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 ちゅんちゅんと鳥の鳴く声が、宮中に響いている。冬の清冽な空気と朝の陽射しは、人々の目覚めを早くする。一方政治の中心部からはなれた月籠庵には、爽やかとは言えない朝が訪れていた。銀鈴は、むくりと起き上がってつぶやく。


「暗い……」


 障子を透かして入ってくる光はほぼないため、部屋の中が暗い。その名の通り「月の光を浴びない屋敷」らしいが、朝日すら差さないのはどうなのか。


 着替えを終えた銀鈴は自室を出て、金華が住む部屋へ向かった。

 角を曲がると、障子がすっ、と開くのが見える。中から、美しい女性が一人でてきた。ほつれた髪や、はだけた襟元が色っぽい。


「……」


 銀鈴は、金華の着替えを手にしたまま、無言で廊下に立ち尽くす。英俊の、最大限のぼかしをいれた発言いわく──金華は女といることが多い。しかも、毎回違う女と。ついでに言うと夜に。


 女性は銀鈴を見て、恥ずかしそうに着物のあわせを握り締めた。小さく頭を下げ、しずしずと廊下を歩いて行く。銀鈴は金華の部屋の前に立ち、すうっ、と息を吸い込んだ。


「朝ですッ!」


 パァン、と障子を開けたら、部屋の中央にある布団がもぞりと動いた。布団の端からは、真っ白な足がのぞいている。銀鈴はそちらへ近づいていき、勢いよく布団を引っぺがした。その拍子に、金華の身体が布団からごろっと出てくる。


「朝ですよ金華さま! 早く起きて、爽やかな陽の光を浴びてください」

「うるさい……なんだ一体」


 金華は髪をかきあげ、不機嫌そうに銀鈴を見上げた。はだけた着物から肌が覗いていて、無駄に艶かしい。体内外から有毒な何かを垂れ流しているような気がする。銀鈴は心の中で「色気防御壁」を作った。これは猫。ただの色気付いた猫よ。


「なにって朝ですから。ごはんを食べて働きましょう」


 銀鈴は、部屋中の障子やら、小窓やらを勢いよく開け放した。ほとんど光は差してこなかったが、金華が眉をしかめる。もしかして朝に弱いのかもしれない。なにせ妖怪だし。


「もっと色っぽく起こせないのか?」

「色っぽさなんていらないでしょ。ほら、かわいい小鳥がいますよ。爽やかな気分になりません?」


 小窓の外、スズメが竹にとまっているのが見えたので指をさす。すると、ふっ、と背中が暖かくなった。長い指先が、銀髪にくるりと絡む。耳朶に低い声が触れた。


「俺はかわいい鳴き声より、色っぽいのが好きなんだ」

「っ」


 退路を阻まれたことに気づき、銀鈴は固まる。


「おまえのつやっぽい声、聞いてみたいな」


 囁き声に背中がぞくぞくした。この人、声帯から変なものを垂れ流しているんじゃないか。せっかく入れた朝の空気が、何か怪しいものに汚染されていくような気がした。


銀鈴はその邪気を払うべく、あー! と叫んだ。金華が耳をふさぎ、スズメが驚いたように飛び立つ。


「こんな声ですがなにか!」

「おまえ……本当に色気が無いんだな。びっくりするだろう」


 金華は耳を塞いでいた手を外して言う。銀鈴は眉をあげた。こちとらお世話係だ。愛人ではない。色気などいるものか。


「朝から不健全な人よりはマシです」

「不健全って?」


 金華が意地悪く目を細める。こんの色ボケ猫め。銀鈴は彼の背中をぐいぐい押した。


「ささ、ごはんを食べますよ! 着替えてください」


 銀華はせっせと布団をたたむが、金華はまるで動こうとしない。


「ちょっと、何をしてるんですか。早く着替えてくださいよ」

「着替えさせて」

「自分でしてください、子供じゃないんだから」

「自分で着替えたことがない」


 金華はしれっと言う。銀鈴は、まじまじと彼を見た。嘘をついているようには見えなかった。そんな人間がこの世にいるのか……。


呆れるのを通り越して羨ましくなる。いいご身分ですね、としか言いようがない。この男を血税で生かしているとは、いかんともしがたい。銀鈴は仕方なく、金華に着物を差し出した。


「羽織ってください。それくらいはできるでしょ」


 そう言って背を向ける。背後でシュルシュルと衣擦れの音がした。


「羽織れました?」

「ああ」


 銀鈴が振り向くと、金華は着物の合わせを間違えて羽織っていた。


「合わせが逆ですよ。もう……うちの弟みたい」


 銀鈴が合わせを直していたら、ちゅ、と額に柔らかいものが触れた。え、いまのは、まさか……。目線をあげたら、金華の唇が離れていくのが目に入った。


「!?」


 ばっ、と額に手をやったら、金華がくすくす笑う。


「からくり人形みたいで面白い」

「……い」

「ん?」


 すうっ、と息を吸い込む。


「こういうことは、あなたが毎夜仲良くしている女性になさってくださいっ!」


 金華はびりびりと身体を震わせ、耳を塞ぐ。眉をあげて、


「いちいち叫ぶのはやめろ。鼓膜が破れる」

「叫びたくなるようなことをするからでしょうが、まったく」


 銀鈴はぶつぶつ言いながら、金華の着物の襟をなおす。彼の手が、さらり、と髪に触れた感触がした。銀鈴はびくりとしたが、それ以上何もしてこないと悟り、手を動かし続ける。金華はさらさらと髪を撫でて、


「おまえ、きょうだいは弟だけなのか?」

「妹と、弟。四人きょうだいなんです」

「他のきょうだいも、銀髪?」

「いえ。みんな黒髪ですよ。母が異国生まれで、なぜか私だけ銀髪なんです」


 銀鈴は、帯を手に取り目を細めた。


「昔ね、弟が言ったんです。姉ちゃんはもらわれっこなんだ、だから髪の色が違うんだ、って」


 銀鈴は、襟を直したあと、後ろを向いてください、と言う。そうして、帯を手早く結んだ。


「そしたら?」

「そしたら、ばばさまがすごく怒ったんです。そんなこと二度と言うなって。弟は泣いちゃって、私も怒るのわすれて、弟を慰めて。なんかトクですよね、下の子って」


 銀鈴は苦笑し、金華さまはきょうだいは? と尋ねた。


「二人兄弟。俺は上だ」


 銀鈴は思わず金華を見上げた。まさかこの人、将来王様に──。絶句していたら、金華が肩をすくめた。


「心配するな。王位継承権は弟にある。さすがに、化け猫に王位を継がせるわけにはいかないからな?」


 態度があからさま過ぎたかと、銀鈴はバツが悪くなった。


「いえ、べつにそういうわけじゃ」

「気にしてないさ。俺としては、弟が継いでくれるならありがたい。政務なんかする気もないし。毎日書類に印を押して会議に出て。地味だしつまらないし、好きじゃない」


 駄目な官吏の見本みたいなことを言っている。


「でも、縫糸部の仕事があるんでしょう?」

「そんなもの、英俊にやらせればいい」

「それで、女遊びですか」


 銀鈴が眉をひそめたら、金華が目を細めた。彼は銀鈴の髪に指を絡め、ゆっくりと梳く。仕草や眼差しは、いかにも慣れている風で、色事など未経験の銀鈴には刺激が強い。だがこの男は誰にでもこうなのだ。


やるべきことをやらずに遊んでいるなんて、ダメ人間にもほどがあるではないか。


「俺には女をたぶらかす妖怪が憑いてるからな。今の生活は、性分に合ってる」


 銀鈴は、頰を滑る長い指を叩き落とした。


「いて」

「そんなの性分じゃありません! ひとはやることがないとダメになるんです」

「なにをやれっていうんだ?」


 金華は不服そうに、叩かれた手を撫でている。実際、縫糸部にどんな仕事があるのかは、英俊に聞いてみなければわからないだろう。


「とりあえず、ごはんを食べましょう!」


 銀鈴は、勢いよくそう言った。


 茶碗に盛られた真っ白な飯から、ほくほくと湯気がたっている。上湯シャンタンには高級品のハマグリが入っていた。しかも大きい。小鉢にはウドの炒め物と、春菊の和え物が。


旬の食材を朝から味わえるなんて、夢か何かなのだろうか? 銀鈴は目を輝かせて、部屋に運ばれきたお膳を見つめた。


「どうした、食べないのか。気に入らないなら違うものを」


 金華が人を呼ぶべく手を叩こうとしたので、慌ててとどめた。


「た、食べます!」


 銀鈴は慌てて米をかっこんだ。お米ひとつとっても、味が全く違う。コメ一粒一粒がふっくらしていて、まったく雑味がない。金華は不思議そうにこちらを見ている。


「そんなに美味いか?」

「はい!」


 毎日こんなに美味しい食事をしているなんて、まったく羨ましい限りだ。だが、金華はさして美味そうでもなく箸を進めていた。惰性で食べているという雰囲気だ。働いてないから御飯がおいしくないのよ。銀鈴はそう思う。


それでも彼の仕草には品があった。さすが腐っても王族……。

ふと、彼が小鉢にだけ手をつけていないのに気づく。


「金華さま、春菊が残ってますよ」

「ああ、欲しいか? やる」


 金華は小鉢をひょい、と持ち上げ、銀鈴に差し出した。その拍子に、銀の腕輪が揺れる。よく見たら、上湯に入っている春菊も残してあった。


「もしかして……春菊嫌いなんですか?」

「苦くてまずいからな」

「そのほろ苦さがいいんじゃないですか。身体にいいんですよ」


 金華は気だるそうな顔でこちらを見て、口元を緩めた。


「そうだな、おまえが膝に乗って食べさせてくれるなら食う」

「なんっで私がそんなことをしなきゃならないんですか!」

「嫌ならべつにいい。俺は食わない」


 金華はにやにや笑っている。こんの……妖怪色猫め! 銀鈴は歯噛みし、立ち上がって金華の方へ向かった。こちらを見上げる切れ長の瞳に、少し躊躇を覚えたあと、膝の間に滑り込むように座った。


「はい、約束ですよ。食べてください」


 金華は面食らった顔をして、口を開いた。咀嚼する様子は、やはり美味しそうには見えない。よほど嫌いなようだ。再び差し出すと、への字口をした。


「そんなに食わせたいのか、春菊」

「だってもったいないじゃないですか。金華さまのために作ったものでしょう?」


 金華は鼻を鳴らし、


「俺が春菊を嫌いだと知っていて、頻繁に出してくる。絶対ただの嫌がらせだと思うがな」

「そんなことないですよ。はい、上湯(シャンタン)も全部飲んで」

「じゃあそれは口移しで」

「ははは、調子に乗ってると箸が喉に刺さりますよ?」


 そう言って箸を構えたら、大人しく飲み干した。


(なんだ、結構素直じゃない)


 着物もまともに着れなくて、好き嫌いが激しい。あと仕事をしたがらない。つまりは図体のでかい子どものようなものだ。


(英俊さんは妖怪だから侮れない、とか言ってたけど、さほどでもないわね)


 全て食べ終えた金華は、くあ、とあくびして手足を伸ばした。


「眠いな」

「あ、寝たらだめですよ。今から英俊さまが来るんでしょう? 仕事のことを聞かなきゃ」


 彼は面倒そうな顔でこちらを見て、身体を抱き寄せてきた。


「仕事なんかより、楽しいことがしたいな」

「っ」


 銀鈴はとっさに額を押し返す。ぐぐぐ、と攻防するふたり。


「あなたはっ、それしか頭にないんですか!」

「他にやることがないからな」

「だから、仕事すればい、っ」


 腕を掴まれて、さらに引き寄せられる。至近距離まで顔が近づいた。


「おまえの目、色硝子みたいだな。きらきら光って……綺麗だ」


 切れ長の瞳に見つめられると、身体がこわばる。まるで金縛りである。これが妖怪色猫、いや金華猫の力なのだろうか。固まっている銀鈴に、彼が首をかしげてみせる。


「どうした?」

「は、はなしてください」

「そういう反応は新鮮だ。離せという前に、みんな正気を失う」


 銀鈴は顔を引きつらせた。


「まさか、変な力で女の人を食いものに」

「さあ、どうかな。なにせ妖怪だから、それくらいの力はあるのかもしれない」


 なんてことだ。まさに魔物だ。銀鈴は、盆に乗っていた味塩をつまみ、金華にふりかけた。


「悪霊退散!」

「残念ながら、霊じゃなくて妖怪だ」


 塩は全くきかず、唇が合わさりそうになった瞬間──障子が開く音がした。銀鈴は反射的に、金華に頭突きをくらわした。がっ、と鈍い音がして、彼が呻く。


「うぐっ」


 障子の向こうに、キョトンとした顔の英俊が立っていた。


「どうかしましたか?」

「いえっ、なんでもありません!」


 銀鈴は背筋を伸ばし、正座をし直した。金華は頭をおさえ、呻いている。


「金華さま、どうされました?」


 英俊の問いに、金華が肩をすくめて答えた。


「べつに。色気皆無どころか、目減りしてる女には初めて会った」


 英俊が目を瞬いて聞き返す。


「はい?」


 銀鈴は金華をにらみ、早口で問うた。


「英俊さん、仕事内容の確認ですよね?」


 英俊は頷いて、


「ええ。本日は、(ちょう)(こう)で持たせる刺繍についてです」


 陽華国は、大陸の覇者である一華国に支配されているのだ。自治を認められている代わりに、朝貢と呼ばれる貢物を差し出すのである。ちなみに、その行為を入貢(にゅうこう)という。


(大事な仕事よね!)


 銀鈴はぐっと拳を握った。


「わかりました! さあ金華さま……」

「任せる」


 その即答具合に、銀鈴は驚いた。


「えっ、どうしてですか、重要任務なのに!」

「だからだよ。英俊のほうが一華国のことはよくわかってるだろう?」

「よろしいんですか?」

「いいよ。任せた」


 英俊に背を向け寝ころがろうとした金華の耳を、銀鈴は引っ張った。


「いっ、何をするんだ」

「金華さま! 数少ない仕事じゃないですか、やらないとお昼ゴハンが美味しくないですよ!」

「入貢品を選ぶかどうかで飯の味が変わるわけないだろう」

「変わりますよ。あと、できるなら違う仕事も見つけてきましょう!」


 銀鈴が拳を握りしめたら、金華が胡乱な目を向けてきた。


「なにを張り切ってるんだ? おまえ」

「金華さまの地位が上がれば、私がお針子になれる確率もあがるので」

「ああ……って、自分のためか」


 金華が呆れた声を漏らす。銀鈴は、彼の背中をぐいぐい押した。


「さあ行きましょう!」

「めんどくさい……」


 背後で英俊が頑張ってください、と言うのが聞こえた。

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