01.日比野 雪子(27歳)
私の名前は、日比野 雪子。27歳。どこにでもいるぱっとしないOL。大学卒業後、何とか採用された今の会社に就職し、現在もしがみつきながら仕事をしている。次々入ってくる新人は、当時の私よりも器量も頭も、更には顔までもよく、いつ追い越されるかヒヤヒヤしながら仕事をこなす小心者だ。趣味はネットショッピング。でも滅多に買わない。お金がないから眺めるだけのつまらない趣味。
さて、自己紹介も終わったところで、私は昨日会社の同僚達との飲み会で、お酒を飲んだのです。お酒は好きだが、滅茶苦茶に強い訳ではない。その事を理解している私は、量は飲んだものの、記憶もちゃんと残っているし、明日も仕事があると自分を制御していたし、こうして無事に自宅である賃貸マンションにも帰ってきている。社会人として、飲み過ぎて羽目をはずしたり、記憶を飛ばすなんて時代は、もうとっくに終わっているのだ。
そのはずなのに……。
「おはよう、雪子さん。」
私の部屋に居るこの青年については、私は一切記憶がございません。思わず不祥事を起こした政治家のような口調になってしまう。いやでも、本当にこの青年は何者?寝起きでとても人様の前に出られるような姿ではないけど、私は無遠慮に狭いキッチンでフライパンを操る青年を見つめた。
細身だけど身長はありそうだ……180㎝はあるだろうか?明るく艶のある柔らかそうな栗毛の髪は、染めたのだろうか?それとも地毛?どっちにしても、若者の髪形~って感じだ。私より若いのは確かだが、いくつだろう……。年下との接点なんて、そんなもの私にはない。そうなると、益々その青年がここに居る理由がわからない。仮にもし、私が青年を連れ込んだのなら……私は警察のお世話になる事になるだろう。
……って、本当にそうならこんなじっくり状況整理している場合じゃない!昨日の自分を信じたいけれど、お酒というアイテムが加わっている時点で、信じる信じないとか言っていられない!
「あ、あの、君――!」
「さ、出来たよ。雪子さんリクエストのタマゴたっぷりフレンチトースト。」
声をかけようとした瞬間、青年はくるりと振り返る。その手には、ふわふわのフレンチトーストが盛り付けられたお皿を持っていた。あのお皿は、実家を出る時に親から押し付けられたもので、とてもフレンチトーストに似合うお皿じゃない。
いやそもそも、何故フレンチトースト?私のリクエスト?頭の整理が追い付かない。訊かなければならない事は沢山ある。わかっているのに、フレンチトーストのいい香りが、私の鼻孔をくすぐると、空腹で胃が動くのがわかった。これ以上声を出すと、お腹が鳴りそうだ……。一度抗議の声を止め、青年がこちらに料理を運んでくるのを待った。
―――…
「雪子さん、お腹空いてたんですね。」
青年は綺麗に片付いたお皿にそう呟いて、慣れた手つきで片付けを始めた。お腹が空いていた……確かにそうだけど、純粋に美味しかったのだ。タマゴとミルクが染み込んだパンは、とても柔らかく味が深く……程よい甘さは目覚めたばかりの体にじんわりと染み渡って、私に生きる活力を与えてくれる。こんな美味しいフレンチトースト、私も作れたら……。
――ピピピッ! ピピピッ! ピピピッ!
その時、けたたましく私の携帯電話が鳴り始めた。ベッドサイドに置いたままの携帯電話の画面には、『休日出勤日』という文字が浮かんでいる。携帯のカレンダーに入力した予定の報告アラームだったようだ。
「あ、もう出掛ける時間?」
「う、うん……。」
キッチンで洗い物をしていた青年が気付き、こちらに声をかけてくる。それがあまりにも自然で、私も思わず返事をしてしまう。その声を聞いて、青年は洗い物中断して、再びこちらに戻ってきた。そのパタパタと動き回る様子は、私よりも背が高いのに、子犬のようだと思った。
「今日もお仕事だって言ってたよね。俺待ってるから、早く帰ってきてね?」
その青年の甘えるような、すがるような声が、顔が焼き付いて……私はそこからどうやって家を出たのか、あまり覚えていない。会社へと向かう満員電車の中で、私はようやく自我を取り戻し、思うのだった。
私が朝、頭をフル回転させて抽出した問題は、何一つ解決していないのだと。青年がどうして私の部屋に居て、朝ご飯まで準備してくれたのか。私が帰るまで待っていると言ったのか。あの青年は、何者なのか……。
しかし、何より感じたのは……。
(若い子の笑顔って、エネルギーすごいわぁ~。)
それが何とも頭の悪い感想だと気付くのは、私が仕事を終えて冷静さを取り戻した夕方の事だった。