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 宮廷では、様々な役職の人間が働いている。王を筆頭にした官吏たちは大宮殿(だいきゅうでん)と呼ばれる建物で政務を行い、その周りにある建物には、様々な部署が配置されていた。


金華が住む月籠庵は、大宮殿よりも奥にある後宮、それよりもさらに離れた奥地にある。政務と関係の薄い部署ほど、大宮殿からは離れていた。


いま、銀鈴と金華が向かっているのは、縫糸(ほうし)殿(でん)だ。その名の通り、裁縫にかかわる仕事を行う場所である。そこで働く人々は、縫糸部に属していた。


 金華が縫糸殿に足を踏み入れたら、中にいた人々が一斉に頭を下げた。銀鈴に、ではなく金華にである。辺鄙な場所に追いやられているとはいえ、やはり彼は王の息子なのだな、と銀鈴は思う。


 ――これは珍しい。金華さまがいらっしゃるとは。一体何の御用だろうな。

 ――あの娘……まさか忌み子?

 ――忌み子は入宮を禁じられているのではなかったか?


 人々の視線は金華と、銀鈴の髪に注いでいた。この視線、もはや一億回目くらいだろうか? 宮中には本来忌み子はいないはずなのだから、当たり前かもしれないが。顔色の悪い男が近づいてきて、貼り付けた笑みで金華に対応する。


「ゴホゴホ、金華さま、本日はおこしくださりありがとうございます」

「今日も絶不調だな、迫眞」

「いえ、今日はとても調子が良くて……ごほ、げほっ」


 調子がいいようにはまるで見えない。銀鈴は内心そう思った。金華が肩をすくめる。


「まあ、養生しろ。朝貢用の刺繍を見に来た」

「はい、ゲホゲホ、いくつかご用意いたしました」


 三つの刺繍作品が、卓の上に並んだ。犬が鞠と戯れている図柄、獅子と牡丹の図柄、それから、猫が糸巻きで遊んでいる図柄。金華は黙って、三つの絵を見つめている。


「いかがでしょう?」


 銀鈴が助言する前に、金華が口を開く。


「猫以外だな。犬も悪くないが、一華国の皇帝には獅子がいいと思う。牡丹の意匠との組み合わせも、意外性はないが、常套なんじゃないか」


 銀鈴はおや、と思って金華を見上げた。獅子と牡丹の組み合わせが基本だというのは、絵や刺繍をやる人間ならば知っていて当たり前のことだが、金華は画芸に関心がないと思っていたのだ。というか、色事以外は無関心に見える。


(でも笛の音色は見事だったし……意外と芸術に造詣が深いのかしら)


 男はうやうやしく頭を下げた。


「ありがとうございます。金華さまのお墨付きをいただき、我々も安心しております」

「世辞はいい。これからはわざわざ俺を経由せずとも、自分たちで判断していい。英俊にもそう言っておく」

「寛大なお言葉、痛み入ります、ゴホゴホ」


 咳き込みながら、男はうやうやしく頭を下げる。金華は彼に背を向け、さっさと縫糸殿を出た。銀鈴は慌てて彼を追う。


「ちょっ、金華さま!」


 彼は梅苑近くにある橋の上に立ち、池の鯉を見下ろしていた。


「先に行かないでください」


 やっと追いついた銀鈴が息をついていたら、


「たいした嫌がらせだ」

「え?」

「わざわざ猫を縫って俺に見せるとは。縫糸部のやつらはずいぶん暇みたいだな」

「どういう意味ですか?」


 彼は欄干にもたれ、自重気味に笑った。


「跡継ぎが猫の化け物で喜ぶ人間はいない。俺が生まれた日、王妃は宮中にある猫にまつわるものを、全て破り捨てたらしい」

「なんで、そんなことを」

「だから、嫌がらせだ。王妃に見せた時点で却下させるようなものを作って」


 要するに、と金華は言った。


「縫糸殿のやつらは俺に寄り付いてほしくないんだ。俺だって近づきたいとは思わない」


 銀鈴はぎゅっ、と拳を握りしめた。


「それでいいんですか」

「いいもなにも、その方が平和だ。俺の本分は女を誑かすこと。なにせ、そういう妖怪が憑いて──」


 銀鈴は腕を伸ばし、金華の頰をぎゅっとつかんだ。計ったかのように、池の鯉がぱしゃん、と音を立てた。しばらく沈黙したのち、彼は怪訝な顔でこちらを見下ろした。


「はにをふる」

「なあにが女を誑かすこと、ですか。そんな本分はないって言ってるでしょう!」


 銀鈴は、頭一つ分高い金華の顔を見上げた。頰をつまんでいても、彼の顔立ちは歪まない。


「はにおほっへふんは」

「怒ってるわけじゃないです……金華さまの気持ちは、少しはわかるつもりです」


 銀鈴はそっと、金華の頰から手を離した。


「私だって、この髪や目のせいで嫌われて、のけものにされてきた。だけど、そんな風に諦めてたら、絶対何にも変わりません」


 そうだ、そこで何もかも諦めていたら、相手の思う壺だ。銀鈴は、語気を強めて言った。


「戦いましょう、私と!」


 その時ちょうどよく、池の鯉が跳ねて、ちゃぽん、と音を立てた。金華は赤くなったほおを撫でながら、


「……何するんだ、戦うって」

「どかどか仕事をこなし、見返してやるんです」


 銀鈴はどかどか、のところで腕を上下させた。金華はまだ頬をさすっている。


「見返すって誰を」

「いろんな人です! 私、ちょっと行ってきます!」


 銀鈴は金華の返答を聞かずに、だっ、と駆け出した。


 金華と別れた銀鈴は、縫糸殿に戻ってきていた。建物の中をのぞいてみたら、お針子たちが働いているのが見えた。水色の着物に、牡丹の花が刺繍された前かけ。あこがれの制服だ。


(いいなあ……)


 銀鈴がため息を漏らしていたら、ぽん、と肩を叩かれた。振り向くと、眼鏡の男が立っている。彼はあんぐりと口を開けて、


「君……なぜここに?」

「え?」

「お針子試験に落ちた子だろう? たしか……陽銀鈴」

「はい……あなたは?」

(りょう)琢磨(たくま)。縫糸部判官(はんかん)だ」


 判官とはなんだろう。とりあえずえらい人なのだろうと、銀鈴は彼に向き直る。


「陽銀鈴と言います! 金華さまのお世話係です」

「金華さまの?」

「良判官! あの色ボケ猫、いえ金華さまに何か仕事はありませんか!」


 銀鈴が迫ると、琢磨は引き気味に答える。


「仕事……金華さまは縫糸部の長官だからね。重要な決裁はすべて彼の仕事だ」

「でも、仕事してる気配ありませんよ」

「まあ……はっきり言って彼はおかざりだ。縫糸部を管理するものは、私を含めあと四人いるから」

「四人も?」

「すべての部署には、必ず役人が四人いるんだ。長官、次官、判官、()()


 さっき会った人は、次官もしくは主典か。英俊は二番手ということだ。


「つまり金華さまは一番偉いにもかかわらず、何もしていないと」

「うんまあ」

「部の決裁はあるんですよね?」

「ああ。多分、英俊殿が処理しているんじゃないか。金華さまを長官に押し込んだのは、英俊殿からな」

「わかりました。英俊さんにもらってきます!」

「あ、そっちじゃない……」


 銀鈴は琢磨の言葉も聞かず、だっ、と駆け出した。

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