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あくる日、銀鈴は頼まれた印鑑入れを携え「明月亭」へ向かった。劉の妻とすれ違い、頭をさげる。
「おはようございます!」
彼女はちらりと銀鈴を見て、そそくさと家へ入った。
「?」
いつもなら、笑顔で挨拶を返してくれるのに……。銀鈴は少し違和感を覚えたが、気を取り直し、再び歩き始めた。
街の中心を流れる大きな川のあたりに、人々が集まっているのが見える。銀鈴はなんだろうと思い、そちらへ近づいていった。どうやら、瓦版が立てられているらしい。銀鈴は背伸びをして文字を読んだ。
「忌み子に利益を与えたものは処罰する……?」
なんだこれは。視線を感じて振り向くと、ちらちら銀鈴を見ている人々がいた。
「あの目……もしや忌み子か」
「いやだねえ、関わったら割りを食うよ」
人々は、あからさまな嫌悪感をぶつけてきた。
銀鈴はほっかむりの結び目を直し、足早に「明月亭」へと向かった。
「取り引きできない!? ど、どういうことですか」
銀鈴の叫びに、桃李が耳をふさいだ。彼は眉をひそめ、
「瓦版はご覧になったか」
「見ましたけど……」
「明月亭は王族との取り引きも多い。あなたの商品を買い続けることはできない」
「いきなりそんなことを言われても困ります」
声を震わせた銀鈴に、桃李が冷たい視線を向ける。
「だから、早く嫁に行けと言った」
まさか知っていたのか。そういえば、喜栄が意味深なことを言っていた。これからもっと大変になると。銀鈴は唇を噛み、無言で頭を下げた。部屋を飛び出すと、喜栄が立っていた。目が合うと、手を広げて近づいてくる。
「かわいそうにな、銀鈴。今こそ俺の胸に飛び込んで来い!」
「どいてっ!」
銀鈴が突き飛ばすと、喜栄がいとも簡単に倒れた。桃李が駆け寄って助け起こしている。銀鈴は構わずに、明月亭を走り出た。
銀鈴は、明月亭の次に大きな店へ向かった。
「帰ってくれ。あんたがいると客が寄り付かない」
「商品を見てくださるだけでいいんです!」
店の主人は苦い顔をして、銀鈴を店内から追い出した。
銀鈴が次に向かったのは小売店だった。どの店も、銀鈴を見るだけでいやな顔をした。中には、「忌み子お断り」と書かれた紙を張り出している店もあった。銀鈴は歯噛みする。どこの店にも相手にされないなら──自分で売るしかない。
銀鈴は大きな敷物を抱え、市場へ向かった。敷物を広げて品物を並べていたら、ふっ、と影が落ちる。
「見てもいいかい」
「あ、はい!」
銀鈴は、慌てて手にしていた手巾を差し出した。男はしげしげと手巾を見ている。銀鈴は期待を込めて言う。
「どうでしょう。あの『明月亭』でも取り扱っていただいていた商品です」
男は何度か頷き、
「この娘を捕らえろ」
「はい?」
いきなり男たちが湧いて出た。というより、群衆に紛れていたと言った方がいいか。腕を掴まれ、銀鈴はもがく。
「ちょっ、なに」
「われらは国軍だ。忌み子が店を開くことは禁じられているため、おまえを捕縛する」
「なんなのよそれはっ! 雇われるのも店を出すのもダメなんて、どうやってお金を稼げばいいのよ。死ねとでも言うわけ!」
「おい、暴れるな!」
ジタバタ足を動かしていたら、誰かがすっ、と銀鈴のそばに立った。
「あなたは……」
男が驚いた顔をする。銀鈴もはっと顔を上げた。
「ちょっといいですか?」
「英俊さん……」
英俊は銀鈴を見て、にっこり笑った。
柳に風。そんな言葉が、この陽花国にはある。柳はいかに強い風を受けても、しなってその風を受け流す。銀鈴もそうあれたらよかったのに。
「……」
銀鈴は柳揺れるひょうたん池のそばに立ち、川面に映る自分を見つめていた。なんともしょぼくれた顔をしている。隣には英俊がおり、さらに背後には剣を携えた男たちがいる。銀鈴は、英俊をにらみつけた。
「あなたは知ってたんですか、このこと」
「いえいえ、もっとえらーい人たちが決めることですので」
英俊はニコニコと答える。うさんくさい笑顔だ。どうも信用できない。
「腹がたつでしょうね」
彼はそう言って、後ろ手を組んだ。腹がたつなんてものじゃない。そして、なぜ、という気持ちが込み上げてくる。なぜ、そこまで排他的なのだ、この国は。
「いいですよ? こないだみたいに解消していただいて」
英俊はのんびりと言う。銀鈴は無言で石を拾い上げ、川に向かって投げた。ぱしゃん、と石が跳ね、波紋が生まれる。もう一回り大きな石を掴み投げると、さらに大きな波紋ができた。
「どいつもこいつも……」
銀鈴は、自身の腰回りよりも大きな岩を持ち上げ、振り上げる。
「人をなんだと思ってるのよーッ!!」
勢いよく投げた岩が、川に落ちて大きな水しぶきを立てた。その様子をみると、若干溜飲が下がる。背後からおお、とどよめきが起こった。ぜいはあ息をついていたら、英俊がパチパチ拍手した。
「いやあ、清々しい」
銀鈴はきっ、と彼を睨みつけた。
「言っとくけどあなたもです。また、あの色ボケ貴族の愛人になれって言いに来たんでしょう」
英俊が噴き出した。
「色ボケ貴族……ッ、あはははは!」
肩を震わせた後、笑いながらバシバシと柳を叩き出す。
「……」
銀鈴は身を引いた。どうやら色ボケという言葉がツボらしい。
「すいません。一旦ツボに入るとおかしくなっちゃって」
涙目になってくく、と笑う英俊を見ていたら、なんだかどうでもよくなってきた。
「楽しそうでよかったです。じゃあ」
彼のそばを通り過ぎようとしたら、声をかけられた。
「これからどうなさるおつもりで?」
「……私は、貴族の愛人になるために頑張ってきたわけじゃないんです」
ただ家族で安寧に暮らすため、お針子になりたいだけなのだ。
「こんな話を知ってますか? とある国に、踊り子の少女がいた。彼女はその美しさゆえ王に見初められ妃となり、治世に関わるまでになった」
「だからなに?」
「もっと先のことを考えたほうがいい。この国の価値観を変えたいとは思いませんか? あなたの髪も目も美しい。他と違っても、いや他と違うからこそ素晴らしいのだと、そう思わせたくはない?」
「あの色ボケ貴族の愛人になったからって、なにが変わるの」
「さあ、それはあなたの腕次第かと」
英俊はニコニコ笑っている。嫌だな、この油断できない感じ。
「これは宮中への通行証です。いつでもお待ちしております」
彼は銀鈴に木片を渡し、男たちと共に歩いて行った。銀鈴はぎゅっと木片を握りしめ、頭上で揺れる柳を見あげていた。
☆
(なぜ来てしまったのだろう……)
銀鈴は、宮城の門前に再び立っていた。片手には木片、頭にはほっかむりをかぶっている。心の準備をすべく、息を吸い込んで門へと向かった。兵士に木片を差し出す。
「あの、すいません。これを見せれば通れると聞いたんですが」
「お触れを見ていないのか。忌み子は宮中には入れぬ」
「でも、柳英俊って方がいつでも来いと」
「柳英俊だと? 第一王子派ではないか。こんなもの、なんの効力もないぞ」
第一王子派とはなんだ。なんの派閥か知らないが、王子なんかとは全く関わりがない自分としては、反発心しか湧かない。
「とにかく通してください!」
「ならぬ!」
押し問答していたら、英俊がニコニコと現れた。
「銀鈴さん! よくいらっしゃいました」
「あ、英俊さん」
「通してあげてください」
「英俊殿、忌み子を城に入れるなどもっての他ですぞ」
「そこをなんとか頼みますよ、菅李節さん」
その言葉に、兵士がギョッとする。
「……なぜ私の名を」
「確か今年結婚したんでしたね。奥様は宮廷料理人の真凛さん」
「妻の名まで!?」
「ああ、そうそう。こないだ門番しながら居眠りしてましたよね? その際猫が三匹出入りしていましたよ。言いたくないけど、上に報告しないといけないかな」
兵士は歯噛みして、すっ、と身を引いた。
「……っ、通れ」
「わあ、ありがとうございます」
英俊が手を打ち合わせ、満面の笑みを浮かべる。さあ、行きましょう。英俊に促され、銀鈴は門の中に入る。
「いい人でよかったですよね〜」
英俊は曇りのない笑顔でそんなことを言う。銀鈴は胡乱な目で彼を見た。
「ん? どうしました?」
「……イエ」
なんだか怖いから、突っ込むのはやめておこう。兵士は通行を許可したものの、訝しげに銀鈴を見ている。一体何者なんだと思われているに違いなかった。
なんとなく落ち着かない気分で宮中に入った銀鈴は、英俊のあとをついて歩く。ほっかむりをかぶっていても、宮中を歩く官吏や女官たちから、じろじろと視線が飛んできた。当然のように黒髪と黒い眼の人々ばかりだ。
俯いて歩くのもしゃくなので、銀鈴は胸を張って歩く。ふんぞり返りそうになりながら歩く銀鈴を見て、英俊がくく、と笑った。銀鈴は、縫糸殿の前に連れてこられる。
「少々お待ちくださいね」
英俊はそう言って、笑いをこらえながらどこへともなく消えた。銀鈴はぽつんと建物の前にたたずむ。この間もこんなことがあったような……。最近待たされてばかりだ。
あ、ひばり……。空を旋回するひばりを眺めていたら、どこからともなく笛の音が聞こえてきた。
銀鈴はふっと耳をすます。
(きれいな音だな)
吸い寄せられるように、そちらへ足を向けた。梅林にたどり着くころには、英俊のことはすっかり忘れていた。音は梅林の中から聞こえてくる。
笛の音に混じって、水の流れる音も聞こえてきた。梅林の奥に小川があり、小さな橋がかけてある。その橋に、人影が見えた。銀鈴は橋へと近づいていく。
(──んっ?)
銀鈴は人影が誰かに気づき、ギョッとした。色ボケ貴族、金華が欄干に座って笛を吹いていたのだ。相変わらず、いかにも放蕩貴族でござい、といわんばかりのだらしない格好をしている。
しかし、なぜかそれが風流に見えた。彼の瞳を覆うまつげは、不必要なくらいに長い。髪と同じ、かすかに紫を帯びた美しい黒。あんな色の糸がほしいなあ……思わず見とれかけた銀鈴は、慌てて首を振った。
いやいや、あんな色ボケ野郎の髪より、本物の糸の方が素敵だし。その時、つま先に当たった石が、コロコロと橋の方へ転がっていく。と同時に笛の音が止んだ。金華は視線を上げて、あ、と声をあげる。
「背面投げ娘」
「そんな名前じゃありません。私は陽銀鈴よ」
「わかってる。そんなに目を尖らせるなよ」
金華が立ち上がると、彼が肩にかけていた上衣が床に落ちた。薄い衣一枚になって、肉体労働などしたこともないだろう、なめらかな肌が透けて見える。男性なのに、その様子が妙に艶めかしく見えた。
彼は梅の枝をぱきりと手折り、銀鈴の髪に挿した。さらりと銀の髪を撫で、妖しい笑みを浮かべる。
「お前の髪は綺麗だから、花が合う」
(喜栄とは違う種類の遊び人だわ……)
まるで生活感のない台詞に全身が拒否反応を示す。しかも、金華はお針子試験に落ちた要員の一人なのである。銀鈴は彼をきっ、と睨みつけた。
「ちょうどいい。暇してたんだ。遊ぼう」
金華はそう言って、銀鈴の腕を引き寄せた。いとも簡単に抱き込まれる。
「ちょっ、離して」
「いい匂いがする。香じゃないな」
金華は銀鈴の髪に鼻先を埋めた。銀鈴はびくっ、と身体を跳ねさせ、彼の腕を掴む。
「うぐぐぐ」
引き剥がそうとしてもかなわなかった。彼は銀鈴の耳元で、くく、と笑う。そうして、低い声で囁いた。
「この体勢から背面投げは無理だぞ」
長い指先が、銀の髪をかきあげた。
「大丈夫だ、じきに怖くなくなる」
指先は髪を滑り落ち、銀鈴の顎を掴んだ。唇が近づいてくる。銀鈴はぐっ、と拳を握りしめ、彼の足を踏みつけた。
「っぐ!」
金華が痛みにうめき、思わずという調子で膝を折る。銀鈴は金華に向かって、びしりと指を突きつけた。
「言っておくけどね、私は愛人じゃなく、お針子になりに来たの!」
「……お針子?」
「そう、あなたの力を借りれば、お針子になれるって英俊さんに聞いたから」
「ああ……なるほどね」
彼は気だるそうに欄干に手をかけた。横目でこちらを見る。
「新しい法案ができたんだったな」
「……でも、昼日中から笛をピーヒャラ吹いてるような放蕩者が、頼りになるとは思えないわ」
銀鈴は、冷たい目で金華を見る。
「やっぱり、私は自力でお針子になる。じゃあね」
さっさと歩き出したら、金華がまて、と言った。振り向いたら、彼は意外にも真面目な顔をしていた。そんな顔をすると、本当に美しく見える。どうせ頭の中は春色に違いないから、ときめいたりはしないが。
なおも歩き出そうとすると、がし、と腕を掴まれた。
「なによ!」
「悪いことをしたと思ってる。正直、お針子試験なんてどうでもよかったんだ」
「……そうでしょうね」
「だから、責任を取っておまえを雇う」
「そんなことできるの? 忌み子を宮中に入れるのだって、今は難しいんでしょう」
「俺がどんな人間を召しかかえても、誰も文句を言わないさ」
彼は、手首につけた銀の腕輪をするりと外した。それは床にからん、と落ち、くるくる回って銀鈴の足元まで転がってきた。銀鈴は、目の前の光景を見て固まった。
「……!」
着物がパサリと地面に落ち、ふわりと黒の毛並みが揺れる。
そこにいたのは、猫くらいの大きさの獣だった。全身が夜のように黒く、目は金色に輝き、虹彩は三日月のように細い。耳が外側に反り返っており、小さな虎のようにも見える。
どちらにせよ、猫科の獣には間違いがなかった。獣は、金色の瞳を輝かせながら言う。
「俺は皇金華。金華猫憑きの化け物だ」
「……!」