5話 誰もが幸せを願うだろう
白衣を身に纏った濃い紅色の髪の男性ハーゼンティは第一手術室と書かれた部屋を出た。外にいたジェイ隊長に首を横に振った。
「既に手遅れでした」
淡々と訃げた。
「そうか……」
二人は歩き始め、会話を続けた。
「死因は判明したか?」
「毒殺――神経毒によるものでしょうね。喉を押さえて何度も咳を繰り返していた、と仰いましたね?料理か何かに盛られていた可能性が高いのですが……」
ハーゼンティは両手を上げ『お手上げ』のジェスチャーをする。
「料理に食器、調理器具等も入念に調べてもらいましたが、どこにも痕跡はありません」
「こちらも現場にいた全員の身体検査に加えて異能を調べたが、手掛かり無しだ」
「もしかして完全犯罪じゃないですか?」
「いや、メルディルであるのは確定的だ。証拠が無いだけで」
「同じようなもんでしょう。証拠が無きゃ誰も裁けませんよ」
ハーゼンティは大きく欠伸をした。
「そういえばあの爆発音は何だったんです?」
「メルディルの軍人が一人紛れ込んでいて、セルシア・アリアが単独で交戦したと本人から報告を受けた」
「一人?へえ、それでアリアちゃんは無事に撃退と」
「……左膝から下が無くなったらしいが――」
「大怪我じゃないですか!?誰が今治療してるんですか!」
「喧しい……」
椅子に座りながらウトウトしていたが、跳び跳ねるように目が覚めた。驚いた勢いのまま立ち上がると、すぐにジェイ隊長とハーゼンティ先生が扉を開けて入ってきた。
「お、お疲れ様です」
「ってなんだ、怪我してないじゃないですか。冗談はやめて下さいよう」
ジェイ隊長はハーゼ先生を無視しながら通信機を返してくれた。
「あの、怪我をしたのは本当なんです」
「……順を追って説明してくれ」ジェイ隊長は溜め息混じりに答えた。
「私はシーマ・エイゼルの破壊の霧を食らい、左脚を吹き飛ばされました」
ハーゼ先生は何か言いたげだったが、ジェイ隊長が片手を上げ制した。
「殺されそうになった時、天井に発光する水面が現れたんです。彼はそこから落ちてきました」
横に一歩引く。二人の視線は背後にいたベッドに横たわる黒髪の青年に向いた。青年は寝息一つ立てなかった。
「不審に思ったシーマ・エイゼルは一方的に異能を撃ち込み剣で斬りつけました。最後にはシーマ・エイゼルが全力で放った破壊の霧で吹き飛ばされたのですが、彼は生きていました」
「例の爆発音はそれか。彼の怪我の度合いは覚えてる?」ハーゼ先生が訊いた。
「身体が上下に別れる寸前でした。爆弾を体内で爆破させたように腹部は吹き飛んでました」
「遠くまで音が響いてたのに、傷ひとつ残ってないね……」
ハーゼ先生は彼の身体をベタベタと触りまくっていた。「ほう」とか「へえ」なんて言いながら唸っていた。
「そして、シーマ・エイゼルが去った後、彼は私の左脚を治癒の異能で治してくれました」
「歩いたり曲げたりして違和感はある?」
私は首を横に振った。「全く無い」と力強く答えた。
「シーマ・エイゼルはどこから逃げ出したのだ?やはり異能か?」隊長が訊ねる。
「空間に作られた円を潜ると離れた空間を行き来出来る、そういう異能でした。一歩踏み出すだけでストラからメルディルに逃げました」
「シーマ・エイゼルがその異能を?」
「別人です。誰がその異能を使ったか迄は確認できませんでした」
ジェイ隊長は顎を触り「そうか……」と言った。
「彼も同じ異能で来たの?」ハーゼ先生が訊いた。
「ええ、恐らく――」
『……水の異能じゃない、何なんだ一体!?』
異能を前に困惑した態度を取るエイゼル。
「――待ってください。シーマ・エイゼルは彼の異能を知らなかった。別の異能と考えた方がいいかもしれません」
「でもそれ、あり得ないよね」ハーゼ先生は断言した。私もそれには大賛成だ。
「性質が似た別の異能など無いからな。空間を繋げる異能も治癒の異能も未知の異能だ。とにかく情報を聞き出さなくてはなるまい」
全員黒髪の青年に視線を向ける。寝息がとても静か過ぎて死んでるのではと不安になる。
「彼は魔力切れで倒れたの?」
「それが……」
彼の傷口を確認すると既に再生が始まっていて、みるみる内に肉体が元に戻っていく。意識を失っても異能が発動していた。
手首に触れ脈を確かめる。私はほっとし肩の力を抜いた。銃声は入口から聞こえ、そこにはアサルトライフルを構えた背の高い男がいた。私と同じ金髪で顔中にびっしょりと汗をかき、呼吸がとても荒かった。その正体は隊長が連れてきた訓練生の内の一人だった。
「アルバ……なんで撃ったの……!?この人は、私を助けてくれたの……!命の恩人なのよ!?」
「えっ?そんなつもりじゃ……。っでも違うんだ、姉さんを助けるためだったんだ」
「どうして言い訳するの!アルバ、あなたはよく確認もしないで、早とちりして、この人を殺したのよ!」
誤射した言い訳が人助けがどうのなんて聞くに堪えない。この人の異能が機能しなかったら、弁解の余地も与えず殴りかかっていたと思う。
弟はまだ何か言い足りなさそうだった。でも泣きそうな顔のまま下を向いてしまった。
沈黙が訪れた部屋にバタバタと誰かの駆け足が聞こえた。
「おいっ、無事か!何があった!?」
銃声を聞き付けたシューヤが遅れてやって来た。
「……シーマ・エイゼルが侵入していた。もう逃げたわ」昂る苛立ちを抑え要点だけ伝えた。
「怪我は大丈夫か?それと、そいつは誰なんだ?」
「分からないわよ……」
「分からないって……知らないやつが急に現れたのかよ?」
「その通りよ!だから分からないって言ってるのよ!」
「落ち着けよ……」
冷静にあしらうシューヤに無性に腹が立った。
「何で助けに来なかったの……!ずっと待ってた。この人がいなきゃ死んでた……!」
涙が頬を流れてく。怒りとか屈辱とか喜びとか、とにかく色んな感情がぐちゃぐちゃで気色悪かった。死の淵に立たされ精神は既にボロボロだった。
「すまない。俺達だってすぐにお前の元に戻りたかったけど出来なかったんだ」
「……どうして」
「――大広間で一人、殺された。しかも、相手は陛下だ……」
事態は想像以上に深刻だと察した。私だけが辛い思いをした訳じゃなかったのか。涙は勝手に止んでいた。
「大広間に戻った時には既に大混乱だったんだよ。ドレッド陛下が白目を向いて倒れたとかで手術室に運ばれていったんだ。俺とビークンは全員のボディチェックが終わるまで離れられなかったんだ」
「そう……、ごめんなさい」
「別に気にしてねえよ。それよりほら」
シューヤが投げた通信機を受け取った。
「その人は俺が運んでおくから報告しておけ」
涙を流したことなどの余計なことは省いて伝えた。
「規則を破った弟は罰せられますか?」訓練生は許可なく発砲してはならない。
「証拠は残ってないし、誰かが報告しない限りはなんとでも。どうするんです?」ハーゼ先生と揃って隊長の顔色を窺う。
「そんな些末事よりも他に優先すべき問題がだな」
「ごもっともですね」ハーゼ先生は鼻で笑った。
「ともかく、君が無事で良かった。彼の事も含め報告してくる。君はもう休みなさい」
その後二人は速やかに退室し、部屋には私と黒髪の彼だけになった。椅子をベッドの横に動かして座った。
数時間前の出来事を振り返る。左脚がなくなったことと、目の前でエイゼルの槍に貫かれた姿が鮮明に脳裏に浮かぶ。
未だに現実感が湧かない。この人がいたから、勝負に敗れても死ぬことはなかった。溜め息が出た。
戦うことが恐くなった。死の恐怖がトラウマになりイライラする。なにより自分の弱さに腹が立つ。心まで弱い、何一つ取り柄のない惨めさを痛感した。
「悩むなんて……バカみたい」
悩みなんて寝れば無くなる。考えるだけ無駄だ。
私は照明を消しドアノブを握った。部屋を出る前になんとなく振り返った。
月明かりが差し込む病室で、黒い瞳が私を認識する。ばらばらな瞳の焦点が次第に合わさっていき、目と目が合った。
「……起きたの?」
部屋の照明付ける。黒髪の青年は眠りから目覚めていた。急いでベットまで駆けつけ様子を窺った。
「えっと、大丈夫?身体は平気?」
返事はなかった。そういえば、青年は違う言語を話していた。
「……言葉は通じてる?」
「ああ……何も問題はないよ」
良かった、意志疎通は大丈夫だ。
彼は手を開いたり閉じたりを何度か繰り返した後、右の側頭部やお腹の部分に手を当てて身体の状態を確認していた。
「傷が痛むの?」
「違う、傷がない……」
「それは、あなたが自分で治したから」
「は……?」
「異能で治したでしょう?」
「異能……?」
惚けてる訳ではなく、彼は本気で理解していなかった。
まさか、脳を撃たれたせいで記憶が飛んでしまったのか?
「……自分の名前は覚えてる?」
「俺は――」
彼は一拍置いてから答えた。
「オトノ」
「オトノ?」
艶やかな漆黒の髪、中性的な顔立ち、華奢な腕と肉付きの薄い脚、色白い玉のような肌、そして、光を失った瞳のオトノは頷いた。
「私はアリア、よろしく。それでオトノ、自分の異能を覚えてないの?」
「……本当に俺がやったの?」
「うん。私の左脚はあなたが触れたから治ったの。オトノが治してくれたのよ」
オトノは左の手首に右手の爪を立て腕に沿って勢いよく走らせた。左腕の五本の裂傷から血がボタボタと垂れシーツを赤く染めた。
突然の奇行に言葉が出なかった。ただただ呆然と彼を眺めることしか出来なかった。
オトノは血で汚れること躊躇わず右手のひらで肘から手首に向かって傷口を強く押し付けた。手のひらが皮膚を滑った後は傷痕も血液もない綺麗な肌が現れた。右手のひらにも血は付いておらず、ベッドのシーツを軽くなぞるだけで赤い斑点は綺麗さっぱり無くなった。
「はっ……なんだこれ」
オトノは馬鹿馬鹿しいと呆れながら苦笑いしていた。眉に皺を寄せ両手で口を覆っていた。
何故そんなに嫌そうな顔をするのだろうか。
「凄い異能ね。あなたが来てくれなかったら今頃……。本当にありがとう。感謝してもし尽くせない」
「やめて……!」
オトノは私から顔を背けた。きっぱりと拒絶されてしまった。
「ごめんなさい、何か気に触るようなことを言ってたかしら……」
「……何でもない」
少しだけ機嫌を損ねてしまったらしい。何が原因かは深く踏み入れられる雰囲気じゃなかった。
「わかったわ……話を戻すね。オトノはもう一つの異能も覚えてない?」
「……なんだって?」
「光を放つ水の異能、あれもあなたの異能よね」
少し考える素振りを見せた後、オトノは首を何度も横に振った。
「いや違う、違う。自分の意志で来たんじゃない。怪我を治したのもそうだけど……とにかく、ここに来たのは偶然なんだ」
異能は発現すると誰かに指南されずとも使いこなせるようになる。私は異能が無いからその感覚は分からないが、要するに自分の異能を身体の一部として意識出来るようになる。
ストラに向かう意志が無ければ来られる筈がない。オトノの言うことが正しければ、その異能は別の誰かの仕業だ。
「俺は今どこにいるの」
「ここはストラ王国の――ストラ王国に聞き覚えは?」
「ない」
参ったな。誰がオトノをこの国に送り込んだのだろうか。
「オトノはどこにいたの?」
「あの場所が何処なのか知らない。森の中に塔があるだけだったから」
出身さえ聞ければと思ったが……森の中の塔?まるで童話の“幽閉された双子”みたいな話があるなんて。
「何をしていたの?」
ほんの少しの興味本意で訊いた。先程まであまり私の方を向いてくれなかったが、オトノはしっかりと私の目を見て答えた。
「――自殺」
「…………」
「何回も飛び込んだよ」「未だにその時の痛みを感じる」「塔の屋上から」「臓器が潰れた」「諦めたくなかった」「骨が折れた」「泣いた」「淡い光に包まれた」「悪夢から覚めたと思った」「下らない」
彼は事細かに説明してくれていたが、私の耳に残ったのは物切れの言葉だった。
彼を目の前にしてどうして恐怖を覚えたのかわかった。彼はもう、心が死んでいる。でも身体は真逆で活力に溢れている。共生する筈のない生と死が混在するから不気味だったんだ。
嗚呼、そうか。シューヤとビークンと別れた階段前で感じたのは彼だ。エイゼルではなくオトノの気配だ。
彼は先程、怪我を治したのもそうだと答えていた。オトノの治癒の異能は、オトノの意志に関係無く発動している。脳を撃ち抜かれ意識を失っても異能を使えたのはそれが答えだ。
彼は不死身になってしまったんだ。
「――どうして泣いてるの?」
「えっ?」
私は顔を腕で拭うと確かに袖が濡れていた。何度も拭っても涙が溢れ落ちてくる。過呼吸になり肺が大きく膨れ上がった。
「あれっ……なんで?」
何だこれ。胸の奥から熱く込み上げてくる。こんな涙で鼻水だらけの顔、とても誰かに見せれる状態じゃない。
「アリア、大丈夫……?」
「何でもないの……うんっ、本当に」
羞恥心は正体不明の悲しみを止めてくれなかった。それから落ち着くまで10分程かかった。その間もオトノは何も言わずに待っていてくれた。
「オトノは今でも……死にたいの?」
「ずっとそうだよ」
オトノの声に抑揚はなく、向かい合っているのに表情もどこか上の空だった。
「生きる意味も無いのに、死ぬことすら許されない。飛び降りるだけじゃ足りない。だから、あの銀髪の男なら俺を殺してくれると思った」
オトノは疲れ果てて全てに絶望していた。それなのに、癇癪を起こしたり泣き喚いたりすることなく、ただ静かに人生を諦観していた。
「ねえオトノ、あなたの過去に何があったの?」
「それは……思い出せない。ずっと、あの塔より前の記憶がない。どんな人生だったか」
「何もかも……?」
「うん。この異能は記憶を治せない。でも、記憶なんか今更どうでもいい」
彼の言葉に違和感を覚えた。尋常ではない死への執着心、それは記憶が微かにでも残ってるからではないのか?もし本当に全部無くなっているなら――
「じゃあ……!記憶を全て失ったなら、幸も不幸も覚えてないなら、どうしてまだ死にたいの?」
オトノは口を開いたがゆっくりと閉じてしまった。唇は堅く結ばれ、心のうちを明かす気は無かった。
私を救ってくれた人が救われないなんて許せなかった。そんなの悲しすぎる。偽善だとしても彼の心に踏み入らずにはいられなかった。
「死ぬ理由なんてないよ!幸せで満ち溢れれば、暗い過去もきっと振り払える。絶対幸せに――」
「アリア」
オトノは胸を押さえて身体を縮こませた。
「そうじゃない。今更幸せなんて望んでない……!」
「どうして……!?」
オトノは大きく息を吸った。
「気持ち悪いんだ!不快感が内側からじわじわ染み出てくる!ずっと治まらなくて頭がおかしくなりそうなんだ!吐きそうなのに……泣きそうなのに……異能じゃ治らない、きっと永遠に終わらない!生きてるだけで辛いんだ!だから死ぬしかない!」
オトノは髪を激しく掻き毟り頭を抱えた。
「でも……死ねない……。なら俺は、どうすればいい?この苦しみを抱えて生き続けるしかないの……?」
「……」
私は何も答えられず目を伏せた。
大きな勘違いをしていた。オトノは幸せを渇望していたんじゃない。苦痛から解放されたかったんだ。勝手に過去に縛られてるからだと邪推して、今の彼を見ていなかった。
この状態のまま幸福が訪れたとしても、一時的に苦痛を和らげるものにしかならないだろう。
治療法も不明、生きることに耐えかねないという意志を尊重するなら、安楽死が最適かもしれない。しかしオトノは不死身だ。安楽死すらも選択肢から除外された。
――精神的苦痛を抱えたまま生きていくしかない。そう宣告するのはあまりにも残酷だ。
「探すしかない……苦しみを消す方法を」
「…………そうだね」
酷く冷たい相槌だった。希望は欠片も感じられない。絹のような漆黒の髪から手を離し、オトノは動かなくなった。
仮面を貼り付けたような無表情の目尻から、一粒の涙が零れた。
わからない。オトノから抱くこの感情の正体が掴めない。私までもが痛苦を味わっているみたいだった。
所詮は他人の人生なのに、どうしてここまで気に掛けてしまうのだろうか。しかしどんなに可哀想に思えても私には何もできない。無力だ。
――誰か来る。
入口に目を向けると、扉の奥から現れたのは赤い髪に白衣を着た男性、ハーゼンティ先生だった。
「まだいた――目を覚ましたんですね」
「先生」
ハーゼ先生は息を切らして神妙な面持ちで入室する。
「突然すいません、何とお呼びしたら良いでしょうか」
「彼はオトノです」私が代わりに答えた。
「オトノさん、あなたに頼みがあります」
オトノは顔を上げハーゼ先生を見る。
「私と一緒に来ていただけますか?」
そう言ってオトノが連れてこられたのは治療室の前だった。私も同行を許可され治療室の中に入ると、中肉中背の推定50代の男性が手術台の上で横たわっていた。背広を身に付けており、襟元は皺だらけになっていた。
「この人は……」
「大広間で毒殺された……この国を治める陛下です」
ハーゼ先生は隣にいたオトノに告げた。
「この人を生き返らせることはできますか?」