3話 破壊、喪失。
先に仕掛けたのはエイゼルからだった。右腕の霧を左手に携えた剣に纏わせていく。先端が霧によって形作られ一メートル程の漆黒の剣は三メートル程まで刀身が伸びた。
エイゼルは私の間合いの外から横凪の斬撃を振るう。大きく後ろへ跳び回避、しかし斬撃の後に黒い霧が分離し三日月型の霧が迫る。
瞬時に身体を折り畳む。霧は頭の上を通過し、背後から爆風と小さな壁の破片が飛んできた。
相手はまた剣に霧を纏わせ再度横凪を繰り出す。同じように後ろに避け追撃を警戒したが、霧は分離せず大剣の猛攻が襲い掛かる。
剣で受けようにも、まともに食らえば簡単に折れてしまいそうだ。私は回避と逃げに専念しつつ部屋にあった木製の椅子を投げ付けた。エイゼルは椅子を霧の剣で切り裂くと椅子は粉々に爆ぜた。
椅子を斬ったことで霧が薄くなった。射程も短くなった今が攻め時だ。間髪入れず距離を詰め上段から振り下ろす。相手もこれは丁寧に防ぎきった。
そこからエイゼルに連撃を叩き込む。数回に一度重い一撃を混ぜる。相手は徐々に後退しバランスを崩し始める。
両手を自身の右肩へ持っていき突きの構えを取った。飛び掛かるかのように半歩踏み出すと、相手は剣を振り上げた。その動作を見てから私はピタリと静止する。
その余勢を駆った剣が空を切る様を目角を立てて見届けようとした。
しかし相手も私のフェイントに柔軟な対応を見せる。剣を振り上げながら後ろへ大きく跳躍し、剣を片手に持ち替えながら異能を放った。
霧の軌道は弧を描き地面スレスレから這い上がる。並列した線状の霧は格段に速度が落ちており避けるのは難しくない。接近は困難な為仰け反りながら後退した。
やはり一筋縄ではいかない。
シーマ・エイゼルが扱う“破壊の霧”の異能はある程度魔力を籠めなければ避けるのは容易かった。隙を与えなければ脅威にはならない。ならばやることは変わらない。
エイゼルへ再度距離を詰めた。流れるように交互にステップを踏み飛来する異能を全て掻い潜る。最短距離で接近し、胴へ向けて横一線を振るった。
「しまった――」
エイゼルは歯を食い縛り目許にシワを寄せる。エイゼルの渾身の一振は私の剣を盛大に弾き返した。身体ごと吹き飛ばされそうになるのを堅忍の精神で耐え、続け様に剣を振るった。威力を向きを場所を変え幾度と剣が衝突を重ね、甲高い金属音が響き渡る。
エイゼルはそのすべてをいなしてみせた。手数で押しきろうにもまだまだ相手には隙がない。一太刀振るう度に、寧ろこちらがじわじわと押されている気さえする。
決してそんなことは無い筈だと自分自身に言い聞かせていたその時、霧の異能が僅かに揺れ動くのを瞳は捉えた。
異能を使うつもりなのだろう。分かりやすい予備動作だ。
その威力の危険さはこの二、三分間で身を以て体験している。避けられる自信があるとはいえ後手に回ってはいけない。
「はあっ!」
素早い手数中心の攻撃から威力の重い攻撃へ移行する。
エイゼルは次々と来る斬撃を一進一退を繰り返し丁寧に対処する。だが、強烈な太刀筋を叩き込まれ、次第に相手に粗さが生まれ始める。
「くっ…!」
エイゼルは距離を取る手段に出た。右腕に纏う霧が丸太のような大きさまで肥大し至近距離から異能を放つ。剣戟の一瞬の合間を縫って繰り出された一撃を、床に顔が触れそうになるまで伏せて回避する。背後から大きな爆発音が鳴る。
私は伏せた姿勢から更に前へ縮地。相手の膝下から左に構えた剣を下腹に向けて横薙ぎをした。
「――ぉおおおおお!?」
目を震わせて奇声を発するエイゼル。漆黒の剣は地面に突き刺すように身体と私の剣の間に割って入ろうとする。差し込まれた剣と剣同士が垂直に衝突し軌道は大きく逸らされた。
剣先はエイゼルの右の太股を斜めに切り裂く。
五センチメートル程の赤い筋を作った。致命傷には程遠い。
結果が奮わず顔を歪ませた私の眼前に、エイゼルの左足が迫っていた。
あまりにも早い蹴りに対応が遅れ、剣で防ごうにも間に合いそうにもない。躊躇なく剣を手放した。相手の足首を右手で下から突き上げる。そのまま足を掴んだまま引き寄せ、身体を捻り自分の左足で胴体に蹴りを放った。
「ぐはっ…!」
エイゼルはお腹から折り畳む体勢で吹き飛び、床を数回転した後壁に激突した。悪くない一撃を御見舞い出来たと足裏の痺れから伝わる。
止めを──と剣を拾い上げたところで前進するのを躊躇った。相手は荒い吐息を繰り返しながらも、右腕にこれまで以上に濃く歪に波打つ霧を纏わせ膝立ちで構えていた。
異能をすぐに扱える程の余裕があるとはとても思えないが、ここは焦らず様子見だ。
「はあっ……はあっ……クソッ!」
エイゼルはふらつきながらも立ち上がった。お腹を押さえ額から脂汗を流していた。口許の血を拭いその手の甲をじっと見詰めていた。
「ハッ……化け物かよ。いや、化け物だよお前は」
「そう」
率直に言えばこんなやつとお喋りなんてしたくない。とはいえ仲間が来るための時間稼ぎが必要だ。これだけ派手に荒れていれば誰かしら駆け付けてくれるだろう。
「……お褒めに預かり光栄ですが、私は何の取り柄もない普通の人間ですよ」
わざとらしく敬語を使う。
「普通の人間?ふざけたことを言うなよ。お前、一度も異能使ってないだろうが」
「だから?」
「無謀なんだよ。異能を持ってない癖に歯向かうな!反抗するな!」
エイゼルは右腕に霧を増幅させていく。私はゆっくり後退しエイゼルとの距離を離す。
「なのに俺達よりも強いだと?ふざけるな!異能は勝利を手に入れる絶対の力だ!お前は土俵に上がることさえ許されてない!」
戦う資格はないから黙って死ね、要約すればそういうことか。ふざけるな。
「黙れ!人殺しの異常者が普通を語るな!私には戦う理由がある!異能が無くともお前を殺す!」
相手に負けないくらい声を張り上げて叫んだ。エイゼルは右腕を振り霧を――
「――っ!」
紙一重で霧を避けた。銃弾よりも速かったか?油断していたら霧が直撃するところだった。普通の速さに慣れてしまっていたから、今の攻撃には肝を冷やされた。
「不意打ちばかりで華がないわ」
堂々と虚勢を張る。
「そうか。じゃあお望みなら、派手に跡形もなく消してやるよ!」
エイゼルは雄叫びを上げる。霧の体積はエイゼルの全身を覆い尽くす。漂う霧は掌に吸い寄せられ穂先の鋭い槍の形に変貌を遂げる。
あまりの禍々しさに息を呑む。破壊の名を冠する堂々たる風貌だった。この攻撃をまともに食らえば誰であろうと一溜まりもない。
だが、膨大な魔力の消費は自身への反動も大きい。本人もまともに動くことすらままならない。
腰を落とし身構えた。いつ攻撃されようと関係ない。精神を極限まで高めた。
一体何秒経っただろうか、一秒がとても長い。
――攻撃してこない?
エイゼルの霧の増幅は止まっているはずだが、一向に異能を使おうとする様子が見えない。
何をしている?何かを待っているのか?
ありとあらゆる身体中の細胞、神経、組織をフルに使い、その違和感を探す。五感に意識を集中させていく。
高く掲げた右手の上で宙に浮かぶ漆黒の槍、右腕で螺旋を描く霧、私を睨み付ける瞳、左手の剣、風が吹き荒れる音──
そして見つけた。エイゼルの足下の影が動いているのを。
違う、そうじゃない。あれは霧だ!足下に霧が流れている。
でも何故だ?どうしてあの槍に全力で魔力を込めない?
疑問が絶えず繰り返される。足下に何か隠してある?床しかないのに――
エイゼルの足下の床は壊れていた。目を凝らすとそこに霧が流れている。
背筋が凍る。その一瞬で全てを理解した。今にも飛び出したいのに身体は咄嗟に動いてくれなかった。
相手の行動の謎が全て繋がった。床下は既に満たされている。そして、自分の背後にはあれがある。
しかし、気が付くのが遅かった。
反射的に右に跳ぶが、左脚の大半が黒い霧によって破壊され膝より下が完全に無くなった。傷口からは信じられないほどの血が流れ出す。そして速度を保ったまま床を転がった。
「ああああああ!?」
左脚から熱く昇ってくる痛みに悶えた。どうして気付けなかった。嘘だ。こんなはずじゃ。
ドクドクと流れる血を目にして現実に引き戻された。嗚呼、終わりだ。
「──それが避けられたらどうしようもなかったが、まあ結果としては上出来だ。しっかし、死角からの攻撃も避けようとしてたな。どう考えても有り得ねえ」
エイゼルは肩の荷が降りたようにペラペラと言葉を並べる。私は他人の話を聞ける状態になかった。どの言葉も何も残さず通り過ぎていった。
エイゼルは初めの一撃で床に穴を空けた時から考えていたのだろう。そこから出た霧が背後から左脚を破壊した。
槍に意識を集中させ本命の攻撃を悟らせないようゆっくりと慎重に異能を忍ばせた。それは完璧なまでに私の意表を突いた。どこまでも不意打ちだけだった。意識してれば避けれたはずだったのに。
魔力領域外の霧をここまで緻密に操れるとは思わなかった。
エイゼルは完全にアウェーである場所を自分が有利な状況へと作り上げた。
悔しい。これが異能を持つが故の大きな差だ。
認めたくなかった。顔が酷く歪む。左脚の痛みだけでなく、それ以上に込み上げてくる絶望感が私を支配している。
「本当に強かったよお前は。何かしらの異能があれば負けていた」
対照的に口角を上げゆっくりと歩み寄ってくる。
「終わりだ、最強」
霧の黒い穂先が私の左胸に向けられる。息が止まり心臓が張り裂けそうだ。
「あぁ……嘘だ……」
まだ死にたくない。
「嫌だ……いや!」
死にたくない。
エイゼルが槍を構え突き刺そうとした。
突如、天井から眩い光を放つ円が現れる。後光が差したような神々しい光だった。
「なっ!?」
エイゼルは突然起きた異変に動揺し、光る天井の真下から逃れた。
「……水の異能じゃない、何なんだ一体!?」
お互いに未知の現象と遭遇した。あんなにも眩い光を放つ水の異能など聞いたことがない。何が起きているか判らないまま、暫くすると水面が大きく揺れる。
境界からは誰かの両足が飛び出した。徐々に人の身体が現れ、全身が水面から出ると、その人間は重力に引かれ床に落ちた。
床に倒れているその人間は全身が水で濡れた黒い髪の青年であった。青年はゆっくりと立ち上がり私を見下ろした。
虹彩は塗り潰したように真っ黒で、彼の瞳に映る私は恐怖で竦んでいた。