月の沙漠とさらわれた夢の話
聞くところによれば、さる東の国の学び舎では、地平線の彼方に埋もれたお月様のことを論じ合っているという。
そこに集う学徒の言うところによると、お月様は空を巡ってまた昇るというものではなくて、山のむこうにすとんっと落っこちたところで、きっちりと死んでいなさって、夜のむこう側には、その『なきがら』が、どこまでもどこまでも――限りなく積み上がっているのだそうだ。
しかし何より、それはお月様のなきがらなのだから、そうそうくさってしまうことはない。カラカラと乾いて、風に吹かれれば、やがて金色の砂になる。
よしんば何かの調子で、すこししめったお月様がいらっしゃっても、そこはそれ、ちょうどいい具合に月酒が醸されるということなのだそうだ。
そんなわけで、夜空のむこうには、お月様の墓場がある。
キラキラと金色に輝くさやけし砂の海。そこには月で酒を醸す秘密の一族が住んでいて、名前も知らない神さまの為に、月酒を造っている。
彼らの三日月色の旗が風に震え、夜空の上に果てなく広がる偉大な虚空にむかって打ち振られると、上天から朧な神さまがやってくる。
そうしてもって神さまは、秘密の一族が月酒でこさえた大運河――そう、なんといっても原料は『月』なのだからして、できるお酒の量もまたとんでもないわけだ――の上に降り立つのだ。
仄白く光る、どこまでも透明な月の液体の上で、神さまはふわりふわりと微睡むように過ごしていらっしゃるのだけれど、やがてふとした拍子にピカっと光って、どこかへ消えてオシマイになる。
その時、月を醸す一族の若者たちは、地上のあらゆる宝に勝る善知を授けられたと思い、『月』で満ちた大運河の閘門をゆるやかに操り、砂漠の果ての果て、世界の『始まり』と『終わり』の蛇が互いの尾を噛みあいながら眠っている場所を目指し、特別仕立ての帆船で漕ぎだすというわけなのだ。
その舟こそは、竜骨も月、その帆も月、船を浮かべる河も月で出来ている。それを導く者は、まだ若い『明日』の夜に昇るはずのお月様だ。
ゆるゆると金月の砂漠を貫く大河の流れを越え、彼らは太陽国のファラオの建てた黒いピラミッドを攻め落とし、日輪の護りを貫いて、夜の眠りの偉大さを知らしめる。
そうして、千も二千も月が満ち欠けし、『明日』と『昨日』とが別れを告げるあの岩山の麓を離れた夜もすがらの旅の果て、彼らは『さらわれた夢』がいる白いお城にたどり着く。
そこには、ぼくらのもとから去っていった『あの夢』、お星様と同じように信じていた『あの夢』が眠っている。
彼女がさらわれてしまったその経緯については、きっとぼくよりも君たちのほうがよく知っているだろうから、あえてごちゃごちゃしたことは記さないでおこう。
でも『時間』が忍び寄ったその足音を、聞かなかったとは言わせない。
ああ、月を醸す一族は、多分ぼくらよりも少し先んじて、その夢の下へと行き着けるのだろう。
それは、ぼくらのお月様は、頭の上にあるけれど、彼らのお月様は、ちょうどその足元にあるのだからしかたない。それが羨ましいものだから、人間様はわざわざ月まで行ったんじゃないかって、ぼくはおもっている。
あの東の国の学び舎では、人間が月に昇った理由は、どう考えられているのだろうか?
さて、それは分からないけれど、今夜もぼくは、ぼくの『さらわれた夢』を見つける為に――きっと君たちもそうであるように――夜空のむこうのお月様をながめている。