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 金華猫。それは、陽華国のおとぎ草子に出て来る妖怪の名だ。美しい異性に化けて人々を惑わす魔性の獣。


確かに金華が化けた──いや、先ほどまでの姿が化けたものだったのかもしれない──姿は、異様ながらも優美だった。いきなりの変化を目にした銀鈴は、信じられない思いで彼を見つめた。獣姿の金華が、しっぽを振りながら言う。


「俺は生まれた時からこの姿でね。生まれた瞬間、発狂した母親に捨てられた」

「母親……って」

「この国の王妃さまだ」


 と、いうことは。


「あなたは、王子ということ……?」

「そう。おまえは王子の足を踏んだんだ。何か言うことは?」

「こんな色ボケ猫が王子……」


 思わずつぶやいた銀鈴を、金華はくすくす笑う。


「面白い。お針子だけあってちくちく刺してくるな」

「大体信じられないわ。王子があんなところに住んでるなんて」


 銀鈴は、「月籠庵」を思い出しながら言った。あんな世捨て人しか住まなそうな場所に、しかも政の中心とはほど遠い場所に追いやられているなんて。金華は耳をピクピク動かした。


「化け物を隔離するのは当然の話だ。その髪なら経験があるだろう? 他人と違うことは、この国では罪悪なんだ」


 銀鈴は、子供の頃のことを思い出した。

 ──銀鈴ちゃんって変な髪の色だよねー。

 ──ほんとー、気持ちわるーい。

 ──祟られてるんだぜー。やーい、忌み子、あっちいけー。


 池に突き落とされたり、小石を投げつけられたり……。ああ、思い出すだけで腹がたつ。


「あんのクソガキども……」


 思わずギリギリと歯噛みしたら、金華が首を傾げた。


「ん? 何か言ったか」


 落ち着くのよ銀鈴。銀鈴は自分にそう言い聞かせた。私はもう大人なのだ。昔のことは水に流そう。咳払いをし、


「なんでもない。それで、私は何をすればいいの」

「簡単だ。朝から晩まで俺の世話をすればいい」


 銀鈴は、猫に餌をやり、猫じゃらしを振り、毛づくろいしてやる光景を思い浮かべた。

 随分と楽な仕事ではないか。少なくとも、愛人よりずっといい。金華は、試すような目で銀鈴を見ている。


「ただ、英俊は話を盛ってる。俺には何の権限もない。月籠庵に追いやられてるのを見ればわかるとは思うが」


 だが、何もしないよりは可能性があるはずだ。金華は国王の息子。この国を背負う王族なのだから。つまりこの人を盛り立てたら、銀鈴にも好機が巡ってくるはず。


「どうする。化け物の世話をしてみるか?」

「……わかりました。やります、お世話係!」


 と、梅木(ばいぼく)の向こうから、拍手の音が聞こえてきた。


「素晴らしい。よく決意なさいましたね」


 満面の笑みを浮かべた英俊が、木の後ろからひょっこり現れた。金華が胡乱な目で英俊を見上げる。


「おまえ、いつからいたんだ?」

「金華さまが『じきに怖くなくなる』とおっしゃっていた時からです」

「ずっとじゃないか。覗きとは大した趣味だな」


 金華は呆れた声で言い、銀鈴に目線を移した。


「で、いつから来る? 俺の世話係になる以上は住み込みしてもらうぞ」

「通いじゃだめですか? まだ幼いきょうだいがいるんだけど。ばばさまひとりに押し付けるのも心配だし……」

「ああ、ならごきょうだいも月籠庵へ呼んだらいかがですか」


 英俊が指を立てて、にこやかに言った。


「にぎやかになって楽しそうですし」

「俺は子供が嫌いだ」


 金華が冷めた声で言うと、英俊が残念そうな顔になり、立てた指を顎に当てた。


「そうですか? では……ご自宅に手伝いの女性をひとりやるとしましょう。どうですか、銀鈴殿」

「ええ、それでお願いします」


 金華は尻尾を揺らしながら、とてとてこっちにやってきた。銀鈴を見上げる。


「よろしく」

「よろしくお願いします、金華さま」


 銀鈴はしゃがみこみ、金華の頭を撫でた。彼がむっとする。


「猫扱いするな」

「猫じゃないですか」


 金華はちょいちょい、と銀の腕輪を引き寄せた。それを片脚に通すと、ぼんっ、と音を立てて姿が変幻する。金華が何も着ていないことに気づいて、銀鈴は超速で目をそらした。


「どうせなら人の姿で頭を撫でろ。膝枕でな」

「あーっ、お付きのことを話しに早く帰らなきゃー! じゃっ、そういうことで!」

 銀鈴は素早く頭を下げ、だっと駆けだした。



 ただいまー、と声を上げながら、銀鈴は自宅玄関に座り込んだ。悠鈴と晶馬が、とてとて寄ってくる。


「お帰りねーちゃん」

「どうしたのー? はあはあ言ってるよー」

「ちょっとね……軽い変態に遭遇したの」

「へんたい?」


 悠鈴が首を傾げる。銀鈴は真剣な顔で、悠鈴の肩に手を乗せた。


「いい、悠鈴。やたらに顔のいい男とか、梅の枝を手折る男とか、真昼間から笛をピーヒャラ吹くような男には近づいちゃダメよ」

「?」

「はい、お水」


 晶馬が水を差し出してきた。水を飲み干した銀鈴は、祖母の部屋へと向かった。障子の向こうから、からからと糸車の回る音が聞こえてきた。


「婆様、いる?」

「ああ」


 銀鈴は室内に入り、宮中であったことを話した。話を聞く間、祖母はずっと苦い顔をしていた。部屋に、からからと糸を紡ぐ音だけが響く。しばらくして、祖母が口を開いた。


「……おまえは、化け物の慰みものになるっていうのかい?」

「……へ」


 思わぬ言葉に、銀鈴はギョッとした。慌てて弁解をする。


「慰みものになんてならないよ! 最初は愛人の勧誘だと思ってたけど、ただのお世話係だから!」

「それだけで済むもんか。相手は妖憑きだろう」


 祖母は吐き捨てるように言った。妖憑きがどういうものか、彼女は知っているようだ。銀鈴は、おずおずと尋ねる。


「ばばさま、あの……妖憑きって、なんなの?」

「そのままさ。数十年に一度、妖が子供に憑くことがあるんだ」


 からからと回る糸車。祖母は左手で糸車を回しながら、右手で糸を紡ぐ。


「一種の呪いなのかね……憑かれた子供は大概すぐ死んじまうんだが、たまに生き残る。すると大変さ。人でも化けものでもない。どちらへも行けない半端者だ」

「ばばさまも、妖憑きに会ったことがあるの?」

「ああ……」


 祖母はふ、止めを伏せた。それからきつい口調で、

「私は反対だ。妖憑きは凶兆。だから嫌われるし恐れられる。関わってもろくなことにはならないよ」

「でもばばさま、このままじゃ私、ずっと忌み子だって言われる」


 銀鈴は、祖母の手をぎゅっと握りしめた。


「技量が足りないなら仕方ないわ。だけど、見た目だけで落とされるのは嫌なの。見た目なんか関係ないくらいに、もっともっと腕を上げて、お針子として働きたい」

「あんたの腕を誰も疑ったりしないよ」


 祖母はため息まじりに言った。


「だけどね、そう簡単にいくもんじゃない。理不尽で厳しいんだよ、世の中ってもんは」

「そんなこと」


 銀鈴は声を震わせた。そんなことわかってる。この髪と目のせいで、何度も嫌な思いをしてきた。八回も試験に落ちて、得意先も失った。


「わかってる。だけど、私の夢なの。ほかに、できることなんかない」


 こぼれ落ちた涙を見て、祖母がため息をついた。


「泣くんじゃないよ、まったく」


 しわくちゃの手が銀鈴の目尻に触れた。祖母はそっと涙をぬぐう。


「約束しな。なにがあっても、自分の身だけはちゃんと守るって」

「はい」


 銀鈴は頷き、涙を払うように、頭を振った。荷物をまとめ、王宮の馬車に乗りこんでいたら、弟たちが駆け寄ってきた。


「ねーちゃん、どこいくの?」

「お仕事よ、晶磨」

「おしごと? いつ帰る?」


 不安そうにこちらを見上げる悠鈴の頭を、銀鈴は優しく撫でた。


「心配しないで、悠鈴。時々顔を見せるから」


 妹は一瞬寂しそうに瞳を揺らしたが、明るい笑顔を作った。


「うん、行ってらっしゃい」


 銀鈴は妹たちに手を振りながら、馬車に乗り込んだ。馬車の中で待っていた英俊が、話しかけてくる。


「なんだか、身売りでもするようなお顔ですね」


 銀鈴はぎくりと身体を強張らせ、腫れたまぶたを手で隠した。


「そんなことないです。とどのつまりは、猫の世話でしょう」


 英俊は、意味深な笑みを浮かべた。


「猫は猫でも妖怪ですからねえ。甘く見ないほうがいいかと」

「……脅かさないでください」


 銀鈴は、ガタゴトという震動を聞きながら、不安に駆られ始めていた。

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