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王宮を出てから四半刻後。銀鈴は自宅の門前に立っていた。空気はますます冷たくなり、空は薄紫色に近づいている。銀鈴はまるで結界でもあるかのように、門の前をウロウロしていた。
ふと、軽い足音が聞こえてくる。年の頃は5、6歳くらいの可愛らしい少女が、ひょこりと顔を出す。ああ、心の準備をしていたら、出迎えが来てしまった。
「あっ、お姉ちゃん。おかえり!」
「ただいま、悠鈴」
銀鈴は曇った心を押し隠し、笑みを浮かべた。悠鈴を抱き上げ、屋敷の中に入っていく。玄関を開けたら、その音を聞きつけた弟が駆け寄ってきた。
「姉ちゃん、おかえり!」
「ただいま、晶馬」
「ねえねえ、試験受かった? お針子さんになるの? ねえねえ」
銀鈴は無邪気に傷口をえぐってくる弟をいなし、奥の部屋へと向かった。障子の前に膝をつき、問いかける。
「ばばさま、入ってよろしいですか」
「ああ、入りな」
障子を開けたら、糸車を回して、カラカラと紡いでいる老婆がいた。
「えらく遅かったね」
彼女はちらりとこちらを見て、
「その顔は、また落ちたのかい」
さすが、亀の甲より年の功。銀鈴の顔を見るだけで合否がわかってしまうようだ。銀鈴は床に頭をつけた。
「ごめんなさい、ばばさま」
「おまえのせいじゃない。おまえの父親が悪い。異国の女など娶るから。その上ふたりして早々と死んじまって」
苦々しく言った老婆は、銀鈴の髪を見た。
「おまえに呪いと幼い弟妹だけ残して死ぬなんてね」
「呪い……」
銀鈴は自分の髪を梳いた。細くて色素の薄い髪。髪は命の源とも言われている。黒々とした髪を持つものは陽、色素の薄い髪を持つものは陰。
だから、白に近い色の髪を持つ銀鈴のような者は、他者の生命力すら奪ってしまう不吉の象徴、忌み子と呼ばれ差別される……らしい。銀鈴は、単なる言いがかりだと思っていたが。
「しかし、落ちたにしては随分帰りが遅かったね」
銀鈴はピクリと肩を揺らした。先ほどの男のことを思い出すと、怒りがぶり返してくる。顔を引きつらせている銀鈴に、祖母が問いかけてきた。
「どうした。何かあったのかい」
「愛人試験を勧められた」
「愛人試験?」
銀鈴は、先ほどの出来事を話した。プンプン憤慨しながら、
「信じられる? きっと試験がダメだった女の子に片っ端から声をかけてるのよ!」
「……その男、もしや──」
祖母が口を開く前に、きょうだいたちの声が聞こえてきた。部屋を出ると、泣いている悠鈴と怒っている晶磨がいる。
「ねーちゃん、晶馬がぶったよー」
「だって、こいつが俺のおもちゃをとったんだ!」
「もう、喧嘩しないの」
彼らを仲裁しながら銀鈴は、さっき婆様は何を言いかけたのだろう、と思っていた。
☆
翌朝、銀鈴は自作の刺繍を持って、市場に来ていた。銀の髪は、人目につかないよう、頭巾で隠してある。
忌み子の銀鈴を雇おうとする酔狂な人間などいない。だから銀鈴は、雑用をしたり刺繍を売ったりして、日々の暮らしをしのいでいた。
だがそれも、もうそろそろ限界にきている。弟の晶馬はもう七つ。寺子屋に通わせなければならないし、色々と物入りな時期だ。
「はあ……」
ああ、またため息をついてしまう。いけないいけない。銀鈴はほっかむりをし、顔なじみの行商人のところへ向かった。
行商人の班家は、王家とも取り引きのある大商人だ。班家の顔を潰せば、一生商いはできないと言われている。
班家の門には、黒い垂れ幕が下がっていた。王都では、葬式から三ヵ月は、門に黒幕を垂らす決まりなのだ。「明月亭」と書かれた看板の下をくぐり、銀鈴は屋内に入る。
使用人に連れられた銀鈴は、商談室へと通された。初めてここに来たのは十年前だが、銀鈴にお茶が出されたことはない。品物を取り出していたら、すっと戸が開いた。
現れたのは、班家の右腕、李桃李だ。彼はいつ見ても真っ黒な服を着ており、それがまたすらりとした体躯に合っている。
喪中だからというわけではなく、彼は以前から黒一色をまとっていた。襟元には美しい珊瑚のボタンがはめられていて、なんとも粋だ。
桃李を見ていると、あの竹やぶにいた烏が思い浮かぶ。ちなみに、この明月亭の商談は彼が全て行っていると言われている。
桃李は黒い瞳でこちらを見て、眉をひそめた。
「ああ……あなたか。泥棒かと思った」
「これを被らないと、犯罪人みたいな目で見られますからね」
桃李は無駄のない所作で、銀鈴の前に腰掛けた。
「ここに来たということは、試験に落ちたのだな?」
「……ご名答ですが、わざわざ傷口をえぐらないでほしいです、桃李さん」
この男は優秀だが、ズバズバと物を言い、他人の気持ちというものを全く解さない。多分感心がないのだろう。
「たしか、来年が最後の機会だったな」
「ええ」
「どこかに嫁にでも行けばいい。あなたは『忌み子』だからな。どんな傑作を作ろうが、大した値では売れない。徒労、無意味、大損だ」
傷口に塩を塗って、さらに踏みつけられた気分になる。
「ご心配痛み入りますが、この髪や目ではお嫁の行き手がありませんの」
銀鈴は顔が引きつらないよう気をつけながら、笑みを浮かべてみせた。我慢我慢。帰りにひょうたん池に寄って、しこたま石を投げるまで我慢だ……。
「うちの喜栄坊ちゃんがあなたを気に入っているが?」
「ぜっったいに嫌です」
銀鈴はそう即答する。「うちの坊ちゃん」とは、この「明月亭」の現主人だ。先月、当主であった班栄商が他界した。そして、跡を継いだのが喜栄なのである。
「だいたい、あの人既婚者じゃないですか」
喜栄は、つい二ヵ月前に可愛らしい嫁をもらったばかりだった。
「あれは見合い結婚で、最後まで渋っていた。喜栄坊ちゃんはじゃじゃ馬がお好きだからな」
「誰がじゃじゃ馬ですか」
「もちろんあなただ。自覚がないとは驚いた」
くっ……。怒っちゃだめ。馬は人の役に立つ素晴らしい生き物よ……。銀鈴は気をとりなおし、いつものように品物を差し出した。
「これ、新作です」
この季節にふさわしい春の花や、可愛らしい生き物たちをあしらった手巾だ。銀鈴は我ながら、いつも以上の出来栄えだと思っていた。桃李は手巾を手に取り、しげしげと見た。
「なぜこの腕で貧困に喘いでいるのだろうな」
「どこかの商家が買取の値段をケチるからですかね」
「言っただろう。あなたが忌み子だから値がつかない」
嫌味などまるで気にしない桃李であった。この人と会話をしていると疲れる。仕事でなければ、絶対近寄らないだろう。銀鈴は金銭を受け取り、席を立つ。
「それじゃあ、また何かつくったら持ってきます」
去ろうとした銀鈴を、桃李が引き止めてくる。
「ああ、ちょっと待った。印鑑を入れる巾着袋を作ってくれないか」
「はい。お客様のご要望は?」
「黒地に銀の刺繍で、この家紋を」
銀鈴は、差し出された家紋図を受け取る。竜胆を模した家紋だった。どこの家のものだろう。
「値段は出来次第だ」
「はい!」
家紋図を懐に入れ、銀鈴はそう答えた。久しぶりの個人注文だ。頑張ろう。
この陽花国には、「忌み子」が作ったものは必ずそのことを明示しろ、という法がある。誤って王族の手に渡らないように、という配慮だ。
他のお針子が十としたら、「忌み子」である銀鈴の収入は三だ。それでも、大手である「明月亭」は、それなりの値段で作品を買ってくれる。銀鈴ひとりなら、十分食べていける金をもらっているのだ。
だが、陽家は四人家族。祖母の内職を合わせても、かつかつの生活だ。
もらったお金の紐をしっかり締めて、銀鈴は歩く。この財布も、銀鈴の手製である。街を歩いていくと、様々な誘惑がやってくる。可愛らしい小物や、美味しそうな菓子。ずらりと並んだ店には、財布を一瞬で空にする魔力を秘めているのだ。
(あ、あのお菓子、晶馬が食べたいって言ってたなあ……あの髪飾り、悠鈴に似合いそう。婆様、最近腰が痛いって言ってたから、漢方茶を買ってあげたいな)
銀鈴は様々な誘惑に引き寄せられそうになりながらも、ぐっと気を引き締める。ダメダメ、まずは必需品を調達しなきゃ。
「あっ、米の安売りやってる!」
銀鈴は、列をなす奥様方に無理やり割り入った。
「押さないでくださーい、危ないよー」
米屋の店主はのんびり言うが、誰もそんな言葉を聞いてはいない。まさに女の戦場である。もみくちゃにされ、銀鈴の頭からほっかむりが落ちた。銀鈴は、赤ん坊並みの重さの米袋を抱える。
「やった……これで一日三食べれる!」
ぜいはあと息を吐き、振り乱した髪で言う。露わになった銀髪に、周りから視線が注ぐ。
「見なよ、あの髪……」
「忌み子が米を買ってるよ。なんだかおかしいね」
ひそひそ声が聞こえてくる。何がおかしいのだ、と銀鈴は内心思った。忌み子だろうが王様だろうが、食べなければ生きていけないのだ。歩き出そうとした銀鈴の背に、声がかかる。
「おお、俺の花よ!」
振り向いた銀鈴は、眉をしかめた。
「うげっ、喜栄さま……」
そこに立っていたのは、現「明月亭」当主の喜栄だ。やたらに跳ねた髪型と、必要以上に着崩した着物。珍妙な格好だが、身につけているものはさすがに上等だ。
「お、お一人でどうされたんですか?」
「嫁が辛気臭い顔してるから、外に出てきたんだぞ。相変わらずべっぴんだな、銀鈴!」
喜栄は、馴れ馴れしく肩を抱き寄せてくる。銀鈴は、ぐいぐいと彼を押しのけた。
「離してください。既婚者でしょう、あなた」
「つれないなあ。だがそこがいい!」
何がいいのかさっぱりわからない。
「おまえみたいな綺麗な女に、米袋は似合わない」
「私は好きですよ、米袋。鞄にもなりますから」
「俺の愛人になれば牛皮の鞄や財布が手に入るぞ!」
また愛人契約の話か。なぜ銀鈴のもとにはこんな話ばかり寄ってくるのだ。
「いりません!」
「照れなくていいぞ。俺の胸に飛び込んで来い!」
銀鈴は突進してきた喜栄をかわし、
「今後とも『仕事相手として』よろしくお願いします!」
米袋を手にさっさと歩き出した。
米屋を後にした銀鈴は、ひょうたん池へと向かった。近くの釣具店で釣竿を借りて、鯉を釣った。びちびち跳ねる鯉をたらいに入れる。
銀鈴は片方に鯉の入ったたらい、もう片方に米袋を抱え、自宅へと向かう。自宅近くにある小川の橋を通ると、洗濯中の女性が声をかけてきた。
「おや銀鈴ちゃん。今帰り?」
「はいっ、ただいま戻りました!」
「重そうだね。手伝おうか?」
「大丈夫です。こう見えて力は強いので」
銀鈴ちゃんは元気だねえ。そう言って女性は笑う。確かに、銀鈴の見た目は多くの人間に差別される。だが、わかってくれる人はちゃんといるのだ。だから頑張れる。それに、家族の笑顔を見たら、嫌なことなんか吹き飛んでしまう。
家にたどり着いて荷物を下ろしていたら、先ほどの女性がみかんを手にやってきた。
「これ、うちの庭で採れたみかん。よかったら食べて」
「わあ、ありがとうございます、劉の奥さん」
今日の夕飯は豪華になりそうだ。銀鈴はそう思いつつ、ほくそ笑んだ。
「じゃーん、今日は鯛めし風、池で釣った鯉飯よ!」
夕食時、家族四人で食卓を囲む。晶馬がぽつりと呟いた。
「鯛じゃないんだ……」
「おかずは河原で摘んだ野草の揚げ物。裏山で採ってきた筍でしょ、それからもらったみかん!」
「全部タダだね、お米以外」
晶馬が再びつぶやく。
「ただでも美味しければいいの! さっ、食べよう」
悠鈴は鯛めしをはふはふと食べ、にっこり笑った。
「おいしー」
「ふふ、悠鈴はいい子ね」
銀鈴は悠鈴の頭を撫でる。晶馬は対抗心を燃やしたのか、
「俺だって食べるぞ!」
鯛めしをガツガツと食べ始めた。祖母は黙々と箸を動かしている。そう──銀鈴にとっては、この日常が続くことが一番なのだ。