやすいので言ったら、カラダの関係に手を出すか、それともプラトニックなままでいくか。今までずるずるなんとなくで、友達の強化版みたいな感じで来ちゃったけど、そろそろ区切りつけるっていうか、方向性を決めた方がいいのかな、なんてさ」
「……」
そのうち決めなければいけない、とはどこかで思っていた。しかし意図的に避けてきたところでもあった。彼女とこうしてなんとなく出かけたり、ご飯を食べたり。学校という特殊な枠組みに縛られない場所で、同じことができる関係は心地いい。心地いいからこそ、それに流されて生きたいと思っていたし、そうやって今まで過ごしてきた。そういうことを勢いで決めてしまってはよくない、ということにして、とにかく結論を先延ばしにしたかった。
「あたしも今の関係、悪くないとは思ってるよ? むしろ楽しくて、このままでいたいくらい。変える必要なんてないとすら思ってる。でも、さ……このまま高校卒業して、あたしたち大学行こうとしてるわけじゃん、曲がりなりにも? それで大学生になって、働き出して……それでもこの関係が続けられるのかって聞かれたら、ちょっと怪しいって思わない?」
「……それは」
「結婚したいくらい好き……って言うんだったら、話は別だけど。あたしたちって、女子校出身だし、なんかそういう珍しいお付き合いしてた自分かっけーとか、かわいーとか、そういう思惑が……ないわけじゃないじゃん?」
「……そう、なのかな」
「今の関係がこの先ずっと続いたとしても、どこかで終わったとしても。このことを一生心の中にしまっておこうとか、考えないでしょ? 違う環境に行って、仲良くなった子にその手の話を振られたとして、普通にカミングアウトするし、そもそもカミングアウトって言うほど仰々しい話でもないんじゃないかって思う。ゆかりも、そうじゃない?」
「私たちが……あくまで、友達の延長線上だから……?」
ちゅっ
「……っ!?」
「……ほら、ゆかりも」
ちゅっ
不思議と、ためらいはなかった。お互い、相手の頬へ軽いキス。ほんの少しだけ、私の心臓が跳ねる。
「あは、ドキドキするじゃん。案外……心の中では、本気なのかも」
「じゃあ……」
「別れよっか」
時間が止まった。ように思えたが、それは私だけ。しばらく二人で黙った後、私には自分の心臓の音がやたらとうるさく聞こえた。
「なん……で……」
「なんでって、このままあたしが本気にしちゃったらどうするの。受け入れられる?」
「で、でも……」
「一歩、ここから踏み出せば、もう戻れない。教室で手つなぐとか、お弁当食べさせ合いっこするとか、そういうひとつひとつの意味が全部変わってくる……それに、ゆかりは耐えられる?」
「耐える耐えない、って……、そういう、話じゃ……」
「少なくとも、あたしは耐えられない。だって、今の関係がすごく居心地いいんだもん。いい意味でも、悪い意味でも変わらない。マンネリになるかもだけど、あれこれめんどくさいことは考えずに、楽しい時間だけ過ごせる」
「……っ」
「あたしは、ゆかりとこのままでいたい。だから、別れる。もっと本気の関係になったら……いつか、もっと悲しい別れが来る気がするから」
「そんな、こと……って、……!」
「大丈夫だって。友達以上恋人未満ってのが、友達に戻るだけ。ついこの間の感じまで、戻るだけ。そうでしょ?」
涙が溢れる。そんなに悲しい別れではないはずなのに。別れようと、彼女の方から切り出されたことが、なぜかすごく心の奥底に響いた。何が悪かったのだろうと振り返って、すぐに何も悪くなかったことに気づく。私と彼女の関係は順風満帆そのものだった。だからこそ、それが幸せだと思い続けるための別れ。この先も、私たちが幸せであり続けるための、別れ。
「うぅ……っ」
「もう、……あたしまでもらい泣きするじゃん……化粧、崩れるって……」
私は人目もはばからず、鼻をすすってぼろぼろと涙をこぼす。こんなに心を揺さぶられたのなんて、いつぶりだろうか。こんなに泣くほどのことでもないはずなのに。彼女も追って、私ほどではないが泣き始めた。彼女の方から言い出したことのはずなのに、二人して泣いた。
「なんでさ……あたしたち、今生の別れみたいな泣き方してんの……」
「だって……クリスマス、なのに……」
「あたしは……クリスマスじゃなきゃ、こんなこと……言えなかったと、思う。ゆかりにも……そう思ってもらえると、いいなって」
周りがちらちらと見てくるのも構わずにひとしきり泣いて、ようやく落ち着いてから、私たちは店を出た。事前の約束通りに、少し歩いたところにある展望タワーに上った。煌びやかに彩られた夜の街を、上から二人で眺める。展望フロアはゆっくりと回転しており、立ち止まっていても全方位が見渡せるようになっていた。
「……やっぱり、クリスマスだし、別れ話はしない方がよかった?」
「すぐ撤回するじゃん」
「ゆかりがびーびー泣くから」
「だって泣くでしょ、そんなの……」
「じゃあ本気の関係になりたかった?」
「それは……それは、また別の問題じゃん」
「でしょ? それにいずれは、考えなきゃいけないことだったし。受験勉強真っ只中とか、大学生になって新しい友達できてからとか、そんな時に話しても、こじれるだけじゃないかな、って思って」
「そりゃ……そうか」
「だったら今のうちに、ね? あたしたち、ただの友達に戻る方が案外上手くいったりして」
展望台も閉館の時間が近づき、他のお客さんがどんどん減ってゆく。それを見て帰るわけでもなく、彼女は手すりにもたれかかって、おもむろにスマホを取り出した。開いたのは、ちょうどやっていたるりちゃんの生歌枠だ。画面の右端いっぱいに歌った曲名が並んでおり、おそらく今歌っているので最後だろうと分かった。
「ほい。聞く?」
「いいの?」
「こういうのも今日までね? イヤホン共有とか、カップルがイチャつく時にやるやつだから」
「そんなことないでしょ」
「そっか。じゃあこれは友達に戻ってもありってことで。キスはなしね」
「なしも何も、さっきのが初めて……」
イヤホンから、いつもの歌声が聞こえる。はきはきしているような、こもっているような。高いようで、高すぎない声。ボイトレをすればするほど、「普通の高校生っぽい歌声」からはほど遠くなるはず。それなのにるりちゃんは、いつまでも歌がうまい友達のように、背伸びしない歌声で私たちにいろんなことを伝えてくれる。歌は、久しぶりに一人きりで過ごすクリスマスに、思い出を掘り返す女の子目線のバラードだった。
『5分休憩〜! いい子で待ってて』
曲の終わりとともに画面が配信終了の時のそれに切り替わり、続けて投げ銭メッセージ読みの枠に移る旨のメッセージが表示されるまで、私たちは黙ってそれぞれに思いを馳せていた。それから閉館だと館員さんに声をかけられるまで、私たちは肩を寄せ合ってその場にいたのだった。
その時の彼女――友達とは、今もこまめに連絡を取り合う仲。地元で落ち合って遊ぶこともしばしば。それをデートみたいと冗談で言うと、少し怒られたり、怒られなかったり。




