02.情報収集
休日出勤が終わりに近づく頃の私のテンションは、妙なものだった。
午前中は、昼までに片付けなければならない仕事をこなすので頭がいっぱいで、午後からは仕事が片付いて少し余裕ができたが、今朝の事を思い出すと、折角空っぽになった頭も、すぐいっぱいになってしまうのだった。夕方になれば、その問題と再び対峙しなければならない事実に気付き、ついに私は奇妙な笑い声を出すのであった。
「雪子、大丈夫?やっぱり昨日飲みすぎたんじゃない?」
異常な行動を示す私を心配して、同僚の岡野さんが声をかけてきた。昨日一緒に飲んだ同僚の中に、彼女も居たのだ。
「あはは……体調は大丈夫なんですけど……あの、岡野さん。もし覚えてたら教えてほしいんですけど……私、昨日変な絡み方してませんでしたか?」
突然の質問に、岡野さんは少し首を傾げた。もし……もしかしたらだけど、私は昨日、飲み会をした居酒屋で他のお客さんに変な絡みをしたのでは?その中に、あの青年が居て、連れ込んじゃったんじゃないかな……?あれだけそれはないと高をくくっていたが、もうその自信も無い為、問題に向き合う前に情報取りをしておかなければ。
「そんな事無いよ。態度はいつも通りだったけど……そのいつもより、ちょっと飲むペースが早いのが気になったくらいかな。」
「あ、そうですか……それなら、良かったです。」
岡野さんの証言に、私はほっと安堵の溜め息を吐き出した。居酒屋で捕まえてきた訳じゃない……じゃあ、岡野さん達と別れた駅からの帰り道、そこであの青年に出会ったのだろう。全く覚えていないが、帰りは記憶を辿るように、辺りを見渡しながら帰ろう。
「雪子、元気出しなよ?」
「え?」
この後のシミュレーションを頭の中で繰り返していると、岡野さんがひそひそと声を潜めてそう言ってきた。何の事だろうと、間抜けな声を出す私に対して、岡野さんは厳しい顔をしている。
「あんな事があったのに、今もこうして一緒に働いてくれる雪子の事、凄いと思うし頼もしいんだけど……ここには『アイツ』もまだ居るんだし、無理はしないでよ?」
「『アイツ』……。」
思わず岡野さんと同じ言い方をする。自分で言うのも何だが、私は大人しい性格で、『アイツ』なんて言葉はあまり使っていないつもりでいる。あまり使わないからこそ……岡野さんの言う『アイツ』が誰なのか、すぐに検討がついた。
「大丈夫です。私は今、そんな事を気にしていられませんから。」
それよりも重大な問題が発生しているので、とは岡野さんに更に心配をかけそうで言えなかったけれど。相変わらず険しい顔の岡野さんを尻目に、私は定時退社に向けて仕事にラストスパートをかけ始めた。
―――…
仕事を終え、帰路に就いた私は、早速今抱えている問題の打開策を探す。駅の改札を抜け、休日でいつもより賑わっている駅前を通り、いつも通り一本脇の道に入って住宅街へと突き進む。住宅街へと続くこの道は、痴漢の被害が多い場所で、あまり近寄りたくはないのだが、最近は対策として街灯の増設、警察官の見回り強化が実施されているようで、噂によると被害は減少しているらしい。
……そうだ、思い出した。この道を通る時、私はいつも携帯電話で誰かと電話をしているふりをしていた。痴漢対策方法のひとつで、電話をしているふりをすると、被害に遭いにくくなるんだとか。前に残業をして今よりも暗い時間にこの道を歩いている時に、見回りをしていた地域の人に聞いたのが始まりだった気がする。
いつもならそうする。でも、昨日の私は酔っ払っていた。私はお酒は弱くない方だと思っていたが、きっとそうでもないのだろう。それこそ、現在27歳……今年で28歳になる。老化なんて言葉を言いたくないが、お酒に弱くなっているのは事実だろう。
酔っ払っていたのなら、電話をしているふりでなく、本当に誰かに電話していた可能性だってある。……変な番号に電話をして、あの青年を呼び出したのだろうか。いやでも、そんな電話を受けて、普通会いに来るだろうか?知り合いなら来るかもしれないが、私は何度考えてもあの青年に見覚えがない。つまりは向こうだって、私を知るはず無いのだ。
知らない人なのに、会いに来た……?
もしそうなら、何かの怪しいサービス業……?若そうな男の子を、一人暮らしの独身女の部屋に、派遣……?
慌てて発信履歴を見直すが、そこは見知った番号しか載っていない。万事休す……と思ったが、着信履歴の方に、ひとつだけ登録されていない番号があった。着信を受けたのは、昨日……。
恐る恐る発信ボタンを押す。3回目の呼び出し音が切れた時、電話の向こうから機械的な声が聞こえた。
「お電話ありがとうございます。代理サービスセンターです。本日の営業は終了致しました。営業は平日午前9時から午後――。」
機械音声は、事務的に営業時間のお知らせを繰り返している。3回同じ台詞を繰り返すと、今度は通話終了の音声が聞こえる。その音が、何故かやけに虚しく感じる。
「だ……代理サービスセンター……?」
そして私は、また普段絶対言わないような言葉を思わず口にするのだった。