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 銀鈴は、夢と現実の、目覚める境目でうとうとしていた。何か暖かいものが耳介に触れて、身じろぎをする。


「……ん」


 銀鈴は、手をさ迷わせ、目の前にあるものに触れた。なんか、すごい、さらさらしてる。それは引っかかることなく、指の間を滑っていく。その感触に、銀鈴は夢中になった。


こんな絹糸がほしいなあ……。そうしているうちに、だんだん意識が浮かび上がって、はっきりしてくる。銀鈴はうっすらと目を開いた。目の前に、美しい顔がある。


「おはよう、熱血お針子娘」

「っ色猫金華!」

「その呼び方はどうなんだ」


 金華は指先で銀鈴の前髪をつまんで、何度か梳いた。銀鈴が乱した漆黒の前髪が瞳にかかり、まつげに触れている。はだけた着物から覗く肩や鎖骨が、妙に艶めいて見えた。直視できずに、銀鈴はぎぎぎ、と目をそらす。


「は、離してくれますか、金華さま」

「なんで?」

「暑苦しいんでしょう、私」

「ちょうどいい、俺は冷え性だから」


 耳に吐息が触れて、銀鈴はびくりと身体を揺らした。


「!」

「おまえ、あったかいな……最近寒いから、すごくいい」


 ぎゅっと抱きしめられて、銀鈴は混乱した。


「ちょ、離っ……」

「なあ、触るか? 俺の傷跡」

「はあ!?」


 気だるい口調や、こちらを見つめる切れ長の瞳に、身体が固まる。普通に話している時は、こんな風にならないのに。やはり金華猫の魔力ゆえ、なのだろうか。恐ろしや、魔性の猫。


 金華は銀鈴の手を掴み、ゆっくり引いた。傷跡って、確か太もも……。銀鈴は真っ赤になって、彼の肩をぐいぐい押した。


「触りませんっ!」

「おまえがめちゃくちゃにするから、すごいことになった。責任を取れよ」

「それ髪の毛の話ですよね!?」


 銀鈴は金華と自分の間に枕を挟み込んで隙間を作る。攻防していたら、障子がからりと開いた。


「おはようございます、金華さま。お食事をお持ちしま……」


 布団の上で絡み合っている金華と銀鈴を見て、侍女が真っ赤になった。


「し、失礼しました!」


 彼女はそそくさとお盆を置き、部屋を出て行く。銀鈴はわなわな震え、金華の頭に枕を食らわせた。


「離してッ!」



 銀鈴はぱかっとお櫃を開けて、ご飯をよそった。それを金華に差し出す。


「はい、どうぞ」


 金華は不機嫌そうな顔で茶碗を受け取る。


「まったく、乱暴な女だな。もので殴るのはやめろって言っただろ」

「金華さまが朝から色ボケしてるからでしょう」

「誰が色ボケだ」


 あんたよ、と心の中で告げる。乱れた髪のまま食事をする金華の仕草を見ていると、さきほどのことを思い出してしまう。銀鈴は咳払いして、金華に声をかけた。


「あの、金華さま。今日ちょっと家に帰ってもいいですか」

「家? なんで」

「みんなの様子をみたいので……」

「行かなくとも、ここに呼べばいい」


 銀鈴は目を瞬いた。


「でも金華さま、子供嫌いって……」

「気にするな。俺は部屋から出ないから。その代わり、そっちも俺の部屋には子供を入れるな」


 どうしてそんなに子供が嫌いなんだろう? 銀鈴は疑問を抱きつつ、ありがとうございます、と言った。



 翌日、銀鈴は、宮城の門前で弟たちを待っていた。道の向こうからやってきた馬車を見て、ぱっと顔を明るくする。馬車はガタゴト音を立てながら、門の前にとまった。


「ねーちゃーん!」


 馬車から降りて、駆け寄ってきた弟と妹が、銀鈴に抱きついた。銀鈴も彼らを抱きしめ返す。

 遅れて、祖母も馬車から降りてきた。

 英俊が手を貸そうとしたら、彼女は杖で彼の手を叩き、


「年寄り扱いするんじゃないよ」

「ば、ばばさま!」


 銀鈴は、慌てて祖母に駆け寄った。そうして、頭を下げる。


「すいません、英俊さん」

「いいえ。お若いお祖母様ですね」


 英俊は気を悪くした様子もなく、弟たちに声をかける。


「お菓子を食べたい人はお兄さんについておいでー」

「わーい!」


 弟たちは疑う様子もなく、英俊について行った。食べ物につられやすいのは、普段切り詰めた食事をしているから仕方ないだろう。しかし、大丈夫なのだろうか。ああも簡単に手なづけられるとは……。


 祖母はじろじろ英俊の後ろ姿を見て、


「なんだい、あの男は。うさんくさい」

「うん、それは同意」


 銀鈴は真顔で頷いた。悪い人ではないと思うのだが、どうにもきな臭いのだ。笑顔の裏で、何かを企んでいるような気がする。銀鈴は、祖母を支えてゆっくり歩き出した。祖母がぽつりと口を開く。


「元気でやってるのかい」

「うん」

「化け物に無体な真似をされてないだろうね」

「金華さまはそんなに悪人じゃないよ。みんなが宮廷に来るのを許可してくれたし」

「人間じゃないさ、妖憑きは」


 吐き捨てるような口調に、銀鈴は思わず祖母を見た。祖母はその視線を受け流し、


「にしても、ここは一体どこなんだい」


 竹林を見渡す。


「一応宮廷らしいよ。金華さまが住んでるのはこの先なの」

「へえ。似合いの場所だね」

「そこ、竹が隆起してるから気をつけて」


 銀鈴は祖母と共に、金華の住まう月籠庵へと向かった。祖母は、月籠庵を覆う竹を見上げて目を細める。大人の目には鄙びた月籠庵だが、子供たちの琴線に触れるものがあったらしい。悠鈴と晶馬が、だっ、と駆け出した。


「わー! 秘密基地だ!」

「私が先ー!」


 我先にと月籠庵へ入っていく。英俊は元気ですねえ、と言いながら笑っている。


「では、私は青楓殿に戻りますので。何かあれば呼んでください」

「大変ですよね、青楓殿とここを行き来するのは」

「ええ、まあ」

「金華さまをもっと中央に近い場所に住まわせたらいいのに」


 英俊が曖昧に笑った。何かおかしなことを言っただろうか? 銀鈴はそう思って首をかしげる。上り口に腰を下ろしていた祖母が口を開いた。


「銀鈴、早く案内しておくれ」

「あ、うん」


 英俊と別れ、二人して月籠庵の中へ入る。廊下にも、そこから見える庭にも、弟たちの姿は見えない。かくれんぼでもしているのだろうか? たどり着いた部屋を見回し、祖母が呟いた。


「悪くない部屋だね、化けものの住処(すみか)にしては」

「うん。三食おやつ付きだよ。信じられないよね」


 祖母はふん、と鼻を鳴らす。お茶を淹れてくるから待ってて。銀鈴はそう言って部屋を出た。金華の部屋の前を通りかかると、なぜか弟たちの声がした。


「?」


 銀鈴は不思議に思い、障子に手をかける。からりと開けたら、弟たちが何かにのしかかっているのが見えた。潰されている黒い物体には見覚えが……。


「金華さま!?」


 慌てて駆け寄り、黒い物体を抱き上げた。


「こら、何してるの!」


 弟たちが不服げな顔でこちらを見上げる。


「ずるいよおねーちゃん、にゃんこを独り占めするなんて」

「いやコレはにゃんこじゃな……まあ見た目は猫だけど」


 銀鈴がぶつぶつ言っていたら、


「ねー、このねこちゃん、にゃーって鳴かないのー?」


 悠鈴があどけない顔で尋ねてくる。金華は潰れた巾着袋みたいな顔をしていたが、ものすごく仕方なさそうに鳴いた。


「にゃー」

「わー! かわいい! 私も抱っこしたい」

「僕もー!」


 弟たちは、ぬいぐるみに対するがごとく、金華をもみくちゃにする。金華は石のように固まっていた。銀鈴はハラハラしながら言う。


「こらこら、ひげを引っ張ったらだめよ」

「この猫ちゃんはなんて名前なの?」

「わかった! ごんすけだよ」

「もっとかわいい名前だよ。すずとか」


 弟たちは猫の名前を当てる遊びを始める。金華はなんとかしろ、と言う目でこちらを見た。銀鈴は顔を引きつらせ、


「みんな、おやつがあるから私の部屋に行こう」

「じゃあ猫ちゃんも連れてく!」

「だめよ、婆様は猫が嫌いでしょ」


 弟たちはえーっ、と不満の声を漏らした。銀鈴はあることを思いつき、あ、と声をあげる。そうか、弟たちが金華と遊んでいるうちに、この部屋を掃除するという手があった。


「いいわよ。ただしお庭で遊びなさい」


 銀鈴がそう言うと、金華がギョッとした目でこちらを見た。

 晶馬と悠鈴は、金華を取り合いながら、障子を開けて出て行った。銀鈴は腕まくりをし、


「ふっふっふ、やるぞ」


 換気をし、床に落ちているものをすべて廊下に出した。汚れ物はひとまとめにし、裏にある井戸で洗う。ついでに、咲いていた椿の花を一輪切った。ハタキで棚の埃を払い、ほつれていた座布団を繕う。床は乾拭きと水拭き。


すべての作業が終わったのは、一刻が過ぎたあたりだった。


「ふう、こんなものかな?」


 銀鈴は、ピカピカになった部屋を見渡した。こうして見ると、落ち着いていていい部屋だ。銀鈴は一つだけ残った行李に目をやった。開けてみると、小さな着物が入っている。


「随分小さい着物……」


 合わせの部分にシミがついて、なんだか胸がざわりとした。これは──血? 見てはいけないものを見てしまった気がして、急いで元に戻す。

 その直後、障子が開き、英俊が顔を出した。


「おや、銀鈴さん。こちらにいらっしゃったんですか」

「あ、英俊さん」


 英俊は部屋に入ってきて、感心したように辺りを見回す。


「綺麗になりましたねえ」

「はい。部屋がすっきりすると、気分も変わるかな、と思って」

「いいですね。ところで金華さまは……」


 英俊の言葉を継ぐがごとく、とたたた、という足音が聞こえた。そののち、カリカリと障子を引っ掻く音がする。にゃーにゃーと声も聞こえた。英俊が障子を開けたら、黒い物体が飛び込んできた。それは素早く銀鈴の背中に隠れる。


「金華さま!?」

「おや」


 銀鈴は面食らい、英俊はキョトンとしている。


「猫ちゃーん!」


 二つの足音が聞こえたかと思いきや、弟と妹が部屋に飛び込んできた。彼らは英俊を見て、ぱっ、と顔を明るくした。


「あ、おにーちゃんだ」

「おにーちゃーん」


 弟たちは英俊に近づき、腕に抱きついた。二人とも、何故か異様なほど英俊になついている。先ほど出会ったばかりのはずなのに、いったいどんな技を使ったのだ……。銀鈴は目の前の光景を不審に思った。晶馬は英俊の袖を引き、


「ねーねー、猫ちゃんしらない?」


 悠鈴は英俊を見上げながら言う。


「いなくなっちゃったの」

「それは不思議ですねえ。一緒に探しましょうか」


 英俊はにこにこ笑いながら答える。


「飴がほしいひとー」

「「はーい!」」


 英俊は飴を片手に弟たちを連れて行く。その際、ちらっとこちらをみて片目をつむった。


彼らを見送った金華が、ぽつりとつぶやく。


「子供は俺をめちゃくちゃにするから嫌いだ」


 金華の毛並みは、確かにもわもわになっている。銀鈴は思わず笑う。子供嫌いがそんな理由だったとは。


「ふふ、すごい、おかしい……っ」

「笑い事か?」


 銀鈴は肩を震わせながらうなずいた。金華は不服げにこちらを見て、人型に変幻した。


「わっ! ちょっと!」


 銀鈴は慌てて目をそらし、着物を投げつける。金華はそれを羽織って、銀鈴に身を寄せた。


「なんならおまえも、俺をめちゃくちゃにしていいぞ」

「しませんよ!」

「今朝しただろ?」

「あれは、髪だし……猫とは違いますし!」


 むきになる銀鈴を、金華が笑う。彼は卓の前に座り、しげしげと部屋を見渡した。


「随分と綺麗になったな」

「でしょ?」


 外から、悠鈴たちの笑い声が聞こえてくる。金華は目を細め、


「あれがおまえの家族か。元気でいいな」


 ちょっと元気すぎるかもしれないが。金華はそう漏らす。


「……金華さまも、弟さんいるでしょう? 国王と、王妃様も」

「血が繋がってるだけじゃ、家族とは言えない」


 銀鈴は、その言葉に胸を衝かれた。金華はずっとひとりなんだ。たとえ家族が生きていても……。筆をとった彼のそばに、銀鈴はぺたん、と座った。袖をそっと引く。


「あの……なんなら、うちの家族に入れてあげますよ」


 金華は不思議そうな顔でこちらを見た。なんだかバツが悪くなり、銀鈴は目を彷徨わせる。


「ほら、猫としてとか」


 彼はふっと表情を緩めた。


「やめとく。あいつらにもみくちゃにされるのはごめんだ。それに、家族になったらおまえを口説けない」

「またそういうこと言って……」


 銀鈴はため息をついて、立ち上がろうとした。金華がくい、と手を引く。


「どこ行くんだ?」

「部屋に戻るんです。ばばさまをずっと一人にはできないし」


 彼はじっとこちらを見て、


「帰りたいか、家に」

「はい。お針子になって帰りたいです」

「銀鈴……」

 彼はなにか言いかけて、首を振った。


「なんですか?」

「なんでもない。行け」


 銀鈴は金華の手を解いて、部屋を出た。


「なんだったんだろ……」


 銀鈴は、握られた手をじっと見下ろした。金華の手は冷たかった。その冷たさを反芻していたら、背後から声がした。


「銀鈴」

「うわあ!」


 びくりとして振り向くと、祖母が立っていた。


「ば、ばばさま」

「何してたんだい。この部屋は?」

「な、なんでもないよ」


 銀鈴は、慌てて祖母の背を押した。障子の隙間から、金華と祖母が一瞬だけ視線を交わしたが、祖母はすぐに目をそらす。


「ばばさま……?」

「あれが金華猫か。人間の振りがうまいね」


 祖母は、金華猫のことを口に出す時、苦い口調になる。なぜだろう。


「金華は人間だよ」

「騙されちゃならないよ、銀鈴。どんなに美しく装ったところで、あれは化けものだからね」


 その口調は、ひどく冷たかった。

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